「演技が巧い」ってどういう意味なんだろう・・・?
2011年1月7日 日常 コメント (13)いまは素人評論家全盛期ですが(@ネット上)
俳優の演技が作品の中で成立するものである以上、
観客(視聴者)は『作品の中の役柄の好き・嫌い』で判断してしまいがちなわけで。
その部分を抜きに、個々の俳優さんの巧拙を偉そうに語っちゃうのってどうでしょう?
よく「キャラ萌え」とか「役得」って言葉があるように、
「上手いなぁ!」と評価されやすい役とそうでない役があるように思うのです。
他方、所謂<舞台のお芝居>至上主義の方々にみられがちな理屈なんですけど、
演技の<わかりやすさ>例えばカツゼツとか離れていてもわかりやすい身体的表現が
『技術的に訓練して初めて獲得されるもの』であるから、
その巧拙こそが上手さの基準であるとの主張も見かけます。
しかし逆に「では演技とは基礎訓練を積むほど上達するんですか?」と問いかければ
自信をもって「YES!」と言い切れるかというと、そんなわけでもないらしい(笑)
どうも素人批評家がはりきるのは特定の俳優さん・女優さんを貶める、
または褒めちぎる場合のみに思えてならないのです。
突き詰めていくと、根底にあるのは単なる好き嫌いに過ぎないんじゃないの?と。
それを意識しないまま、或いは作為的に、独善的に批判・評価を繰り広げるから
おかしなことになっちゃうんだろうなぁ・・・。
私はキムラヲタなので彼の演技が好きですし、もちろん彼自身が好きですけど、
彼の演技の全てが好きかというと、そうじゃないです。
「プライド」なんか未だに二度と見る気が起きません。
客観的視点に立てば、あんな無茶苦茶な男の役を、それらしく熱く演じきった
<キ〇タク>は凄いけど(笑)
でもハルが大嫌いで脚本が大嫌いで、メッシュの入った髪とかwビジュアルも嫌。
あの作品は私の中で最底辺です。
しかし考えてみれば「SBヤマト」の古代進にいちばん近い役といえばもしかして
・・・ハルじゃないでしょうか(笑)
無駄に熱いし、みょーにセンチメンタルで台詞は臭いし。
ワープ中に〇〇とかありえへん!
なのですが、この作品は好きですし、古代(=キムラ)も好き。
作品の出来栄え、作り手(映像脚本演出キャスティングの全てにおいて)のセンスのよさ、
SFで宇宙で、といういわば100%ツクリゴトの世界観と古代の『熱さ』のバランスが
丁度よく思えるのです。
結局俳優の演技の良し悪しの(印象の)大部分は
『作品に相応しい表現が出来ているかどうか』
で左右されるのではないでしょうか。
逆に言えば、その作品で自分が<何を要求されているか?>をきっちり読取り、
表現できる俳優さんこそがいい俳優じゃないかと私は思うのです。
さらにそこへ、より作品の質を高めるような+αがあればなお素晴しいですよね。
もちろん俳優の演技のテンションは監督の判断にある程度支配されるわけですけれど。
(つまり、<どういう解釈でどんな風に表現してほしいか>という部分において)
そこをすっ飛ばして「〇〇の演技はいつも同じ」だの「××は大根だ」だの
断言しちゃうのって、
まぁ~・・・どんだけ偉いんでしょうね?と、思わざるを得ないわけですが。
(確かにどーしよーもない大根だの棒だのは居ますが、そういう人々は早晩
メディアから消滅しますからw)
演技、演出、映像、脚本について真剣に考えたことのある人だったらおそらく、
そんな乱暴な言い方はできないんじゃないか、な~?と。
そう思うのですけれどね。
俳優の演技が作品の中で成立するものである以上、
観客(視聴者)は『作品の中の役柄の好き・嫌い』で判断してしまいがちなわけで。
その部分を抜きに、個々の俳優さんの巧拙を偉そうに語っちゃうのってどうでしょう?
