ようやくTVナビを読みました。
感無量。
こういう読者投票みたいのは日頃まったく気にしないんですけど、ロイドはね…。
本当に評価されるべき作品だと思うので、嬉しくて。
植田Pの言葉もキムラのそれもリアリティがあって心底納得できるし、
なんだか熱いものがこみ上げてきた。
植田さん相当に迷いがあったのだろうなぁ。
ゴリゴリのSFで行く、と決めた背景にはもちろん
メガネキムラとかボディガードとかビジュアルのイメージがあったのだろうけど、
「僕らは戦後最悪のオトナだ。」と。
青臭いっちゃーそうなんだけど、その気持ち分かる。
「未来の世代に誇れるものを。」
こんな言葉言うの恥ずかしいじゃないですか。
でもやらなきゃいけない、危機感があって。
それを、キムラが受け止め共有したってのがね…。
まんまやっちゃうんじゃなく、SFや時代劇で見せる。
この発想も素晴らしいと思った。
キムラが言う通り、ドラマとして万人受けする作品ではなかったと思う。
でも彼等は臆すること無くやり切った。
その手応えは視聴率という正体不明の数字では計測不能。
どれだけの人が見たかでなく、どれだけ人の心に届いたか。
もし計測する方法があるならダントツ一位に違いない。

最終回、ロイドから黎士へ中身が入れ替わる瞬間の、奇蹟。
アレは一体どういう<役作り>なのか…?と不思議でならなかった。
が、キムラはいとも簡単に
「自分に唯一できることは『なる』ことだったから、それをやっただけ」と。
『なる』か。
同じことを同じインタビュアーの相田さんに語ったよねかつて。
「Shitaoとしてその場に『いた』だけ」と。
もうひとつ、Shitaoと同じだな!と思ったところがある。
「コウちゃんが常に麻陽として(黎士を)愛し居させてくれたから」
「部屋には常に黎士が背中合わせに居たので…。」
ICWRでも、その場にShitaoとして存在させてくれる相手が居たからと語っていた。
キムラのお芝居へのスタンスはいつも同じ。

誰かが居てくれて<なる>ための空間が用意されているから、
自分は<その人>として存在しただけ。

すごく単純な言葉だけど、これをやれる人がどれだけ居ることだろう?
キムラにとっては語るほどのことではないのかもしれないけれど(笑)
やっぱこの人は普通じゃないですね。
で、しっかりキー・ワードを掬い上げてくれた相田さんに大感謝です。

ところで。
植田Pにとっても木村拓哉は太陽だったんだなぁ。
某監督とちょっと違う意味合いでね。
植田Pが対峙した太陽は、圧倒的に美しく絶対的な存在感と明るさを放つだけのもの
…ではなかったようで。
一日がっつり太陽光線に晒されると、その熱で皆真っ白に燃え尽きるそうで(笑)
でも翌日またそのエネルギーを浴びて、皆が蘇る、と。
おそるべし。
まるで不死鳥…『火の鳥』のような男だな。

コメント