桜はもう散ってしまいましたが
ふと読み返したら止まらなくなりました。
高村作品はこれと「神の火」しか読み通してないのです。
「マークス」はあまりに暗くて途中で挫折・・・・。

時は1970年代の日本。
生きることに倦んだような22歳の大学生・吉田一彰が
中国人の若き殺し屋・李歐と出会い、
広大な中国大陸での再会を約束しながら、
日本と香港の犯罪シンジケート、それを追う刑事との
密かな戦いに巻き込まれてゆくというお話。

最初犯罪ものだと思って読み始めたんですけど、違いました。
犯罪組織や国家権力の干渉をものりこえて結ばれる
壮大なラブ・ストーリーなんです、一彰と李歐の。
何より証拠に、全編にわたって文章が一々エロティック。
分量的には少ないのですが、一彰と李歐の絡みのシーン。
手を握る、抱き合う、などの親愛の情をあらわす行為が、
その過剰なほどの描写によって妖しい色彩を帯びている。
また、一彰は子供の頃からメカニカルなものに執着してるんですが、
彼がヤクザに修理を依頼された銃を丁寧に分解して、部品を磨き上げ、
また金属の塊から削り出し、組み立てていく描写。
銃の動作をチェックするためセーフティを外し引き金を引いて、
部品の動きとそれの作り出す感触を執拗に確かめる下りの描写。
・・・ほとんど官能小説状態。
やー。
高村さんはどうやってこれほどまでに銃を細かく知ることができたのでしょうか?
その重み、冷たく無機質な金属の手触り、引き金を引いたときの快感。
そういう部分の取材のこまやかさがより物語をリアルに魅力的にみせているんでしょうねー。

一彰は年上の女に惹かれる男として描かれているのですが、
女たち相手のセックス描写が割りと淡々と即物的なのに対し、
李歐の体つき、声、その仕草へ向けられる舐めるような視線は、
読んでるこっちが赤面しそうなほど熱い。
とはいっても二人が直接肉体的に愛を交わすシーンはないんですけど。
李歐は中国の歴史小説から抜け出したような大胆で頭の切れる器の大きい人物ですが。
長身・痩躯に大きな切れ長の瞳、白い肌、刃物のように鋭く、
香港の観光客向けのクラブで女装して歌っていただけあって、
ファルセットとテノールを自在に使い分け、一たび舞えば見る者全てを魅了する。
ううむ。こうやって書き出してみるとなんだか少女漫画チックかも(笑)
緻密な構成と細部までこだわって取材したリアルさが、
作品を陳腐化から救っているともいえるでしょう。
きれいな男ふたりの、レンアイぎりぎりの友情のエロティシズム。
私は大好きです。

コメント

konynon
2010年5月5日21:44

「李歐」読めてないんですよ~;
「マークスの山」はだいぶ昔に読んだのですが、読後感が「どーん…」て感じで打ちのめされたのを覚えてます。

高村女史の作品て、冷静にディテールを注意すると「ん?」な部分があったりするのですが、それに勝る描写力でそれを飛び越えて実在に肉迫してしまうというか…
あの「どーん」感vと「いてほしいと思わせる魅力的な人物造型」は、やはり高村作品の魅力だと思います。

「マークス」の方も、レンアイに限りなく近い力で惹き合う男同士を感じさせるものがあったように記憶しています。
なんなんでしょうね、あの感情は(笑)

HT
2010年5月5日22:19

「マークスの山」・・・再チャレンジするかと思いつつ、図書館で「照柿」借りてきました。
とっても綿密に取材する方らしく「神の火」も原子力発電所及び核への知識にびっくりしました。
『いてほしいと思わせる魅力的な人物造形』そうそう!その通り。
しばしば<男勝り>と評される方のようですが、そのエロスへの視線と言葉選びには何か、
女性ならではの生理的感覚が見え隠れするような。

レンアイに限りなく近い力で惹き合う男同士。
意識的にしろ無意識的にしろ、そのどちらかに自己投影してる部分があるんじゃないでしょうかね。
その意味で私には『李歐』は恐ろしくロマンチックでファンタジックな作品でした。