よく「キャラ萌え」とか「役得」って言葉があるように、
「上手いなぁ!」と評価されやすい役とそうでない役があるように思うのです。
他方、所謂<舞台のお芝居>至上主義の方々にみられがちな理屈なんですけど、
演技の<わかりやすさ>例えばカツゼツとか離れていてもわかりやすい身体的表現が
『技術的に訓練して初めて獲得されるもの』であるから、
その巧拙こそが上手さの基準であるとの主張も見かけます。
しかし逆に「では演技とは基礎訓練を積むほど上達するんですか?」と問いかければ
自信をもって「YES!」と言い切れるかというと、そんなわけでもないらしい(笑)
どうも素人批評家がはりきるのは特定の俳優さん・女優さんを貶める、
または褒めちぎる場合のみに思えてならないのです。
突き詰めていくと、根底にあるのは単なる好き嫌いに過ぎないんじゃないの?と。
それを意識しないまま、或いは作為的に、独善的に批判・評価を繰り広げるから
おかしなことになっちゃうんだろうなぁ・・・。
私はキムラヲタなので彼の演技が好きですし、もちろん彼自身が好きですけど、
彼の演技の全てが好きかというと、そうじゃないです。
「プライド」なんか未だに二度と見る気が起きません。
客観的視点に立てば、あんな無茶苦茶な男の役を、それらしく熱く演じきった
<キ〇タク>は凄いけど(笑)
でもハルが大嫌いで脚本が大嫌いで、メッシュの入った髪とかwビジュアルも嫌。
あの作品は私の中で最底辺です。
しかし考えてみれば「SBヤマト」の古代進にいちばん近い役といえばもしかして
・・・ハルじゃないでしょうか(笑)
無駄に熱いし、みょーにセンチメンタルで台詞は臭いし。
ワープ中に〇〇とかありえへん!
なのですが、この作品は好きですし、古代(=キムラ)も好き。
作品の出来栄え、作り手(映像脚本演出キャスティングの全てにおいて)のセンスのよさ、
SFで宇宙で、といういわば100%ツクリゴトの世界観と古代の『熱さ』のバランスが
丁度よく思えるのです。
結局俳優の演技の良し悪しの(印象の)大部分は
『作品に相応しい表現が出来ているかどうか』
で左右されるのではないでしょうか。
逆に言えば、その作品で自分が<何を要求されているか?>をきっちり読取り、
表現できる俳優さんこそがいい俳優じゃないかと私は思うのです。
さらにそこへ、より作品の質を高めるような+αがあればなお素晴しいですよね。
もちろん俳優の演技のテンションは監督の判断にある程度支配されるわけですけれど。
(つまり、<どういう解釈でどんな風に表現してほしいか>という部分において)
そこをすっ飛ばして「〇〇の演技はいつも同じ」だの「××は大根だ」だの
断言しちゃうのって、
まぁ~・・・どんだけ偉いんでしょうね?と、思わざるを得ないわけですが。
(確かにどーしよーもない大根だの棒だのは居ますが、そういう人々は早晩
メディアから消滅しますからw)
演技、演出、映像、脚本について真剣に考えたことのある人だったらおそらく、
そんな乱暴な言い方はできないんじゃないか、な~?と。
そう思うのですけれどね。
コメント
(つまり、<どういう解釈でどんな風に表現してほしいか>という部分において)
そこをすっ飛ばして「〇〇の演技はいつも同じ」だの「××は大根だ」だの
断言しちゃうのって、
まぁ~・・・どんだけ偉いんでしょうね?と、思わざるを得ないわけですが。
いっつも「キムタクは何をやってもキムタクw」と言われるキムタクさん擁護のために、こんな回りくどい書き方しなくても(笑)
こうやってかばってくれる大量のファンがいるから、キムタクさんはキムタクさんでいられるんだなぁ~、と納得しました。
特別に思い入れのある俳優はいないけれども、ドラマも映画も舞台も見る「演劇好きの素人評論家」としては、キムタクさんは金太郎飴です。それは、演技の巧拙ではなく、「キムタク」という個性が強すぎるんです。でもそれはそう要求されていてそれに応えてるに過ぎないこと。キムタクは「えっ、これがキムタク?」と思われてはいけないんです。彼は敢えて大根役者の道を歩まされてるのですね。
・・・・・・・・・・・・・・・そうさせてるのは、ファンなんですけど、気づいてます?
