3.11.から一年経ちました。
連日震災関連の番組が放映されています。
被災者の目、政治家の目、現場で働く人たちの目。
様々なひとたちの目を通し、角度を変え、あるときは社会的な目線で。
あるときは個人の目線を通して『その時、なにが起きたのか』検証しようとする報道。
でも見ればみるほどわからなくなる。
それぞれの番組の、報道している個々の内容は理解できるのですが、
それらが結びついた全体像がどうしてもぼやけてしまうといいますか。
もうひとつ気になったのは、<復興><絆>という言葉。
それらの言葉の意味するところはよくわかるのですが、
ではどんな方法でどんな状況を目指しているのか今ひとつ具体的に浮かんでこない...。
地震・津波・放射能漏れ。
それらの事象一つとっても大変なことなのに、同時に3つも起きてしまったのだから、
当然かもしれません。
そんな疑問符の中、NHKのニュース番組での高村薫氏の言葉が印象に残りました。
起きてしまったことがあまりにも重すぎて、未だ日本人は東日本大震災の全体像を
理解できていない。
未曾有の出来事を、言葉で表現し書き記すことができずにいる。
<復興>一つとっても、どうなることが<復興>なのか?
例えば原発事故でも明らかなように、日本がエネルギーを浪費しつづける
『元通りの姿』に戻ることはありえない。
これからの日本はどんな姿の国を目指すべきなのか?
残念ながら、震災の全体像を文章として総括し、理解できないままでは、
進むべき具体的な姿を示すことすら難しいのではないか。
重たい言葉でした。
確かに私自身の気持ちの中でも未だにどう考えていいのかわからない部分が残っています。
地震の揺れの中で感じた恐怖、またあんなことが起こってしまったらどうしようという不安感。
忘れたふりをしてもふとしたときに蘇ってくる。
東京に居て、さしたる被害もなかった自分ですら、です。
震災後の日本を生きる。
NHKのニュース番組で出てきた言葉です。
しかし...一年めの今、まだ震災<後>まで辿りつけずに立ちすくんでいるような気がします...。
連日震災関連の番組が放映されています。
被災者の目、政治家の目、現場で働く人たちの目。
様々なひとたちの目を通し、角度を変え、あるときは社会的な目線で。
あるときは個人の目線を通して『その時、なにが起きたのか』検証しようとする報道。
でも見ればみるほどわからなくなる。
それぞれの番組の、報道している個々の内容は理解できるのですが、
それらが結びついた全体像がどうしてもぼやけてしまうといいますか。
もうひとつ気になったのは、<復興><絆>という言葉。
それらの言葉の意味するところはよくわかるのですが、
ではどんな方法でどんな状況を目指しているのか今ひとつ具体的に浮かんでこない...。
地震・津波・放射能漏れ。
それらの事象一つとっても大変なことなのに、同時に3つも起きてしまったのだから、
当然かもしれません。
そんな疑問符の中、NHKのニュース番組での高村薫氏の言葉が印象に残りました。
起きてしまったことがあまりにも重すぎて、未だ日本人は東日本大震災の全体像を
理解できていない。
未曾有の出来事を、言葉で表現し書き記すことができずにいる。
<復興>一つとっても、どうなることが<復興>なのか?
例えば原発事故でも明らかなように、日本がエネルギーを浪費しつづける
『元通りの姿』に戻ることはありえない。
これからの日本はどんな姿の国を目指すべきなのか?
残念ながら、震災の全体像を文章として総括し、理解できないままでは、
進むべき具体的な姿を示すことすら難しいのではないか。
重たい言葉でした。
確かに私自身の気持ちの中でも未だにどう考えていいのかわからない部分が残っています。
地震の揺れの中で感じた恐怖、またあんなことが起こってしまったらどうしようという不安感。
忘れたふりをしてもふとしたときに蘇ってくる。
東京に居て、さしたる被害もなかった自分ですら、です。
震災後の日本を生きる。
NHKのニュース番組で出てきた言葉です。
しかし...一年めの今、まだ震災<後>まで辿りつけずに立ちすくんでいるような気がします...。
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