これ、外出の予定がある日は見ないほうがいいと思う。
・・・泣いちゃいますよ。
アパルトヘイトが撤廃された(ことになっている)
南アフリカですが、
相変わらず人種の差別(というか区別)は存在して、
主人公はスラムに生まれ、家出して浮浪児となり、
自分の名前すら忘れたふりをして
ツォツィ(=不良)と呼ばれている青年。
盗み、強盗、殺人まで犯した彼が、
ある日金持ちの黒人の夫婦の車を盗み、
偶然後部座席に乗せられていた赤ちゃんを家に連れ帰り、
育てるところから、その人生が徐々に変わっていく。
赤ん坊ってさ、自力では生きていけないじゃないですか?
ツォツィはおむつの替え方も、ミルクの与え方もしらない。
とりあえずおなかのすいた赤ちゃんに練乳缶をあてがって、大きな紙袋にいれたまま、
夜の街に出て行ってしまうようなおバカさんだけど、
自分が面倒をみてあげないと死ぬしかない生き物を前に、命ってなに?ってことを、
無意識のうちに自問自答しはじめる。
赤ちゃんを連れたシングルマザーをピストルで脅してその家に侵入するんだけど、
彼女に銃口を突きつけたまま、「こいつに乳を飲ませろ!」ですよ。
他にやりようないの?と思うけど、人に物を頼むときは<脅す>しか知らないんです。
最初目を吊り上げてほんとにキツイ顔だったのが、
彼女が赤ちゃんに授乳してるのをじーっと見てるうちに、
緊張が解けて目が優しくなり、安心した顔になっていく。
ギャング仲間に<先生>と呼ばれる男がいて、唯一マトモな教育を受けているらしい彼は
無知無教養なギャングの若者たちに何度もこう問いかける。
「品位(=decency)って言葉、知ってるか?」
彼らは単語は知っていても<先生>が言いたいことは理解できない。
「decencyとはrespectの意味だ。他人を、そして自分をrespectすることだ。」
最初まったく耳を貸さなかったツォツィですが、赤ん坊を世話し、
他人の赤ん坊を何の見返りも求めずに受け入れた女性と接して初めて、
その言葉の言わんとするところを理解しはじめる。
そして自分の名前がディヴィットだったこと、
本当に自分が求めていたものが何かを思い出し、ある行動に出ます。
この映画は南アのアパルトヘイトに具体的には触れていません。
しかし主人公が不幸にして愛も教育も受けられず、
孤独に生き抜かねばならなかった現実の裏にはその影が見え隠れします。
ある種の不幸の連鎖というか・・・。
どこかでその鎖を断ち切らなければ、これから先もたくさんのツォツィが生まれてしまう。
色と光を計算したとても繊細な映像はため息がでるほど美しく、
青年たちのナマの心情をそのままぶつけたようなラップのリズムが印象に残ります。
・・・泣いちゃいますよ。
アパルトヘイトが撤廃された(ことになっている)
南アフリカですが、
相変わらず人種の差別(というか区別)は存在して、
主人公はスラムに生まれ、家出して浮浪児となり、
自分の名前すら忘れたふりをして
ツォツィ(=不良)と呼ばれている青年。
盗み、強盗、殺人まで犯した彼が、
ある日金持ちの黒人の夫婦の車を盗み、
偶然後部座席に乗せられていた赤ちゃんを家に連れ帰り、
育てるところから、その人生が徐々に変わっていく。
赤ん坊ってさ、自力では生きていけないじゃないですか?
ツォツィはおむつの替え方も、ミルクの与え方もしらない。
とりあえずおなかのすいた赤ちゃんに練乳缶をあてがって、大きな紙袋にいれたまま、
夜の街に出て行ってしまうようなおバカさんだけど、
自分が面倒をみてあげないと死ぬしかない生き物を前に、命ってなに?ってことを、
無意識のうちに自問自答しはじめる。
赤ちゃんを連れたシングルマザーをピストルで脅してその家に侵入するんだけど、
彼女に銃口を突きつけたまま、「こいつに乳を飲ませろ!」ですよ。
他にやりようないの?と思うけど、人に物を頼むときは<脅す>しか知らないんです。
最初目を吊り上げてほんとにキツイ顔だったのが、
彼女が赤ちゃんに授乳してるのをじーっと見てるうちに、
緊張が解けて目が優しくなり、安心した顔になっていく。
ギャング仲間に<先生>と呼ばれる男がいて、唯一マトモな教育を受けているらしい彼は
無知無教養なギャングの若者たちに何度もこう問いかける。
「品位(=decency)って言葉、知ってるか?」
彼らは単語は知っていても<先生>が言いたいことは理解できない。
「decencyとはrespectの意味だ。他人を、そして自分をrespectすることだ。」
最初まったく耳を貸さなかったツォツィですが、赤ん坊を世話し、
他人の赤ん坊を何の見返りも求めずに受け入れた女性と接して初めて、
その言葉の言わんとするところを理解しはじめる。
そして自分の名前がディヴィットだったこと、
本当に自分が求めていたものが何かを思い出し、ある行動に出ます。
この映画は南アのアパルトヘイトに具体的には触れていません。
しかし主人公が不幸にして愛も教育も受けられず、
孤独に生き抜かねばならなかった現実の裏にはその影が見え隠れします。
ある種の不幸の連鎖というか・・・。
どこかでその鎖を断ち切らなければ、これから先もたくさんのツォツィが生まれてしまう。
色と光を計算したとても繊細な映像はため息がでるほど美しく、
青年たちのナマの心情をそのままぶつけたようなラップのリズムが印象に残ります。
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