それ(殺陣)を役として表現する力の凄さ。

アクション監督の谷垣氏のことば。
身体の動きを中心に見る目線でのキムラタクヤ観が面白い。
谷垣氏の話は例えば彼があっという間に複雑な殺陣の動きを憶えてしまうとか、その
再現性の高さだとか、スタントを使わずに馬を走らせてしまったというような、
あー。さすがはキムラだわ。なところも詳細に伝えてくれるのだけれど、寧ろ
手渡された木刀の重量や長さを確かめる仕草を自然にやっていたのがリアルとか、
(その場面は小説の宮本武蔵の初めの方にもあってかなり印象的だった)
その仕草がバットのグリップの0.01ミリに拘るイチローみたいだとか、
視覚的にも感覚的にも具体的で、ちょっとキムラに似てる気もしたり。
ご自分の身体感覚が優れているのは当然として、お芝居(殺陣)をつけられる側の
身体感覚をも視覚から感じ取ったりできるのかもしれない。
それだけに、谷垣氏の語るキムラタクヤの様子は或る意味、キムラヤクヤ自身の
内面(というか体験)を代弁しているようにも読み取れた。

その谷垣氏が語った↑冒頭のことば。
殺陣を精確に、アクションとして美しくカッコ良く、複雑な動きを見事にこなすのも
もちろん凄いことなんだけど、殺陣が単なる視覚的な<見せ場>に止まることなく、
見る者に心理的な揺さぶりをかけるところまでいく。
それは殺陣が役者個人の<見せ場>でなく、物語の中のキャラクター=武蔵が、
必死に生きる姿、いわば虚構の中の現実として斬り抜けて行く瞬間を表現する、
ことかもしれない。



いや〜しっかし。<全力系アイドル>なぁ…。
笑えるけど、笑えなかったり(苦笑)
もういいんちゃうん?その辺は。
昨日のどぶろっくはほんと、歌は上手いしビジュアル最高だし色っぽかったけどね。
や、曲も歌詞も結構すきだよ?自意識過剰男の笑えるけど笑えない唄としてw
キムラがあれをやっちゃうと、自虐の唄のはずが別の意味になっちゃいますけど。

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