ことば。

2012年1月9日 キムラさん
ほぼ連日文章をUPしてますが、勢いで書いちゃって後で訂正したり編集したりしてます。
誤字脱字もですが、違う意味に受取られるんじゃ?とか、わかりにくいかな?とか
ついつい気になるんですよね。
内容自体はたいしたことなくても、不特定多数の方の目に留まる可能性が
あるじゃないですか。

考えてみると、私が好きなBlog主さんは皆、それぞれ独自の文体を持っていて、
一つ一つの言葉の選びかた、句読点の打ち方、単語の響きやリズムにまで、
文章には人となりが自然と滲み出るものだなぁと思う。
だからその方々の書いたものを大事に読みたいし、大切に扱いたい。
ましてや無断で切り取って持ち帰るなんてできないな。
自分自身、何度かそんな経験をして不愉快だったし。

さんタクを見て、キムラって言葉の意味やニュアンスに敏感だよなと改めて感じた。

で、連想的に思い出したのが、『開放区2』のVol.2<やさしさの意味>。

「~してあげる」の言い回しに引っかかりを感じる彼は、
「~したいからする」自分でありたい、と書いている。
彼は常に「できることをやる。」
何故なら「自分の欲求がやさしさの動機」でありたいから、と。

日常でつい「やってあげる。」とか「やっといた(いてあげた)よ。」って言っちゃいますが、
もしかしてその裏には感謝を要求する気持ちや、相手を下に見る目線
(所謂『上から目線』ってヤツw)が存在してなくもない。かも。
そんなこと一々構ってられないわよ!
...というのもアリでしょうけど。
この辺りいかにも彼らしい繊細さと敏感さで、カッコイイなぁ。
だから見てるのが気持ちいいんだよなぁと思うのと同時に、
今の世の中、生き難くないか?とも思ってしまう。

そうそう。
<やさしさの意味>で思い出した。
(前にもこのネタ書いたかもだけど)
昔oggiのインタビューで上田義彦氏撮影のめっちゃカッコイイ写真に添えられた言葉
『俺、やさしい人は嫌い。』
ものすごく印象的だった。
あのころの彼は、その挑発的な一言をこっちにシュッと投げつけたままで、
私は真意が掴めず、「なんか凄いこと言うな。」とずーーーーーっと引っかかっていた。
その真意がこの<やさしさの意味>の章にわかりやすく書かれていて、
「ああ、あの時のアレはそういう意味だったのか。」と合点がいくと同時に、
彼もそういうのをきちっと語れるようになったんだなー。
いい年のとりかたしてるね、と思ったのだった。

<やさしさ>といえば。

今日のすますまゲストは斉藤和義さん。
2曲を披露なさるそうだが、一曲は【僕の半分】。
そしてもう一曲は【やさしくなりたい】。
「やさしくしてあげたい」んじゃないんだよね。
「なりたい」んだよね。
じっくり歌詞を噛み締めよう。

「やさしくなりたい」

http://musicpvfreedownload.blog64.fc2.com/blog-entry-9513.html

GS風(笑)のPVも素敵☆

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