脚本と演出と俳優。
すべてがカチッと噛み合ったドラマには圧倒される。
どこかのディテールから書き始めてもいつのまにか次のディテールへ繋がり、
思考はとりとめもなくもつれた迷路を歩き回りながらただただ興奮だけが残る。

一つ、はっきり確信したこと。
キムラは新しい領域へと踏み出した。
ぴったりと皮膚の上に張り付いて、もしかすると内部を窒息させてしまうのでは、
と不安にすらなったキムタクの幻を脱ぎ捨てて。
3話で存在し始めたロイドが、キムラタクヤの肉体を借りて思考し感じ動き出す。
そのタイミングが、ロイドが<感情>を自覚するのとピタリと一致した。
例えば、桐生を見るロイドの目線。
対面した瞬間から、見えない何かに引き付けられるように姿を追う。
ロイドは基本無表情だから分かりやすい感情が見てとれるわけではない。
ああ、つまり彼は桐生になりすましたアンドロイドなんだな、と思いつつ、
心の中まで覗き込もうとするような目線と、微妙な間に妙に惹き付けられる。
…しかし、桐生(実はナビエ)はその視線に気づかない。
そこに違和感を感じていたからこそ、桟橋でのシーンが生きる。
「お前、記憶を消したな!」
言葉に絶望が滲む。
どれだけナビエに気づいて欲しかったのか、思い出してほしかったのか。
アスラシステムの発動を必死に押さえ込もうとするロイド。
お前とは闘いたくないと叫ぶロイド。
我を忘れ、ナビエの身体を貫いた血塗れの右手、慌てて支えた身体。
ロイドには<感情がない>のだから表現はギリギリまで抑えた形になる。
とても難しい作業だったはずだ。
「本当は<ある>感情を、ロイド自身は<ない>と思っている。」
と見る側に思わせながら、
「でも、やっぱり感情が<ある>じゃん!」
と確信させながら、ロイド自身には否定させるのだから。
もちろん演出の木村監督はじめ素晴らしいスタッフの手腕も大きいと思う。
彼のお芝居がどんなに素晴らしくても、パートナーの俳優さんたちとのバランスを
欠いていたら、その場の空気は一気に白けてしまうだろうから。
ほとんどピンポイントとも思える小さな的を、全員の力で見事に射抜いた。
でも、矢を放ったのは紛れも無くロイドだ。
感情があるのに無い、と否定しながら涙を流すアンドロイド。

そしてもう一つの珠玉のシーン。
麻陽に初めて名前をもらうロイド。
「駄洒落か?」とツッコんだあとの言葉。
「ありがとう。 なまえ、くれて。」
ありがとう、と なまえ、と くれて。
80年以上存在してきて、初めての名前。
異国の言葉を話す人が口にするような、小ちゃな子供のそれのような、たどたどしい
「ありがとう。」
名前がついて、ARXII-13はモノでなくなった。
安堂麻陽ははっきりとは意識しないまま、ロイドと心の絆を結んだ。
そして、ロイドはそのことを分かっている。
そんな、ありがとう、だった。

いま、彼の心はどんな色をしているのだろう。

コメント

nophoto
2013年11月5日7:50

HTさま

おはようございます。
このブログを読んで、
また涙が出てきました。
私が言葉ではうまく表現出来ない気持ちを
ドンピシャで書かれていて…
拓哉くんは、共演者・スタッフ含め
本当に良い作品に出会えたんだなって思います!!

nophoto
あや
2013年11月5日7:53

↑なまえが「や」になっていました(*_*)

HT
2013年11月5日21:38

あやさんこんばんは!

いや〜…。
安堂ロイドに関しては毎回なんですけど特に4話は凄く密度が高くて。
あんなモンを見せられると言葉は無力だなぁと。
言葉で表現できないから映像にするんでしょうけど(笑)
圧倒されてます。
ラストまで、圧倒され続けたいです…。