ちなみに、演技の巧拙というのは、単純に巧拙です。その作品に合ってるから巧い、合ってないから下手、という論理はありません。「巧いけど浮いてた」とか「下手だけどよかった」ということはよくあること。それはおっしゃるように監督や演出家の力量とも関係してくることです。それがあるから、俳優は巧拙だけでは成功しないんです。キムタクがそうであるようにね。
(↑HNですか、これ?)
>いっつも「キムタクは何をやってもキムタクw」と言われるキムタクさん擁護のために、
>こんな回りくどい書き方しなくても(笑)
>こうやってかばってくれる大量のファンがいるから、
>キムタクさんはキムタクさんでいられるんだなぁ~、と納得しました。
そうですね。
私はキムラタクヤが好きですし、彼の演技も好きです。
ただし上の文は彼を擁護するため<だけ>に書いたのではありません。
ぷぷっw様、「なにをやっても〇〇」と揶揄される俳優はキムラタクヤだけだと思います?
確かにキムラタクヤはその代名詞的扱いをうけてはいますが、
ちょっとネットで調べれば多数の俳優さんがその言葉で一刀の元に切り捨てられているのを
目にすることができると思います。
>キムタクさんは金太郎飴です。それは、演技の巧拙ではなく、「キムタク」という個性が強すぎるんです。
>でもそれはそう要求されていてそれに応えてるに過ぎないこと。
>キムタクは「えっ、これがキムタク?」と思われてはいけないんです。
>・・・・・・・・・・・・・・・そうさせてるのは、ファンなんですけど、気づいてます?
うーん。
何か勘違いしてらっしゃるのかもしれませんが、古代やハルなどの<典型的キムタク演技>は
私の好むところではありません。
日記を遡って読んでいただければご理解いただけるかと。
(通りがかりの日記のコメント如きでそんな面倒はしたくないでしょうけどw)
最近だと一番好きなのはICWRのシタオの演技ですね。
あと<華麗なる一族>のラスト2話。
まぁこれらの演技をもってしても<金太郎飴><キムタク演技>とぷぷっw様がおっしゃるのなら、
観点と好みの違いとしか言いようがありませんが。
>演技の巧拙というのは、単純に巧拙です。
>その作品に合ってるから巧い、合ってないから下手、という論理はありません。
>「巧いけど浮いてた」とか「下手だけどよかった」ということはよくあること。
では、具体的にぷぷっwさんの巧拙の例を説明していただけるとありがたいですね。
単純な巧拙というものが私にはどうも理解しがたいのです。
それから、巧拙について言うならば、私は<どんな役者が巧いか>について断言は避けたつもりです。
(ですから<上手い俳優>と書かずに<いい俳優>と表現しました)
よろしければもう一度文章をよく読んでいただけますか?
私が言いたかったのは『演技の巧拙を語ることの難しさ』なのですが・・・。
キムラタクヤさんのことだけではなく、映画や音楽、香りの記事も興味深く読ませていただいています。
私もキムラタクヤさんが好きです。
作品によっては演技も好きですし、「えっ、これがキムタク?」と思ったこともあります。
「いい俳優」だと思っています。
ファンも多いでしょうが、過剰?と思えるほどに認めない人が多いのも事実だと思います。
巧拙ではなく、好き嫌いで語られている面が大きいと感じます。
私が注目しているのは、演劇や映像の世界で「名優」「名脇役」と言われる方々がキムラタクヤの演技を認めていること。
ニシダ敏行さん、緒形ケンさん、山崎ツトムさん、ハシ爪功さん、カネ田明夫さん、カツ村政信さん、角野タクゾウさんなど、他にもたくさん。
素人評論家さんよりは見る目はおありだと思いますので、キムラタクヤに注目していこうと思っています。
誰とは書きませんが、上にあげた俳優のお一人が素人評論家(本業評論家の一部も含む)の言いたい放題を嘆いておられました。
小学生がキムラタクヤの演技を云々するみたいなものだと。
HT様の記事を読んでキムラタクヤだけの擁護だと受け取る感性、飴だの大根だのと断言しファンにまでも説教かと取れるような発言ができる感性が、私には分かりません。
本当に偉いんだな~と思いました。
HT様、不適切だと思われましたら、削除なさってください。
日記を読んでいただいてありがとうございます!
