1999年に世界を震撼させたアメリカの
<コロンバイン高校銃乱射事件>をモチーフにした作品。
モチーフに、というのは細かい部分で
実際の事件とは異なる点があるらしいので。
銃を乱射して24人を殺害した17歳の少年二人が
虐めにあってたらしいことや、
背景に銃社会・アメリカの病巣があることなど含め、
何年も物議を醸した事件ですね。
マイケル・ムーア監督がやはりこの事件をモチーフに
『ボウリング・フォー・コロンバイン』という作品を撮ってますが、
そっちはドキュメンタリー。
マイケル・ムーアの視点ははっきりしていて、
「17歳の少年がいかにして殺戮兵器を入手できたか?」を徹底的に追求し、
アメリカの病んだ側面を浮き彫りにすることだったが、
ガス・ヴァン・サント監督のアプローチはずいぶん印象が違う。
彼らしい繊細な色調と、それぞれの登場人物の時間軸が交差する
斬新な構成を駆使して、陰惨な事件をモチーフにしながら、それに留まることなく、
思春期の少年たちの普遍的な側面を描き出すことに成功していると思う。
カメラの位置が特徴的。
登場する10名ほどの生徒たちの真後ろを、その視点の高さで追いかける手法で撮っている。
なので見る側はまるで彼らが見たものを見、歩いた場所を歩いている錯覚を覚える。
チリひとつないリノリウムの床、長い廊下、延々と続くロッカー、
クラスメイトやその他大勢の学生たちの、無関心で無関係で、
ときには心に突き刺さるような言葉、嫌がらせ。
見栄えのいい、要領の良い生徒達はそれなりに楽しく時間をやり過ごしてるけれども、
彼ら・彼女らも裏にまわれば仲間の顔色を見、
太るのを畏れてランチのあとはトイレで食べ物を吐いたりしている。
どこかよそよそしく、常にイライラし、どこにも出口がないような閉塞感。
そんな世界で、他に気晴らしや将来の展望すら見えずにひたすら耐えるだけのような毎日。
世界はもっと広いし、他人と違っていてもどこかに居場所さえみつければなんとかなる、
なんて大人が教えたところで、「今目の前にあるどうしようもない不快感」から
逃れることはできない。
殺戮者となった二人の少年に共感はできないが、あの気持ちはわかる。
誰かのことを<目の前から消えちゃえばいいのに!>と思ったことはあるし、
学校がきれいさっぱり無くなるのを願ったこともあった。
具体的な<学校消滅計画>を企てるほど根気強くはなく、
銃や爆発物を通販で購入できるような社会には住んでいなかったけれど。
興味深くて、語弊があるかもしれないけれどとても面白く、心に残る作品。
殺戮者たちの目線、殺された生徒たちの目線、事件を巡って論議する社会の目線。
ガス・ヴァン・サントはそのどの側にも立っていない。
殺す側の少年二人が学校を襲撃する寸前、自宅で
「今日死ぬんだよな?」と言葉少なに話しながらシャワーを浴びる。
もう一人が「俺、キスしたことないんだよね。」といいながら、
二人はシャワールームでキスを交わす。
どの少年も等しくある種の疎外感と行き場のなさを抱えてるんだよ、
とでもいいたげなその視線はマイノリティを愛する彼らしく穏やかで優しい。
陰惨で救いのない出来事を扱っているが、見終わったあと不思議と嫌悪感が湧かないのは
そのせいかもしれない。
<コロンバイン高校銃乱射事件>をモチーフにした作品。
モチーフに、というのは細かい部分で
実際の事件とは異なる点があるらしいので。
銃を乱射して24人を殺害した17歳の少年二人が
虐めにあってたらしいことや、
背景に銃社会・アメリカの病巣があることなど含め、
何年も物議を醸した事件ですね。
マイケル・ムーア監督がやはりこの事件をモチーフに
『ボウリング・フォー・コロンバイン』という作品を撮ってますが、
そっちはドキュメンタリー。
マイケル・ムーアの視点ははっきりしていて、
「17歳の少年がいかにして殺戮兵器を入手できたか?」を徹底的に追求し、
アメリカの病んだ側面を浮き彫りにすることだったが、
ガス・ヴァン・サント監督のアプローチはずいぶん印象が違う。
彼らしい繊細な色調と、それぞれの登場人物の時間軸が交差する
斬新な構成を駆使して、陰惨な事件をモチーフにしながら、それに留まることなく、
思春期の少年たちの普遍的な側面を描き出すことに成功していると思う。
カメラの位置が特徴的。
登場する10名ほどの生徒たちの真後ろを、その視点の高さで追いかける手法で撮っている。
なので見る側はまるで彼らが見たものを見、歩いた場所を歩いている錯覚を覚える。
チリひとつないリノリウムの床、長い廊下、延々と続くロッカー、
クラスメイトやその他大勢の学生たちの、無関心で無関係で、
ときには心に突き刺さるような言葉、嫌がらせ。
見栄えのいい、要領の良い生徒達はそれなりに楽しく時間をやり過ごしてるけれども、
彼ら・彼女らも裏にまわれば仲間の顔色を見、
太るのを畏れてランチのあとはトイレで食べ物を吐いたりしている。
どこかよそよそしく、常にイライラし、どこにも出口がないような閉塞感。
そんな世界で、他に気晴らしや将来の展望すら見えずにひたすら耐えるだけのような毎日。
世界はもっと広いし、他人と違っていてもどこかに居場所さえみつければなんとかなる、
なんて大人が教えたところで、「今目の前にあるどうしようもない不快感」から
逃れることはできない。
殺戮者となった二人の少年に共感はできないが、あの気持ちはわかる。
誰かのことを<目の前から消えちゃえばいいのに!>と思ったことはあるし、
学校がきれいさっぱり無くなるのを願ったこともあった。
具体的な<学校消滅計画>を企てるほど根気強くはなく、
銃や爆発物を通販で購入できるような社会には住んでいなかったけれど。
興味深くて、語弊があるかもしれないけれどとても面白く、心に残る作品。
殺戮者たちの目線、殺された生徒たちの目線、事件を巡って論議する社会の目線。
ガス・ヴァン・サントはそのどの側にも立っていない。
殺す側の少年二人が学校を襲撃する寸前、自宅で
「今日死ぬんだよな?」と言葉少なに話しながらシャワーを浴びる。
もう一人が「俺、キスしたことないんだよね。」といいながら、
二人はシャワールームでキスを交わす。
どの少年も等しくある種の疎外感と行き場のなさを抱えてるんだよ、
とでもいいたげなその視線はマイノリティを愛する彼らしく穏やかで優しい。
陰惨で救いのない出来事を扱っているが、見終わったあと不思議と嫌悪感が湧かないのは
そのせいかもしれない。
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