数年前のある日ムスコが私に言った。
「KYってヘンだよね。空気って読めるもん?」
あっ・・・でた。
得意ワザ『字義通り解釈』w
そして私は実例を持ち出して
『空気を読めないとは何を意味するのか?』をひとしきり説明し、
彼は自分がなぜKYと呼ばれるのか理解したのだった。

機会があって息子と同世代、時にはもっと小さい子供を観察する。
そして彼らが、びっくりするほど控えめというか自己主張しないのに気付く。
「こうしたい。」なんて自分から言わないし、「〇〇してみますか?」と訊ねても、
黙って首を横に振ったり、あるいは全くの無反応だったりする。
そして必ず周りの反応を窺っているのである。

そっか。
すっげちっこいコまで『空気読んでる』訳ね。

会社の同僚の女性たちの話を聞いても、一様に同じことを感じているようだった。
私の知ってる限り日本の社会は昔から『空気読め』が暗黙の了解だった気がする。
しかしその『空気』が一体どれくらいの密度・成分であるかも重要だと思う。
なんというか・・・「目立つのはヤだから」「自分から何か言うとバカを見る」
くらいのところまで拡大解釈してないだろうか?
皆が人の顔色ばかり窺って沈黙している世界・・・・・・・・・・・。

不気味だ。

ところで日本以外の国に『空気読めない』に相当する表現ってあるんでしょーか?
うーーーーーん。
あの国もこの国もその国もどの国も、そんなことばハナっから存在しないとしか(笑)

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