ちょっと目を離した隙にふいっとどこかへ消えてしまう恋人。
振り回されて「これが最後だ…!」と自分に言いきかせながら、ふらりと戻ってきた彼の「やり直そう。」の甘い言葉にほだされてしまう<私>。
映画で、小説で、演劇で、何度も何度も目にしてきた物語。
愛し合いながらすれ違う。
相手を必要としているのに一緒に居るとぎくしゃくする。
そんなカップルは世の中にいくらでも居るだろう。
ファイ(トニー・レオン)とウィン(レスリー・チャン)の二人もそんな関係。
少し違うのは、恋人も<私>も男性で、中国人の二人が居るのは地球の反対側、
アルゼンチンのブエノスアイレス。

私はこの作品のDVDを持っていて、その感想は以前書いた。
http://holidaze.diarynote.jp/201010090019447298/
しかしそれから月日が経ったからか、はたまた大スクリーンで見たせいか、見た後の印象が随分違う。
DVDではあまり意識しなかったけれど、ファイが滞在している安アパートの構造…
古くて間口が狭く奥が深く、日の当たらない廊下、共同の汚いキッチン、公衆電話、に強烈な既視感。
これどっかで見た。そうそう、2046のあのアパートとよく似ている。
違うのは住人とファイ&ウィンの生活がほとんど分断されていること。
香港のアパートにあった隣人の気配を感じる瞬間は、ここではほとんどない。
物語自体、ファイとウィン、それに途中から参加する若いチャン(チャン・チェン)の三人の絡み中心で、その他はほぼ背景に過ぎない。
他に親しい者もいない異国、狭く薄暗い部屋に男と男。
冒頭、二人の濃厚なセックスシーンが挿入されるけれど、モノクロで撮られたそれは愛撫というより裸体のぶつかり合いで、終始乾いた感じがつきまとう。
心と身体の行き止まり感を払拭すべく、新たな刺激を求めて二人はレンタカーで
イグアスの滝を目指す。
しかし車はポンコツ。道を間違え、資金も尽きて、二人はけんか別れしてしまう。
ブエノスアイレスに舞い戻りキャバレーの客引きで細々と暮らすファイの元に、怪我をした野良猫のような姿で戻ってくるウィン。
「やり直そう。」
どうせ怪我が治ってしまえばまたどこかへ消えてしまうと知りながら、献身的に看護するファイ。
せめての抵抗とちょっとした復讐心でウィンのパスポートを隠してしまう。
二人が夜、誰もいないキッチンでぴったりと寄り添い踊るアルゼンチンタンゴ。
バンドネオンの物悲しい音色は黒いベルベットの手触りを連想させ、キッチンは
濃密な息づかいと体温の絡み合う官能的なダンスホールへと姿を変える。
…二人の身体と心が完全に一つになったと感じる、魔法のような瞬間。
しかしやがて音楽は終わり、溶け合ったと見えた肉体はまた二つに引き裂かれる。
気まぐれな恋人は姿を消し、ファイは地球の反対側でまた一人。

そこへ若いチャンが現れる。
彼は普通より何倍も耳が鋭く、声でその人の心を読み取る不思議な青年。
彼はファイの声を愛し、たぶんファイ自身を好きだけれど、それはウィンとファイの関係とは違う。
チャンにとって声は発する人そのものであり、彼の愛は肉体の接触を必要としない。
ファイはそんなチャンの無垢な人となりに惹かれ、実は肉体的にも彼を求めていたのではないかと思う。
感受性が強く繊細なファイはついに、それを打ち明けることは無かったけれども。
台湾のチャンの両親が経営する屋台で、密かにチャンの写真を失敬したファイ。
(もしかすると肉体の代用品を手に入れるために)
「会いたいと思えばいつでも会える。例え地球の反対側に居ても。」
肉体は別々の場所にあっても心は一瞬で相手の元へ飛んで一つになれる。
もし、相手も同じように自分のことを考えていると信じられるなら。

一方、<イグアスの滝を一緒に見る>という目的で一つになろうとした
ファイとウィン。
しかし二人が一緒にそこへ辿り着くことは決してない。
身体が、いつも心を追い抜いてしまうから。
ファイが去った部屋で一人泣き崩れるウィン。
ファイがウィンにパスポートを返したかどうか、最後まで描かれることはない。
だってウィンは永久にブエノスアイレスから旅立つことはないのだから。
「やり直そう。」
何度も何度も同じ言葉を口にし、ファイを置き去りにしてまた舞い戻る。
テープの巻き戻し・再生のような人生を選んだウィンは、同じ時間を永久に生き続けるしかない、無限のトラップに落ち込んだのかもしれない。

DVDでは希望に満ちた音に聞こえたラストのHappy Together。
大画面で聞いたそれは、もっと複雑な…正反対の二つの人生を
象徴しているような気がした。

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