とても美しい物語だと思った。
著者の岸 真理子・モリアさんはプロの作家ではない。
パリのギャラリーで働くためやってきて、ロベール・クートラスと出会い、
彼自身の語る夢とも現ともつかない半生を語る言葉を丁寧に書きとめた。
その言葉は詩的な映像に満ち、道端に捨てられた古いものたちや、
彼が石工として働いたフランスの田舎にあるカテドラル(教会)の屋根裏や目立たない壁の彫刻たちが不思議な輝きを纏って生きいきと語りだす。
周囲と溶け込めなかった子供時代、奔放な母、戦争。
それらを通り抜け、アートで生きていくためにやってきたパリ。
ちょうど60年代から70年代の、アーティストやそのパトロンたちの、自堕落で
魅力的で節操のないボヘミアン的生活の様子。
ナイーブで頑なで、生きていくにはあまりにも繊細すぎるような彼のまっすぐな目。
芸術の純粋性を信じ、自分の周りを美しいものだけで埋めていくことを念じているような彼は、やがてすこしずつ精神を病んでいく。
彼が「僕の夜」と呼んだ美しく謎めいたカルトの作品集
『僕の夜 Mes Nuits』
(以前感想を書きました→http://holidaze.diarynote.jp/201101151933401464/)
比較すると作品の写真が少ないのが残念ですが、装丁も美しく、
何より岸さんの文章が心地よい。
クートラスの言葉と彼女の見た彼の姿を、誠実に書きとめようとする意志が感じられて。
彼女がプロの作家でないことが帰って幸いしたのかもしれない。
はんぶん夢の世界に住んでいるようなクートラスは、無邪気でいろんな人に優しいけれど、
普通の意味での恋人への誠実さなどはかけらもなく、それだけに実際のところは、
もっと生々しい感情のもつれややりとりがあったかもしれないけれど。
クートラスが「親方の獲り分」と呼び、決して画商に売り渡そうとしなかったカルトたち。
いわば彼の魂の欠片のような作品を今も大切に守り続けている彼女。
ありきたりな表現だけれど、<ソウル・メイト>という言葉が浮かんだ。
著者の岸 真理子・モリアさんはプロの作家ではない。
パリのギャラリーで働くためやってきて、ロベール・クートラスと出会い、
彼自身の語る夢とも現ともつかない半生を語る言葉を丁寧に書きとめた。
その言葉は詩的な映像に満ち、道端に捨てられた古いものたちや、
彼が石工として働いたフランスの田舎にあるカテドラル(教会)の屋根裏や目立たない壁の彫刻たちが不思議な輝きを纏って生きいきと語りだす。
周囲と溶け込めなかった子供時代、奔放な母、戦争。
それらを通り抜け、アートで生きていくためにやってきたパリ。
ちょうど60年代から70年代の、アーティストやそのパトロンたちの、自堕落で
魅力的で節操のないボヘミアン的生活の様子。
ナイーブで頑なで、生きていくにはあまりにも繊細すぎるような彼のまっすぐな目。
芸術の純粋性を信じ、自分の周りを美しいものだけで埋めていくことを念じているような彼は、やがてすこしずつ精神を病んでいく。
彼が「僕の夜」と呼んだ美しく謎めいたカルトの作品集
『僕の夜 Mes Nuits』
(以前感想を書きました→http://holidaze.diarynote.jp/201101151933401464/)
比較すると作品の写真が少ないのが残念ですが、装丁も美しく、
何より岸さんの文章が心地よい。
クートラスの言葉と彼女の見た彼の姿を、誠実に書きとめようとする意志が感じられて。
彼女がプロの作家でないことが帰って幸いしたのかもしれない。
はんぶん夢の世界に住んでいるようなクートラスは、無邪気でいろんな人に優しいけれど、
普通の意味での恋人への誠実さなどはかけらもなく、それだけに実際のところは、
もっと生々しい感情のもつれややりとりがあったかもしれないけれど。
クートラスが「親方の獲り分」と呼び、決して画商に売り渡そうとしなかったカルトたち。
いわば彼の魂の欠片のような作品を今も大切に守り続けている彼女。
ありきたりな表現だけれど、<ソウル・メイト>という言葉が浮かんだ。
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