さらば、わが愛 覇王別姫 [DVD] (追記しました)
2010年9月19日 映画 コメント (6)
あー・・・映画って凄いよなぁとつくづく思い知らされました。
二人の男と一人の女。
何度断ち切ろうとしても不可能な、愛憎の糸。
時代の流れが、その絡まり具合をより一層複雑にし、
3人を抜き差しならぬ状況に追い詰めていく。
そして<覇王別姫>の悲劇の再現。
もう・・・お見事としか言いようがない。
修行時代の蝶衣は何度叱られても男女の区別が曖昧でセリフを覚えられない。
もともと性別の意識が薄かった彼が女形として生きていくことを決意したとき、
その内面から現実の<性>も<生活>も消え去り、それから後は
ただ舞台と現実のあわいを、漂いながら生きていくしかなかったのではないか。
彼がひたすら思いを寄せる段小が、男性として男性の役を演じ、生活と舞台とを
割り切って考えていたのとは対照的で、そこが悲劇の一因ではないかと思いました。
性の無い男と何処までいっても男性である男。
そこに全身まさに女、である菊仙が割り込むことで、3人は激しい愛憎劇を繰り広げながらも、
奇妙に安定した関係を保っていた気がします。
蝶衣は菊仙がいたから、菊仙もまた蝶衣によって、より段小を愛することができる。
ちょっと引きで眺めた段小が、ただの身勝手な男にしか見えないからそう思えるのかもですが(笑)
レスリー・チャンは夢の中に生きる女形の青年を見事に演じきって素晴しいと思いました。
が、観終わったあと私の脳裏に蘇るのはコン・リー演じた菊仙なのです。
蝶衣がどんなに女形として優れていても、その肉体は男。
生まれながら女である彼女は、最初から戦いに勝っているはずなのに・・・。
愛する段小と蝶衣を運命的に結びつけている絆を、どうしても断ち切れない。
賢くて美しく強い女である彼女ですら、舞台が生み出す夢のような世界には手も足もでない。
客席からそれを淡々と眺めながら、内心どんな気持ちでいたのだろう、と。
コン・リーってすごい女優さんですねー・・・。
もう、全身女!!って感じで。2046でもホレボレするような色っぽさでしたけど。
全てを失いながら、蝶衣を振り返った顔に浮かんだ諦念と哀れみの表情。
あんな目で見られたらそりゃもう死にたくもなりますよ・・・。
その瞬間の蝶衣の、醜く歪んだ表情もまた見事。
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余談ですが。
段小・・・モト冬樹に見えてしょーがなかったっす(´д`;)
声はめちゃくちゃいいんですけどねー。
二人の男と一人の女。
何度断ち切ろうとしても不可能な、愛憎の糸。
時代の流れが、その絡まり具合をより一層複雑にし、
3人を抜き差しならぬ状況に追い詰めていく。
そして<覇王別姫>の悲劇の再現。
もう・・・お見事としか言いようがない。
修行時代の蝶衣は何度叱られても男女の区別が曖昧でセリフを覚えられない。
もともと性別の意識が薄かった彼が女形として生きていくことを決意したとき、
その内面から現実の<性>も<生活>も消え去り、それから後は
ただ舞台と現実のあわいを、漂いながら生きていくしかなかったのではないか。
彼がひたすら思いを寄せる段小が、男性として男性の役を演じ、生活と舞台とを
割り切って考えていたのとは対照的で、そこが悲劇の一因ではないかと思いました。
性の無い男と何処までいっても男性である男。
そこに全身まさに女、である菊仙が割り込むことで、3人は激しい愛憎劇を繰り広げながらも、
奇妙に安定した関係を保っていた気がします。
蝶衣は菊仙がいたから、菊仙もまた蝶衣によって、より段小を愛することができる。
ちょっと引きで眺めた段小が、ただの身勝手な男にしか見えないからそう思えるのかもですが(笑)
レスリー・チャンは夢の中に生きる女形の青年を見事に演じきって素晴しいと思いました。
が、観終わったあと私の脳裏に蘇るのはコン・リー演じた菊仙なのです。
蝶衣がどんなに女形として優れていても、その肉体は男。
生まれながら女である彼女は、最初から戦いに勝っているはずなのに・・・。
