Myojoの連載とても興味深かったです。
ルーティーンってあまりいい意味で使われないけど、自分は好き。
毎日の決まりきった手順、習慣。
おきてまず水を300ml飲む。...ここから始まる、朝のほんの数十分の過し方。
退屈の代名詞のようなルーティーンだけど、ある種儀式的手順をこなすことで、
肉体的・精神的な平常が保たれる。
彼のような職業・生き方を選択した人にとって<決まりきった><平凡な><日常の>
生活感を保つことが、実は安定への確かな手段であろうことは容易に想像できる。
ただ、それを自覚し「ルーティーンが好き」と言い切る語り口に感心すると共に、後半の太田氏のメールと、それに続くキムラ自身の文章に考えこまずにいられなかった。
太田光氏の(妄想創作)メール。
『ヘミングウェイがゲーテに言った。<僕の作品は教科書に載ってるけどだれも読んでない(注:【老人と海】のことと思われる)。作品じゃなく、僕自身にだけ興味があるんだ>それに応えてゲーテ曰く<そんなもんさ。ファウストって作品を書いて人形劇を上演したけど、誰も劇を楽しんでなんかいなくって、気がついたら皆、僕の背中ばかり見ていたんだ>』
(要約です。原文を知りたい方はMyojoを読もう!←買わなくていいのかよw)
そしてこんな文章で締めくくられていたという。
『いろんな声を浴びせられるのも、一部の限られた人だけなんだから』
...とりあえず太田氏の文才に瞠目(笑)
これを、彼(=キムラ)が常日頃から受けている不当(と言い切ってしまうけど)な叩きへの
遠まわしな非難と感じる人もいるかもしれない。
でも、私はそうは思わない。
マスゴミその他の、箸にも棒にもかからないwくだらない叩きは不愉快極まりないけど、
真実に基づいていないという一点において、悪臭を放つ生ゴミに過ぎない。
生ゴミは毎週決まった日にちにゴミ捨て場に出して回収・焼却してもらうしかない。
真剣に悩んだり考えたり抗議しても、ゴミ自体がなくならない限り、悪臭は消えない。
(叩きを容認するしかない、とはまったく考えてはいませんが)
ではなぜ、キムラは太田氏の秀逸なたとえ話を披露したのか。
このゲーテとヘミングウェイの架空の会話を要約すると、
『皆は僕の作品じゃなくて、僕自身だけに興味を持っているみたいだ』
ってことでしょ。
その前で述べられている、新しい仕事に入っていくときの、
「これでいいんだろうか?もっと変えたほうがいいんじゃないだろうか?」という
迷いと不安の気持ちとあわせて考えると、これはまさに表現者としての迷いと戸惑い
について書いたものだと読取れる。
そしてさらに、この部分には、
「皆が僕自身にしか興味がないのはもしかして、自分の表現(お芝居とか歌とかダンスとか)が至らないせいではないだろうか?」
という、不安と葛藤が見て取れる。
『(お芝居で)キャラクターを生きてるときも(歌やダンスで)自分自身を表現してるときも』
俳優でありアイドーwであるキムラタクヤ自身に注目してほしいとは、
思ってはいないのだろう。
むしろ自分が全身全霊込めて瞬間瞬間に表現しているキャラクターなり、
歌手&ダンサーとして存在している、その『表現している世界観』こそを
見て、楽しんでほしいと。
そう切実に訴える心情を垣間見た気がして、
...ああ、この人は日頃口に出さないし、語彙も少ないけど(←)、TVや映画のスクリーンで感じるとおりの人だ、表現すること・世界観を作り上げることに、その瞬間の全てを捧げようと決意してる人なんだなぁと感じて、なんだか胸が熱くなったのであります。
...でもまだMyojo買ってないんだよなこれが。
すんません(;´∀`)←
ルーティーンってあまりいい意味で使われないけど、自分は好き。
毎日の決まりきった手順、習慣。
おきてまず水を300ml飲む。...ここから始まる、朝のほんの数十分の過し方。
退屈の代名詞のようなルーティーンだけど、ある種儀式的手順をこなすことで、
肉体的・精神的な平常が保たれる。
彼のような職業・生き方を選択した人にとって<決まりきった><平凡な><日常の>
生活感を保つことが、実は安定への確かな手段であろうことは容易に想像できる。
ただ、それを自覚し「ルーティーンが好き」と言い切る語り口に感心すると共に、後半の太田氏のメールと、それに続くキムラ自身の文章に考えこまずにいられなかった。
太田光氏の(妄想創作)メール。