>「いい俳優」だと思っています。
>巧拙ではなく、好き嫌いで語られている面が大きいと感じます。
はい、おっしゃる通りですよね。
好き嫌いで語られる部分については、彼がアイドルwとしての顔を持つ以上、
俳優専業の方に比較して批判が増えるのも致し方ないかな、とも思います。
>演劇や映像の世界で「名優」「名脇役」と言われる方々がキムラタクヤの演技を認めていること。
彼の演技についての肯定的な意見はとても書ききれないほどありますが(笑)
ただ、それだから<いい俳優>と断言できるかどうかは、やや迷うところであります。
もちろん皆さん、現場をよくご存知の方々であるからこそ見えてくるものがおありでしょうし。
そうでなくて、あくまでもイチ視聴者としてキムラタクヤをどう見るか?に私は拘りたいのです。
>飴だの大根だのと断言しファンにまでも説教かと取れるような発言ができる感性が、私には分かりません。
>本当に偉いんだな~と思いました。
(笑)
shou様は2ちゃんねるなど、所謂、安置と言われる人が集う「巣」を覗いたことはありますか?
<金太郎飴><大根>などという表現が日常茶飯事に飛び交っていますよ。
言い換えれば、そういう匿名掲示板に典型的な単語ですね。
あまり深く気になさらないことです。
またよろしかったら覗いてくださいまし!
「素人評論家を評論する人」は、一体なんと呼ばれるんでしょうかね。
なんか、よくわからない存在、スタンスだな〜…と。
他人を素人と断じるからには、何らかの玄人であるという自負があるんでしょうけど、果たして、なにを持って自らを玄人とみなすのか…。
もしかしたら、プロの素人鑑定家か何かでしょうかね。
素人だからこそ、好きな時に好きな場所で好きなことを言える、というのもありますよね。
そもそも一般大衆と呼ばれるものは、そういうものであったかと思います。
芸能とは、そういうど土素人の評論に晒されて成り立っているんじゃないでしょうか。
素人が評論もしない対象は、大衆の目にも止まっていないと言うことになります。
それでも、素人評論家は黙ってろ、居なくなれと言うことですか?玄人にならないと自由な感想も漏らせないんでしょうか。
看過できないほど多くの人々が、キムタクはなにをやってもキムタクと言うのは、何らかの理由は、やはりあると思いますけど…。
それを払拭できるのは、何よりも、木村拓哉本人だけじゃないでしょうか?
本人が、色々な役ができることを表現して見せ、多くの人々を納得させる演技をして見せれば、済む話のような…。
それこそ、素人も玄人も関係なく。
違う演技もできることを、未だ証明しきれていない、と言う側面もあるんじゃないでしょうかね〜…。
それをどうにかできるのは、評論家ではなく、大衆でも、アンチでもファンでもなく、当人だけのでは?
素人が、聞い風なことをすみません。
takの木管理人様
素人評論家は黙っていろ、居なくなれと言ったつもりはありません。
ぷぷっw様に対して、発言の場を選ばれてはどうかと思いましたので。
違う演技ができて、いろんな役を表現して見せることができているかどうかは、個人の受け取り方次第でしょう。
それができること=巧い演技、いい俳優と定義されるのもどうかと思います。
仮にできていないとして、払拭したり、納得させたり、どうにかしないといけないことなのでしょうかね。
良し悪しは別に、多くの人が何か言いたくなってしまう強烈な個性を持った演技、私は好きです。
素人がすみませんでした。
お久しぶりです^^
なんだか難しい話をされていて私にはついて行けないですが、木村さんの演技、最近の日本の役者さんの中では逆に型にハマッてなくていいんじゃないですか?
