2113年から2013年に再び転送されてきたロイド。
麻陽の目に映る彼は、透き通るような空気を纏っていた。
100年と24日、2時間13分間。
最後のミッションを遂行する為に。
身体を投げ出すようにその胸に飛び込む麻陽。
…ほんの一瞬、横顔の口許が緩む。
穏やかな目。
今抱きしめればもしかしたら麻陽は。
もう後戻りできなくなる。
消耗品。いつか破壊される運命の。何度でも何度でもコピー可能な。
でも、麻陽は。
腰を抱こうとして、躊躇い、溢れる熱を抑え込むように閉じて降ろされた手。
その仕草に、彼の想いの深さを知る。
長い時を生き、自らに宿った感情に目覚め、愛を知った。
記憶を積み重ね、自分の犯した罪をもはっきりと自覚した。
彼の魂は想像を絶する激しい情熱と絶望の間に居る。

きみと沫嶋黎士を護る。

それが彼の選択した愛のかたち。

水色のキューブとなってボディから切り離されたロイド。

抜け殻になったそこに、もう一つの命が宿る。
茶色くて大きな目、子犬のように無邪気な。
見つめ返すとふっと視線を避ける仕草ですぐにわかる。
黎士。
麻陽が無造作に彼を抱きしめる。
嬉しさと安堵とで潤む黎士の瞳。流れた涙を拭う指先まで彼そのもの。

あ、なんだかおとぎ話の結末みたいだな、と思った。
魔法使いの呪いで、青年は心を失った恐ろしい人形にされたけど、
勇敢な少女が魔法使いをやっつけて、青年は人間に戻った。
めでたしめでたし。
…と、ならないのは何故だろう?
人形は魂を持ってしまったから。
青年が魔法にかかって眠っている間、人形は少女を護って闘った。
ボロボロになり、何度も壊れ朽ち果てそうになっても。
一度バラバラに壊されて、100年かかってようやく少女の元に戻ってきたのに。
精確には100年と24日、2時間13分。
II-13。
ARXII-13。

コメント

nophoto
ともりん
2013年12月19日12:39

こんにちわ。
最終回を、終えてココロに小さな棘が残ったまま言語化できず。。HTさんの文章に浄化されました!ありがとうございます。
この異和感は、藜士があんなにも愛らしいのに、ロイドの方に圧倒的に感情移入した故ですが、あのラストシーンでの木村さんの演技、深すぎでした。
愛らしいけれどその本質は天才という意味で怪物、である藜士と、戦闘機なのにその本質が透明なキューブに象徴されるようにピュアな、ロイド。この二人を同時に演じ切ったのは脚本や演出の力にもよると同時に、やはり木村拓哉の表現力ゆえ、では。。
この二人を同時に存在させることができるのは、役者が内包するアンビバレントな何か、なのか。。誰にでも演じることができるものなのか。少なくともその表現によって見る人のココロを揺さぶる、稀有な存在かと思うのです。

まさに、あのキューブこそが魂で。魂が入れ替わったとたん、無機質な皮膚組織は有機的な肌になり。悲劇を内に封印したまま希望を渇望して生きるロイドが、温かで強靭な精神を抱く藜士へと替わり。。みたいな、、?なんだか文章にすると陳腐ですが。
ファン歴短いので、分からなかったけれど、木村さんがこの作品にはまだ拘りがある?のなら、、凄く嬉しいです!!次の旅を、期待できるなら…是非。
長文失礼しました!これからも書いてくださる文章を楽しみにしてます!!

HT
2013年12月20日0:08

ともりんさん、こんばんは。

>愛らしいけれどその本質は天才という意味で怪物、である藜士と、戦闘機なのにその本質が透明なキューブに象徴されるようにピュアな、ロイド。

まさに見た目と本質とが逆というか。
なのに二人は似てる。
とても孤独で、そして麻陽に運命的に惹かれてるところとか。
ロイドと黎士は光と影のような関係だったのかもしれないなぁ。
…などといろいろ考えています。
そのうち考察してみようかと。

>この二人を同時に存在させることができるのは、役者が内包するアンビバレントな何か、なのか。

キムラの表現はたぶん内側から来たものだと思うんです。
それは仕事の多彩さからのもあるだろうし(俳優、歌い手、ダンサー、コメディアン)、細かい人間観察とか想像力の豊かさもあるでしょうし。
どっちにしろ頭で考えた演技プランとは違う…心も肉体もそっくり入れ替わるような
別人の生を体験するようなものかな?と想像してるんですけど。
それにしてもこんなに<続き>が見たいドラマは初めてかもです。
まぁ植田氏の思惑とおりかもですけど(笑)