『ヘミングウェイがゲーテに言った。<僕の作品は教科書に載ってるけどだれも読んでない(注:【老人と海】のことと思われる)。作品じゃなく、僕自身にだけ興味があるんだ>それに応えてゲーテ曰く<そんなもんさ。ファウストって作品を書いて人形劇を上演したけど、誰も劇を楽しんでなんかいなくって、気がついたら皆、僕の背中ばかり見ていたんだ>』
(要約です。原文を知りたい方はMyojoを読もう!←買わなくていいのかよw)
そしてこんな文章で締めくくられていたという。
『いろんな声を浴びせられるのも、一部の限られた人だけなんだから』
...とりあえず太田氏の文才に瞠目(笑)
これを、彼(=キムラ)が常日頃から受けている不当(と言い切ってしまうけど)な叩きへの
遠まわしな非難と感じる人もいるかもしれない。
でも、私はそうは思わない。
マスゴミその他の、箸にも棒にもかからないwくだらない叩きは不愉快極まりないけど、
真実に基づいていないという一点において、悪臭を放つ生ゴミに過ぎない。
生ゴミは毎週決まった日にちにゴミ捨て場に出して回収・焼却してもらうしかない。
真剣に悩んだり考えたり抗議しても、ゴミ自体がなくならない限り、悪臭は消えない。
(叩きを容認するしかない、とはまったく考えてはいませんが)
ではなぜ、キムラは太田氏の秀逸なたとえ話を披露したのか。
このゲーテとヘミングウェイの架空の会話を要約すると、
『皆は僕の作品じゃなくて、僕自身だけに興味を持っているみたいだ』
ってことでしょ。
その前で述べられている、新しい仕事に入っていくときの、
「これでいいんだろうか?もっと変えたほうがいいんじゃないだろうか?」という
迷いと不安の気持ちとあわせて考えると、これはまさに表現者としての迷いと戸惑い
について書いたものだと読取れる。
そしてさらに、この部分には、
「皆が僕自身にしか興味がないのはもしかして、自分の表現(お芝居とか歌とかダンスとか)が至らないせいではないだろうか?」
という、不安と葛藤が見て取れる。
『(お芝居で)キャラクターを生きてるときも(歌やダンスで)自分自身を表現してるときも』
俳優でありアイドーwであるキムラタクヤ自身に注目してほしいとは、
思ってはいないのだろう。
むしろ自分が全身全霊込めて瞬間瞬間に表現しているキャラクターなり、
歌手&ダンサーとして存在している、その『表現している世界観』こそを
見て、楽しんでほしいと。
そう切実に訴える心情を垣間見た気がして、
...ああ、この人は日頃口に出さないし、語彙も少ないけど(←)、TVや映画のスクリーンで感じるとおりの人だ、表現すること・世界観を作り上げることに、その瞬間の全てを捧げようと決意してる人なんだなぁと感じて、なんだか胸が熱くなったのであります。
...でもまだMyojo買ってないんだよなこれが。
すんません(;´∀`)←
コメント
太田さんの喩え話
深いです・・・深い
自分ではここまで深く読み取れないし
言葉にできないので
>キムラタクヤ自身に注目してほしいとは思っていない
>『表現している世界観』こそを見て、楽しんでほしい
改めて言葉にしてくださると
なんとなく感じていたことを実感できるというか
ありがとうございました☆
>表現すること・世界観を作り上げることに、その瞬間の全てを捧げようと決意し てる人なんだなぁと感じて、なんだか胸が熱くなったのであります。
その真摯な想いに感動します・・・
なんだか意味不明なコメントですみません><
太田さんの話は深いけど、上から目線でも堅苦しくもなく、スッと入ってきてすとんと腑に落ちる巧みさを感じます。
大作家二人の対談形式にしたところは、なんとなくアメリカン・ジョークっぽくもあり(笑)
>改めて言葉にしてくださると
>なんとなく感じていたことを実感できるというか
>ありがとうございました☆
や。
単なる私の深読みという可能性もあります(;´∀`)
ただ、南極の終わったこの時期にあれを書いた。
なぜこのタイミングなのだろう?と考え始めるとまた違った読み方ができるのかもしれません。
安置・マスゴミはもちろんのこと、時にはファンさえもが陥る、
キムラ>>>>>>>>>>>作品 の罠。
<人気>という気まぐれなバロメーターで計られるアイドルの顔と、
表現者としての道を追求したいであろう真摯な想いの、二つを共に成立させるなんて
至難の技でしょう。
そのはざまで揺れ動く様が、垣間見えた気がしました。