中の人は今日、海へ。
お天気よくて良かったね~・・・神さまは相変わらず微笑んでくれてる。

昨日のドラマを見ていてふと。
「シュウメイってやってることはモロにファム・ファタールじゃ・・・。」
頭が切れて、地位も名誉もある男。
彼がふとしたことで謎めいた女に恋焦がれ、うつつをぬかしているうちに
全てを失って破滅する。
だって・・・かぐや姫ってそうでしょ?
彼女に求婚した男性は全員、破滅する。
(ただしゲツクなので、主人公はどん底の中で夢から目を覚まし、本当の自分を取り戻すw)
真絵美や柚月はシュウメイの恐ろしさに気がついて、目を覚ますよう必死に働きかける。
・・・このほうが自然な流れに思えて仕方ない。
(しかも『謎めいた妖しい女』ならば、少々台詞が怪しくてもそれほど気にならないかも)
そのシュウメイを、一途で思いやりのあるいい女、蓮の心の氷を溶かし、
本来の彼に戻す女神のような女、と描こうとしたことに無理があるんじゃ?
企画を立てた時点と今現在進行中の物語とは、相当な歪みが生まれてるように感じる。
それを、シュウメイという女の描き方の統一性のなさが象徴しているような。


ドラマは、味わって快楽を覚える部分では料理に似ている。
まず、素晴しい素材。
素材がよろしければ、素人がちょっと手を加えただけでも十分に美味しい。

しかし家庭料理でなくプロの料理となれば話は別。
センスと技術の確かな料理人の腕が必要。
西洋のことわざに
『too many cooks spoil the soup』
料理人が多すぎるとスープがダメになる、というのがある。
(日本でいう『船頭多くして船山に登る』ってのと同じです)
そうならないために料理長がいるはずなんだけどね・・・。

料理人が右往左往してるからって、素材が料理長の役割を買って出るわけには、
いかないはず。ってか、できるわけがないのにな。

現場部隊・・・また日焼けかっ!!!(笑)

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