猫も杓子も如何に演じわけるか・・みたいな役者界ですが、木村さんみたいな個性があって良いんじゃないですかね?
昔はもっと色んなタイプの役者が認められていたんじゃないかと思うんですが。
今世間が求めてるのが、色んな役を演じわけられる役者なんでしょ?
じゃ、色んな役を演じわけることに力を注ぐ役者さんは、世間が求めることに忠実なわけだから、優等生なんですよきっと。
「キムタクは何をやっても・・・・」と言われるなら、逆にそれを極めるのも面白いじゃないですか?
わっつを聞いてる間にコメが増えたのでビックリしました☆
shou様のコメントを拝見して気付いたのですが、
私はなにかマヌケな勘違いコメントを入れてしまったのでしょうか・・・?
Takの木管理人さま、shou様向けのコメントだったとしたら、申し訳ありません。
完全に私の勘違いですね・・・。失礼いたしました。
ポノさま>
こんばんは。
や、何も難しい話ではないですよ~。
単純に『役者さんの演技の巧拙を批評するのはとても難しい』と。
それだけの主旨でございます。
いろんな個性の役者さんがいらっしゃる。
それでこそ、日本のドラマ及び映画界、舞台が活性化するってモンですよね。
だから余計に<上手い><下手>で大雑把に切り分けてしまう現状に
疑問を持ってしまう、と。
要するにそういうことですよね☆
失礼いたしました。
>私は「素人評論家を評論する人」のつもりではないのですけれど・・・。
「どうも素人批評家がはりきるのは特定の俳優さん・女優さんを貶める、または褒めちぎる場合のみに思えてならないのです」
の一文は、私には、素人評論家を評する人に思えてならないのですが・・・・。私の受け取り方ががおかしかったらごめんなさい。
見ず知らずの他人の感想に、「素人」という言葉を投げかけること自体、私にはあまり良い印象がありません。賢明なHT様らしくもない失言だなー・・・・と感じました。それこそ、どなたかの言葉の受け売りのようです。
>ただ、<大根><金太郎飴>的な典型的(陳腐ともいえる)単語を簡単に使ってしまうことに対して
>抵抗を感じることはありませんか?
>私は少なくとも嫌ですね、そういう手垢のついた表現は。
「素人」よりは傲慢さは感じない言葉のような気がします。
それに、それがそれを言った人にとっての事実ならば、それは否定のしようもないと思いますが・・・・。
>上の文章は『演技の巧拙』ってそんな簡単に云々できるものなんだろうか?という
>私なりの疑問から書いたものです。
簡単に云々できないものだから、それぞれの人がその人なりの価値観や考えで、自由に感想を述べればいいのではないでしょうか?
演技を「スキル」という言い方で表現するならば、巧拙というものは絶対的に存在するでしょうね。
膨大なお金をかけ、大勢の人が関わる以上、高度なスキルを要求される局面があるのも当然だと思います。
ですが、それが、数字(視聴率や興行収入)と直結するかといえば、それはまた別の話ですね。価値観は人それぞれですし。
なにを目指すかも、俳優さんそれぞれでしょう。
>彼が多くの人を「納得させられない演技」しか「していない」とは思えませんので・・・。
HT様がそう思うのも、自由。他の人々が「キムタクはキムタク」と思うのも自由。
その間に疎通があるかないか、それはその人たち本人にしかわからないのではないでしょうか。
>管理人さんも以前は、彼の演技をきちんと評価してらっしゃったのでは?
>華麗なる一族のラスト2話、ICWRのシタオに対しては、私と同じような感想だったと記憶しておりますが。
彼を褒める行為がHT様にとって「きちんと評価」ならば、そうでしょう。
私は褒めるだけがまともな評価とは思っていません。
それに、私は作品は全体の完成度で観たい方なのです。ラストは、とか、あの場面は、誰誰は、とかではなく。
それは脚本の良し悪しとも直結する話だと思います。
>もちろん彼が不当なほど攻撃されているな〜・・・と感じることは多々ありますけれど・・・
アンチが多いのは事実だと思います。同情はしますが・・・・・。
でもそれも、本人がそれらを黙らせるほどのパワーを持つよりほか、解決方法もないのではないでしょうか?
