この時期にわざわざ『ほん恋』ってコント?
興味ないんすけど。
・・・という期待ゼロで見たから?案外面白かったです。

『ほん恋』の彼の演技は再現ドラマまんまでもコントでも所謂<ドラマ>でもなく
その3つのどっちつかずのシロモノとしての『ほん恋』のキャラクターを
過不足なく演じていたと思う。

彼の言う<役を生きる>にはやはりそのキャラクターの細やかなバックグラウンドの理解が必要だろう。

『ほん恋』にはそのバックグラウンドはない。
そこには短時間で起承転結する、ある意味典型的な日常生活のワンシーンが、
ポンとおかれているだけ。
彼が俳優として<生きる>のが映画やドラマの長編小説の世界だとすると、
昨日のはいわばショートショートあるいは4コママンガの世界。
個々の登場人物の細かい設定はわからない。
つまり個々のキャラクターはある意味典型的で、見た瞬間わかるキャラでないといけない。

そういう設定の上でエキセントリックなキャラクターは非常に演じやすいだろう。
表情を少し変えてみるだけで上手く見えるってとこも利点。
むずかしいのは一見して普通の人、である。
普通の日常っぽい会話と仕草をしながら、短時間のうちに<どんな人だか>見てる側に
伝えないといけないのだから。

キムラさんの役柄はまったくエキセントリックではない。

どーするんだろー?

彼はいつもどおりのキムラmethodをなぞりながら、ちょっとだけ・・・やりすぎ!
にならない程度にマンガっぽくアレンジしてバランスを取ってたと思う。
<風水な恋>のエピソードの、アップの顔。
マンガのコマの中にヒクッ!と効果音を入れたらぴったり来る感じ。
<ピエロな恋>のキタガワさんとのやりとりのシーンだって、ドラマなモードの彼なら
こういう表現はしないだろう、というくらいデフォルメして見えた。

彼のドラマや映画での表現は決して<スのまま>のキムラタクヤなんかじゃない。
その作品で要求されている演技の質を理解し、プランを立てた上で作りあげたナチュラルさ、なんだと、逆に実感した。
このバランス感覚が、彼の最強の武器であり、もしかしたらある場面では
弱点になる気がする。

でも折角だから悪キムラも見たかったなー・・・。
Giftのタケヒロみたいに。
表情や声色を変化させた表現は、割りと誰にでもやれる。
目つきから仕草から、目の前の人が見知らぬ誰かに知らないうちに入れ替わってるような。
そういう怖さってなかなかあるもんじゃないから。


追記)

アクセス解析って面白いですね~。
中でも「ワード検索」機能が興味深い。
ウチのブロにいらっしゃったお客様の最新の検索ワードが
『ホームズ ワトソン 同性愛』ですよ(爆)
うん、それで調べたくなる気持ちはよ~~~~くわかりますが!
『私を月まで連れてって』で検索していらっしゃる方も多数。
う~む。
今度は何をキーワードにしてみようかしら?←本末転倒。

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