愛する段小と蝶衣を運命的に結びつけている絆を、どうしても断ち切れない。
賢くて美しく強い女である彼女ですら、舞台が生み出す夢のような世界には手も足もでない。
客席からそれを淡々と眺めながら、内心どんな気持ちでいたのだろう、と。
コン・リーってすごい女優さんですねー・・・。
もう、全身女!!って感じで。2046でもホレボレするような色っぽさでしたけど。
全てを失いながら、蝶衣を振り返った顔に浮かんだ諦念と哀れみの表情。
あんな目で見られたらそりゃもう死にたくもなりますよ・・・。
その瞬間の蝶衣の、醜く歪んだ表情もまた見事。
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余談ですが。
段小・・・モト冬樹に見えてしょーがなかったっす(´д`;)
声はめちゃくちゃいいんですけどねー。
コメント
はじめてお便りします。私の映画ベスト3に入る『覇王別姫』を取り上げてくださり、解説もすごく素敵で、うれしくなりました。本当にすごい映画です。ちなみに後2つは、『仮面の中のアリア』と『チョコレート』です。いつかコメントを書いていただけると嬉しいです。
や~・・・そんな、ほんとに思ったまんまの感想で・・・。
あの、こういう作品ってもう、見るしかないなぁと思うんです。
日中戦争前夜から悪名高き文化大革命、そしてその終焉までを
京劇という文化とともに生き抜き、見届けた蝶衣と段小。
文化というものの強靭さ・したたかさと、人間の営みの儚さ。
そういうものを、全部組み合わせて描ききるのは、映画以外ありえないですね。
『仮面のアリア』『チョコレート』ですね。
いつになるかわかりませんけど、見てみます。
ご紹介ありがとうございました。
また気が向いたらいらしてくださいね。
映画って、時々、自分の価値観を丸っきり書き換えられてしまう作品に、出会うことがある気がするんです。
「中国映画」や「京劇」を、どこかで軽く見てたところのある自分でしたが、ぐぅの音も出ませんでした。
「中国三千年の歴史はんぱねー・・・・・!」と、素直に思ってしまいました。(笑)
その、圧倒される感じがまた心地良くて。
私も、鑑賞後に一番面影が残ったのは、コン・リーでした。(あと、袁センセ・笑)
一見無表情のようにみえて、すごい感受性と表現力だなーと(なんか偉そうですみません)、チェン・カイコー監督の描く女性は、菊仙のような人が多いような気がします。
京劇の世界を描いたカイコー作品には、他に『花の生涯 梅蘭芳』がありますが、これもかなりおススメです。
ストーリーは実話ベースなので人それぞれ好みはあるかと思いますが、映像の美しさにはより磨きがかかったような気がします。
カイコー監督の『キリング・ミー・ソフトリー』と『PROMISE』は陳作かなー・・・・と思いますが。(苦笑)
『砂の女』、小さい頃にテレビで見かけた憶えがあります。・・・・
モノクロで、蟻地獄で、しばらく悪夢見ました。・・・・・・
仰る通り、つい最近まで、岸田さんが怖くて怖くて仕方なかったです。
でも、『ブラック・ダリア』が大丈夫なHT様なら、ツボにはまるかもですね。
同じく。
あの・・・京劇の歴史まるっきり知らないのですが、日本で言う歌舞伎のような位置づけなのかな?
庶民の中から生まれた、きらびやかでまたあの様式美に共通のものを感じました。
それだからこそのしぶとさといいますか、戦争も政治革命も所詮は人の短い営みであって、歴史の中・民の夢の中から生まれたものの根っこはそう簡単に断ち切ることはできないのだなぁと実感いたしました。
袁先生!!
私もあの人すっげー印象深かった!!
鏡に映った蝶衣に語りかけるシーンが多かったでしょう?
彼が愛したものは生身の人間でなく、鏡に映った幻影・・・虞妃その人だったんでしょうね~・・・。
岸田今日子さん、あのヌメッとした声がまず怖い(笑)
闇の匂いがするんですよ、なんとなく。アングラっぽいいかがわしさといいますか(←失礼;)
『ブラック・ダリア』と比べられるなんて相当ヘビーですね(;´∀`)
>あの・・・京劇の歴史まるっきり知らないのですが、日本で言う歌舞伎のような位置づけなのかな?
