美しいものが好きな人、美しいものに浸りたい人に。

ドキュメンタリーです。
イヴ・サンローランの名前をご存知の方は多いと思います。
が、その人となりとなると知らない人のほうが多いはず。
私もその一人です。
物心ついた頃から『YSL』のロゴデザインはハンカチやスカーフで目にしました。
原色を大胆に使ったグラフィカルなデザインがなんとなくマダァムな雰囲気で、
正直素敵だと思ったことはありませんでした。
…それらはおそらくあまりセンスのよろしくないライセンス契約品によって
刷り込まれたイメージだったのでしょう。

イヴの死後、公私ともに親密なパートナーであったピエール・ベルジェ(♂)は
20年の歳月を費やして2人で買い集めた美術品や家具を、クリスティーズで
競売にかけました。
世紀の競売といわれ、個人の出品としては過去最高額だったそうです。

冒頭、2人の愛の巣の様子を克明に捉えた映像が映し出されます。
パリのバビロン通りのアパルトマン。
くすんだ金と漆黒を基調に胡蝶蘭やユリ、カラーの花の白と葉の緑、膨大な数の本、絵や彫刻、インテリアで埋め尽くされた豪奢な空間。
大変な数のモノが、あるべき場所にぴたっと収まっている心地よさ。
どこからも美しく見えるよう、細心の注意と絶妙なバランスで配置されたそこは、
一つの宇宙、秘密の美術館のようです。
…この映像のためだけでも、見る価値があります。
一転、モロッコのマラケシュにある別荘(先日の「世界行ってみたらホントはこんなとこだった」にも登場した庭園)は、
タイルのブルーと紺、金色とオアシスの緑、豊かに流れる泉の水に象徴される
エキゾティックの極み。アラビアの王様の別荘のようです←イメージw
さらに2人の一番プライベートな場所であったろうノルマンディの田舎家(といっても日本人にとっては大邸宅ですが)は、プルーストの小説をイメージした隠れ家的空間で、大きなソファのある温かい雰囲気。

全てがパーフェクト。
うっとりと見とれながら、ふと考える。

こんな完璧な空間を作り出す精神の働きとはどんなふうなんだろう?
そして、なぜベルジェは愛の結晶ともいうべき品々を売り払う決意をしたのだろう?

サンローランは若くしてクリスチャン・ディオールのメゾンで働き、
ディオールの死後大抜擢されて、その後を引き継ぎます。
当時のインタビューで見る限り、内気で繊細そうな…だ、大丈夫!?って
心配になってしまうような青年でした…。
新生ディオールのショウの初回は大成功に終わり、そこで彼は運命の人・ベルジェと出会います。
その後ベルジェは、ディオールを辞めて自身の名前を冠したメゾンを立ち上げた
サンローランを、献身的な愛と凄腕ディレクターぶりで陰から支え続けるのです。
サンローランって根っからの芸術家気質です。
美しいものへの執念、信念はすごいのに、自分のプロデュースやコントロールは
まるっきりできません。
ドラッグやアルコールに溺れ、何度も精神的危機に直面しながら、なんとか
デザイナー人生を全うできたのは、ベルジェがいたからこそのようです
(といってもベルジェが語る物語ですから、実際のところはわかりませんが)
所謂、割れ鍋に綴じ蓋?(違)

ベルジェが見守る中、クリスティーズでの競売のために、思い出の品が部屋から
運び出されていきます。
一つ、また一つ。
壁から、棚から、テーブルの上から、美術品を扱う運送人たちの手で木箱に納められ
しっかり封をされ、旅だっていくモノたち。
最後にがらんとした空間が残ります。
それはまるで2人の思い出が一つずつ忘却の彼方に消えていくようにも見えます。
ベルジェにとってイヴの居ないこの部屋はそれほどまでに重荷なのでしょうか?

インタビュアーがベルジェに尋ねます。
「あなたはなぜ、2人の思い出の品を競売にかけようと思ったのですか?」

彼の答えはこうです。

もし、生き残ったのがイヴならたぶん競売にかけなかったろう。
それではしかし、ものたちはちりぢりばらばらになってしまう。

彼は生きているうちに、モノたちの行く末をしっかり見届けたかったのでしょう。
それは、遠からずイヴと同じように自分が旅立った後も、愛の結晶であるモノたちが
あるべきところで幸せに生き続けていくことを、自分自身に納得させたいという、
切なる願いだったのかもしれません。

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