横レスですが。
>ボノ様
>「キムタクは何をやっても・・・・」と言われるなら、逆にそれを極めるのも面白いじゃないですか?
ご意見に賛成です。
皆さまのお話を伺っていると、彼は俳優界のカレーになるのかな・・・・と思いました。
カレーは基本的に大勢に好かれるものだし、どんな料理にも、ちょっと加えると、それを「みんな大好きカレー料理」にすることができますから。
素人評論家の「素人」と「大根」「金太郎飴」の表現と、どっちが傲慢かについて、
延々議論を続けても全く実りがないと私には思えるのですが・・・。
仮に私が「素人評論家を評論する素人」であったとして、なぜそれがTAKの木管理人さんにとって
そこまで追求しなければならない意味があるのか?
・・・正直に申し上げまして、私には意図が見えません。
管理人さんが私のコメにレスされたということがはっきりしましたので、
私のコメレスを改めて掲載しておきます。
↓
takの木管理人さん、こんばんは。
>「素人評論家を評論する人」は、一体なんと呼ばれるんでしょうかね。
さあ、なんでしょうか?
もしかすると誤解されてらっしゃるかもしれませんが、
私は「素人評論家を評論する人」のつもりではないのですけれど・・・。
あくまでもイチ視聴者として、思ったことを書いているわけですので。
自分が何かの玄人とは思ってはおりません。
実際、文章を書いてお金を頂いているわけでもありませんし。
>素人だからこそ、好きな時に好きな場所で好きなことを言える、というのもありますよね。
>そもそも一般大衆と呼ばれるものは、そういうものであったかと思います。
>芸能とは、そういうど土素人の評論に晒されて成り立っているんじゃないでしょうか。
>素人が評論もしない対象は、大衆の目にも止まっていないと言うことになります。
>それでも、素人評論家は黙ってろ、居なくなれと言うことですか?玄人にならないと自由な感想も漏らせないんでしょうか
もちろん好きなときに好きなことを言えるというのはその通りです。
私も、そのスタンスで日記を書いております。
ただ、<大根><金太郎飴>的な典型的(陳腐ともいえる)単語を簡単に使ってしまうことに対して
抵抗を感じることはありませんか?
私は少なくとも嫌ですね、そういう手垢のついた表現は。
上の文章は『演技の巧拙』ってそんな簡単に云々できるものなんだろうか?という
私なりの疑問から書いたものです。
よく読んでいただければお分かりになるかと思いますが、映画全般あるいはドラマや演劇全般について
素人評論家が考えを述べることを否定したものではありません。
takの木管理人さんが映画好きで、マニアック(失礼な意味でなく)な方だと知っているからこそ、
私も度々お邪魔してコメントさせていただいたこともあります。
しかしネット上を巡ってみると、必ずしもきちんと考えた上での文章とは思えないものが多いのも
また事実です。
逆にそういう現状に対して、イチ視聴者である私が考えを述べたに過ぎない文章に対し
「素人評論家を評論する」と言われてしまうと、
私には自由な感想を漏らす自由はない、ということになりはしませんでしょうか?
>それを払拭できるのは、何よりも、木村拓哉本人だけじゃないでしょうか?
>本人が、色々な役ができることを表現して見せ、多くの人々を納得させる演技をして見せれば、済む話のような…。
>それこそ、素人も玄人も関係なく。
>違う演技もできることを、未だ証明しきれていない、と言う側面もあるんじゃないでしょうかね?…。
俳優は仕事で証明してみせろ。
正論です。
私もそう思います。
ただ、見方の違いはありますね。
彼が多くの人を「納得させられない演技」しか「していない」とは思えませんので・・・。
管理人さんも以前は、彼の演技をきちんと評価してらっしゃったのでは?
