フランシス・ベーコン展
2013年3月12日 趣味 コメント (2)フランシス・ベーコンの描く溶け出した肌色のプラスティックのような質感の肉。
目鼻立ちも定かでない顔にぽっかりと開いた真空の穴のような口。
その空虚な黒い穴から発せられている音の無い絶望の叫び。
初めて彼の作品を目にしたのは、美術雑誌だったと思う。
何時だったのかはっきりと思い出せないけど、初見で嫌いになった。
(PCの画像検索で『フランシス・ベーコン』と検索してみてください)
久々に遭遇したのはなんと映画のセット。ICWRのハスフォードのオブジェ。
あれはまんまのパクリです…や、オマージュと呼ぶべきでしょうか?
年末D.リンチ展を見たとき、暴力性や肉体を変形させたいという執拗な欲望の表現に
フランシス・ベーコンの影響が色濃く感じられた。
…もしかしてベーコンが嫌いなのは強烈に惹き付けられるせいかもしれない。
と、思い始めたタイミングにこのイベント。
しかも今回の展覧会は92年に画家が亡くなってからアジア初。
見逃したら次はいつ見れるか分からない。
これはもう、見るしかない!
前置きが長くなりました。
東京国立近代美術館、ギャラリー友達wのkonynonちゃんと。
感想:感覚的で不可解で謎めいている
最初の絵の前に立ったとき、抱いていた先入観が一瞬で消え去りました。
http://www.fashion-press.net/news/gallery/6020/101429
小さな画像で見ると、人物の不自然なフォルムといい、強烈で不吉な色彩といい、
ぽっかり開いた地獄の空洞のような口といい、おどろおどろしいイメージですが…。
大きなキャンバスに描かれたこれの前に立って感じたのは<静寂>でした。
それも瞑想で得る心の静寂さとは別種のもの。
描かれた人物は間違いなく叫んでいるのだけど、その声は真っ黒な空洞の口から
外へ向けて発せられることはなく、閉鎖された空っぽの肉体に閉じ込められ、
音として見る側の耳にも心にも届くことはない。
わたしは彼/彼女の声が、恐怖なのか、苦痛なのか、絶望なのか、それとも単に
こちら側を威嚇しているのかすら分からない。
次々に繰り出される歪んだ顔、捻れて崩れ、半分消えかけた肉の塊と化した人物。
暗い灰色に幽霊の如く浮かび上がる、骸骨や猿に似せて描かれた男の顔。
画面を横切る黒い直線で区切った透明な箱に押し込まれて、声を奪われた肖像画。
どれもこれも苦痛と恐怖の表情を浮かべているのだけど、画家は描いた対象そのものに恐ろしいほど無関心で冷淡で、彼らの訴えに耳を貸そうともしないし、
彼らの苦痛を見る者に説明すらしない。
ただ物体としてそこに置き去りにされた肉体。
空虚。
暴力と苦痛を、残酷なイメージを描くことで表現した作品はたくさんあります。
それらは、最初こそ衝撃的ですが、見ているうちに食傷気味になってうんざりしたり
時にはその過剰さが笑いを誘ってしまうことすらあります。
しかしベーコンの描く暴力は全く別の次元だと感じました。
今、目の前にある苦痛や恐怖を極限まで純化して描きながら、それらを意図的に
一枚の絵に閉じ込め、ガラスと金属の額縁の中に封印する。
見る側から隔離して<伝わらせない>こと。
自分の発した叫びが誰にも届かないという、究極の悪夢に閉じ込める暴力。
その悪夢には形がなく、正体を暴く手がかりも意図的に隠されている。
だから尚更知りたくなる。
ということで、早速図書館でベーコンのインタビュー集を予約しました。
発売中の美術手帖も買おうかと思ってます。
つまり、まんまと画家の策略にハマってしまったというわけです(笑)
大っ嫌い!は、好き!のきっかけであるのかもしれません。
ベーコン展詳細
http://bacon.exhn.jp/index.html
目鼻立ちも定かでない顔にぽっかりと開いた真空の穴のような口。
その空虚な黒い穴から発せられている音の無い絶望の叫び。
初めて彼の作品を目にしたのは、美術雑誌だったと思う。
何時だったのかはっきりと思い出せないけど、初見で嫌いになった。
(PCの画像検索で『フランシス・ベーコン』と検索してみてください)
久々に遭遇したのはなんと映画のセット。ICWRのハスフォードのオブジェ。
あれはまんまのパクリです…や、オマージュと呼ぶべきでしょうか?
