切っ先を突きつけられた気がして一瞬くらっとした。
仕草も表情もなにもかも、そこに居る、だけなのに。

こんなふうに見て欲しいとかまたは見せたいとか、
一切の意図が感じられない、被写体からも写真家からも。

どう見ようとどう捉えようと、全ては見る側次第。
耳が痛いほどの静寂を聞くかもしれないし、
目を背けるほどの過剰な意思を感じるかもしれない。
あなたはどう見るか?
そういう問いを突きつけられた気がしました。

『無心』という言葉が浮かぶ。
無防備、とは違う・・・どこにも隙はない。
あるいは隙だらけに見えるかもしれない。

なに色でもどんな意図でもどんな欲望でも染まってやろう。
やってくるものに対して身構えることなどない。
自分自身がどうにかなってしまうことは決してないのだから。

これ・・・この感じを『自分自身の核の部分』と言い切る男。

ただただ唖然。

何度も見返してふと、彼の視線は何を見ているのだろう?と思った。
もちろん作業的には写真家と一対一で対峙してるけれど、
写真家と対峙しつつその意識はカメラのレンズを透過して、どこか遠くの、
または写真を見つめる不特定多数の誰かに向けられながら、
さらにその向こうまで通過していく。
そんなわけでその視線の意味を図りかね、とりあえずページを閉じる。

スパンコールのカーディガンにジーンズの一枚。
誰もいない場所に彼は立っている。
スタジオでもなく、日本でもない。
被写体は、荒れ野に一人で屹立する名前も何もない男、そんな感じ。

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