華麗なる一族のラスト2話、ICWRのシタオに対しては、私と同じような感想だったと記憶しておりますが。
それと、ぷっw様に書いたのと同じ内容になりますが、上の文章はキムラタクヤだけのことではありません。
もちろん彼が不当なほど攻撃されているな~・・・と感じることは多々ありますけれど・・・
以前覇王別記のご紹介でコメントさせていたものです。演技が巧いってどういうことなんだろうというテーマでの論争大変楽しく拝見しました。
よく観劇に行くのですが、やはり心に響いてくるというのが一番という気がします。声が聞き取りにくかったり、動きが不自然だったり、何か余分なもの、不足なものがあると、何故かしら劇にスゥーと入って行きにくいものです。とはいえ、せりふが良く聞き取れ、動きが巧みでも、さらにプラスαがないと、舞台の支配、圧力を感じません。
さらに役者さんが良くても、脚本や演出が良くないと、役者さんの力量がちっとも発揮されていないこともあります。
新聞等の劇評で高評価されていても、見に行くと、評論家という人はこういう書き方をするのだと思うことも結構あります。
木村さんは素直な感情表現が魅力の方と思いますが、too muchな気がする時もあります。ただ、今の時代、かなり説明的でないとついてこれない観客も多いのかもしれません。いろんな演出家や監督に出合い、いろんな役を通じて、演技の幅を広げられる楽しみがあります。。
ただ、時々ブログ等拝見していて、木村さんのファンの方は彼のビジュアルへのこだありがおありなようなので、汚れ役のために太ったり、髪を切ってしまったりという状況で、映画館に足を運ばれるのでしょうか。
集客(映画や演劇において大切です)という観点を抜きにして、役者論だけでは片づけられない問題も抱えておられるかもしれませんね。
とても面白いコメント、ありがとうございます!
>よく観劇に行くのですが、やはり心に響いてくるというのが一番という気がします。
>何か余分なもの、不足なものがあると、何故かしら劇にスゥーと入って行きにくいものです。
>さらに役者さんが良くても、脚本や演出が良くないと、役者さんの力量がちっとも発揮されていないこともあります。
そうですね。
このうちどれかが欠けると妙にその部分が気になってしまい、物語の世界に没頭できなくなってしまいますよね。
>新聞等の劇評で高評価されていても、見に行くと、評論家という人はこういう書き方をするのだと思うことも結構あります。
舞台はほとんど見ないのですが、映画ではよくそれを感じます。
中には「ちゃんと見ないで書いてるだろコレ・・・」と思うことも(笑)
結局、トレイラーや宣伝の出来をよく見て、自分の直感に頼るしかないですかね・・・。
so-enの映画紹介はわりとツボにはまるのでよく参考にしています。
>木村さんは素直な感情表現が魅力の方と思いますが、too muchな気がする時もあります。
>今の時代、かなり説明的でないとついてこれない観客も多いのかもしれません。
そうですね・・・彼の場合、何か類型的な役柄を演じることが多いような気がして、ウォッチャーとしては
物足りない部分かな~・・・。
おっしゃるとおり、最近は観客の側の理解力や知識が低下していて、<考えさせる>作品は敬遠される
傾向にあるようです。
「ナチス」や「ソ連」という言葉すら知らない人が増えているとか・・・。
先日は渋谷のシネマライズが閉館しましたし。
わかりやすい娯楽映画もいいのですが、見終わったあと余韻に浸りつつあれこれ咀嚼して
自分なりに解釈するのも見る楽しみのひとつですので、そういう作品を見る場が減ってしまうのは
とても残念に思っております。
>木村さんのファンの方は彼のビジュアルへのこだありがおありなようなので、
>汚れ役のために太ったり、髪を切ってしまったりという状況で、映画館に足を運ばれるのでしょうか。
ご指摘通り難しい問題ですよね。
彼はタレント(=アイドル)としての顔も大きいので、専業で役者をやってらっしゃる方にはない、
ややこしい問題を抱えていると思います。
例えば、去年公開されたICWRで彼は脇役ですが、血塗れ・泥まみれのシタオという役を演じました。
私は大好きだったのですが、興行的には思わしくない結果に終わりました。
もうすぐ彼も40代ですし・・・二足の草鞋の一足は思い切って脱ぎ捨ててほしいと願っています(笑)