>庶民の中から生まれた、きらびやかでまたあの様式美に共通のものを感じました。
私も特に京劇ファンという程のものではありませんし、専門に勉強したわけではないので詳しいことはわかりませんが・・・・。
でも、歌舞伎が庶民のもので有り続けたのに対し、京劇はどちらかというと、貴族や皇族などのパトロンが付く、少し贅沢な娯楽であったような感じでしょうか?
『梅蘭芳』に、その辺りが詳しく描かれているような気がします。
『覇王別姫』でも、冒頭の方で、宦官の生き残りのようなじいさんが出てきませんでした?御前で披露、みたいな。
あと、日本の軍人さんで教養が高い人が、保護者のように描かれるシーンもありましたよね。
それだけに、文革で京劇が受けた打撃は相当大きかったようです。
チェン・カイコー監督が映画の題材に取り上げた理由は、確か京劇の復刻や復権をしたい、という望みもあったようです。
レコードでしか残っていない演目とかも多いような話も、以前、NHKのドキュメンタリーかなんかで見た覚えがあります。
>袁先生!!
>私もあの人すっげー印象深かった!!
>鏡に映った蝶衣に語りかけるシーンが多かったでしょう?
>彼が愛したものは生身の人間でなく、鏡に映った幻影・・・虞妃その人だったんでしょうね〜・・・。
袁先生も確か、名家の人間ですよね。
ひたすら京劇を愛することぐらいしかできない放蕩ぼっちゃまというか。・・・・
袁先生は、蝶衣ではない、虞妃しか愛していない人なんだろうな・・・・と思いました。
「手の届かないお姫さま」を愛してるんでしょうね、あの人。
だから常に化粧をさせて、舞わせて・・・・・。
『梅蘭芳』を観た感じだと、京劇は歌舞伎よりも、シェイクスピア時代の西洋の演劇に、位置づけやシステムが似ているような気がしました。
劇場持ちの○○座という一座があり、座はお互いにライバル関係で、看板役者が居て、女形制。
演劇は庶民のものでもあるんだけど、桟敷席には貴族が陣取り、パトロンがいる。
『恋に落ちたシェイクスピア』という映画に、その辺のことが詳しく描かれてますね。
洋の東西を問わず、演劇の原型は似通っているのかな、と。・・・・
>闇の匂いがするんですよ、なんとなく。アングラっぽいいかがわしさといいますか(←失礼;)
>『ブラック・ダリア』と比べられるなんて相当ヘビーですね(;´∀`)
纏う雰囲気がおどろおどろしいな、と・・・・・。(こちらも失礼)
ブラック・ダリアのような凄惨な感じではありませんが、胸の奥に纏わりつく重い湿気が、いやんな感じで。・・・・・
情報ありがとうございました。
>文革で京劇が受けた打撃は相当大きかったようです。
>チェン・カイコー監督が映画の題材に取り上げた理由は、確か京劇の復刻や
>復権をしたい、という望みもあったようです。
なるほど。
作品の中で二人が拾った子が中国共産党の青年組織に入党して、師弟制度の破壊や
様式美に拘らない新劇風の演目を作ろうとするシーンがありましたよね。
彼は結局個人的な欲望に負けて身の破滅を招いたわけですが・・・。
文革では書物を焼かせ、学生から学問の権利を取り上げ、農村で重労働に従事させるなど、
無茶苦茶なことをやったために、国の受けたダメージも深刻でした。
文化がないがしろにされる国では、民も卑しく堕落していく。
その象徴として京劇を取り上げた側面もあるのかなーと考えてました。
・・・いまや日本も他人事じゃーないですね;
そういえば、冒頭で出てくる宦官の張大人。
後半で浮浪者のような姿で煙草売りとして出てきましたね。
段小と蝶衣が立ち話している後ろに居て、もうすっかり呆けてしまって。
あれも象徴的なシーンだったな。
彼の刀が袁先生の手に渡り、蝶衣から段小へ、そして最後には・・・。
↑のチェン・カイコー監督のお話とあわせて考えると、
あの刀は蝶衣(=京劇)の運命そのものの象徴だったのかもしれないですね。
そうだ。
コメレスありがとうございました♪
またお邪魔させてくださいね。