年末D.リンチ展を見たとき、暴力性や肉体を変形させたいという執拗な欲望の表現に
フランシス・ベーコンの影響が色濃く感じられた。
…もしかしてベーコンが嫌いなのは強烈に惹き付けられるせいかもしれない。
と、思い始めたタイミングにこのイベント。
しかも今回の展覧会は92年に画家が亡くなってからアジア初。
見逃したら次はいつ見れるか分からない。
これはもう、見るしかない!
前置きが長くなりました。
東京国立近代美術館、ギャラリー友達wのkonynonちゃんと。
感想:感覚的で不可解で謎めいている
最初の絵の前に立ったとき、抱いていた先入観が一瞬で消え去りました。
http://www.fashion-press.net/news/gallery/6020/101429
小さな画像で見ると、人物の不自然なフォルムといい、強烈で不吉な色彩といい、
ぽっかり開いた地獄の空洞のような口といい、おどろおどろしいイメージですが…。
大きなキャンバスに描かれたこれの前に立って感じたのは<静寂>でした。
それも瞑想で得る心の静寂さとは別種のもの。
描かれた人物は間違いなく叫んでいるのだけど、その声は真っ黒な空洞の口から
外へ向けて発せられることはなく、閉鎖された空っぽの肉体に閉じ込められ、
音として見る側の耳にも心にも届くことはない。
わたしは彼/彼女の声が、恐怖なのか、苦痛なのか、絶望なのか、それとも単に
こちら側を威嚇しているのかすら分からない。
次々に繰り出される歪んだ顔、捻れて崩れ、半分消えかけた肉の塊と化した人物。
暗い灰色に幽霊の如く浮かび上がる、骸骨や猿に似せて描かれた男の顔。
画面を横切る黒い直線で区切った透明な箱に押し込まれて、声を奪われた肖像画。
どれもこれも苦痛と恐怖の表情を浮かべているのだけど、画家は描いた対象そのものに恐ろしいほど無関心で冷淡で、彼らの訴えに耳を貸そうともしないし、
彼らの苦痛を見る者に説明すらしない。
ただ物体としてそこに置き去りにされた肉体。
空虚。
暴力と苦痛を、残酷なイメージを描くことで表現した作品はたくさんあります。
それらは、最初こそ衝撃的ですが、見ているうちに食傷気味になってうんざりしたり
時にはその過剰さが笑いを誘ってしまうことすらあります。
しかしベーコンの描く暴力は全く別の次元だと感じました。
今、目の前にある苦痛や恐怖を極限まで純化して描きながら、それらを意図的に
一枚の絵に閉じ込め、ガラスと金属の額縁の中に封印する。
見る側から隔離して<伝わらせない>こと。
自分の発した叫びが誰にも届かないという、究極の悪夢に閉じ込める暴力。
その悪夢には形がなく、正体を暴く手がかりも意図的に隠されている。
だから尚更知りたくなる。
ということで、早速図書館でベーコンのインタビュー集を予約しました。
発売中の美術手帖も買おうかと思ってます。
つまり、まんまと画家の策略にハマってしまったというわけです(笑)
大っ嫌い!は、好き!のきっかけであるのかもしれません。
ベーコン展詳細
http://bacon.exhn.jp/index.html
コメント
ギャラリー友達wのkonynonです☆
私は好き、というより「気になる」・・・って感じかな。
ただ間違いなく、それまでベーコンや彼の作品に対して抱いていたイメージは変わった。もっともっと理性的に追求した表現というか・・・
でも、そのモチベーションはすごく根深い感情というか、欲求というか、そういうところから出てきてると思うし。う~ん・・・わからん・・・
私が一番印象に残っているのは、道端を走る白い犬の絵です。
ただいろんな絵のいろんなパーツが集まってひとつのイメージを結ぼうとしているところです、私の中では(まだまだ醸していきまっせw)
そうだ、インタビュー私も図書館で予約しよう!
でも、あの絵をiphoneカバーにする気はちょっと起きないw
「気になる」そうだなー。
モロ手を上げて大歓迎♪な感じではないよね確かに(笑)
理性的だよね。あの歪んだ顔や体のフォルムは実は、ピカソの「泣く女」的な
発想から描かれた全方位的視点からの表現だった、とか。
解剖学的な神経や筋肉に関心があって<動き>を追求した結果のフォルムだとか。
私は見た瞬間、「あ。この人はコレが描きたかったのか!」と直感的にわかる
アーティストが好きなんですけど、
ベーコンは真逆。
かといって解釈を拒否もしてなくて、いわば解釈されることへの<無関心>、或は
徹底的に情緒や直観から遠ざかろうとする意志を感じた。
そういう表現もあるのか!とちょっと目からウロコ(笑)
早速図書館から予約本が届いたとお知らせ有り。読むのが楽しみw
あ、醸し過ぎは体に悪いよんw