sacrifice.

2013年2月14日 キムラさん
ICWR公開当時の番宣が見たくなって再生。
DongpoとKlineとShitaoの三人でクリステルが司会してるやつ。
スターらしく受答えも態度も完璧なDongpoと、悪ガキみたいなKlineとShitao。
KlineとShitaoのその後の物語を見たい!と、当時の気持ちを思い出した。
その後少しだけメイキングが紹介される。
ミンダナオ島での射殺シーンで、雨にずぶ濡れの痛々しい姿。
香港での磔シーンの、血糊ぬりたくり中にちらっとカメラを見た目線が、はっとするほど熱っぽく・病んでいて、何度見てもドキっとする。

トラン監督が言う。
「彼はワン・テイク目が一番いい。そこに照準を合わせてMAXを持ってくるから」
一方、キムラはShitaoを演じるに当たってこんなことを考えていたらしい。
「(Shitaoは)事前にいろいろ考えて臨まないほうがいいと思った。」
「アグレッシブさがない人物だから。ベクトルが全部内側に向いてるというか。」
彼の言葉は極々シンプルで、演技論みたいなものはそこにない。
全て直観。
むしろ、だからこそあのつかみ所のない人物を演じきれたのかも知れない。

Shitaoの生き方・存在自体がsacrifice=生贄/犠牲的である。
啓徳空港の跡地の掘っ立て小屋に住み、他人の苦痛を引き受け、いつも血まみれで
痛みにのたうち回り、半分死にかけている。
彼はなぜそんな生を選び取ったのか、物語の最後まで明かされることはない。
それがいい。
仮に彼が「僕は世界から苦痛をなくしたい。この身が犠牲になろうと構わない。」
などと語っていたなら、私は完全に白けただろう。
それをさせない監督の演出センスと、無口なShitaoの有様=キムラのお芝居は、
解けない謎掛けを残し、それ故いつまでも心に残る。
そういえば一瞬だけその内面を垣間見るシーンがあった。
草原でにっこり微笑むリリを見つめるShitaoのクローズ・アップ。
ボロを纏い、さながら荒野の基督のように透明な顔に、微かに浮かぶ微笑み。
その視線は目の前の女を通り越して遠い遠いところを見ている。
ふっと瞳の焦点が合って我に帰った瞬間、悲しみと恐れの入り交じったあまりにも
人間らしい表情を取り戻した彼は、声を押し殺しながら涙を流す。
このシーンを見るたび、一体何をどう理解したらこんなお芝居ができるんだろう?
と心の底から不思議に思う。
トラン監督はこの作品に限っては、毎回大枠の流れのみ説明して、後は役者の
イマジネーションに任せる演出をしたという。
その演出方法とキムラの直観力あってこその奇蹟的なシーン。
シンプルな言葉しか語らない彼の、深すぎる解釈。

演出と直観力の見事な融合を、ReBORNのCMにも感じる。
この島(=日本)に住む人たち皆に届くよう、囁くように静かに歌う彼。
その声のトーンは、歌が単なるエールではないことを確かに物語っている。
(<あの海>へ向かって囁かれるそれは、鎮魂歌でもあるはずだ)
振られた手の力強さは、サヨナラ。でもあるけど、またいつか。でもあるから
「じゃあ、元気で。」という言葉にぴったりくる。

彼がどんな直観からあの表現を選び取ったのか?
できるものなら本人に直接聞いてみたい。
きっとごく簡単な言葉で語ってしまうのだろうけど。

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