情景が目に浮かぶこと、ミステリアスであること、キャラを立てること。
2014年6月3日 TV百田氏の言葉をすっと受け入れて書いてるよね、ゴロさんとキムラ。
ゴロさんの文章はちゃんと読んだことがなかったけど、お見事。
文字数の制限を逆手にとった見事な構成。
男と女が最近上手くいってないことをさらりと描き、キャラクターの立ち位置を自然に読み手に紹介しているからこそ女の最後の「チェッ。」が生きる。
センスいいなぁ。
文章のリズムに全く無理がない。簡潔で巧み。
後味のほろ苦さ含め、オトナの味わいであった。
百田氏も絶賛でしたが、うん。これは短編集で普通に売れるんじゃないでしょうか。
エッセイとか上手いんだろうなぁ。
完成度の高さ、ハンパない。
キムラのはある意味ゴロさんとは対極。
物語があの文字数には収まりきらずにどんどんはみ出して行く感じ。
未完成なんだけど、その語られない部分に空想の余地が広がる。
<俺>と<彼女>と<キスしている男>とはどういう関係なのか?
なぜそんなシチュエーションに置かれる羽目になったのか?
女の艶やかな笑みはどういう意味なのか?
そして、<俺>は(おそらく)翌朝、二人にどういう態度を取るのか?
たぶんキムラの脳内には語られなかった余白の物語が残っているはず。
描写もシチュエーションもですが、この余韻の残し方がエロいと思う。
全部は語らないことで、聞き手(ある意味見てる人)の想像の中でよりエロティックに情念が密度を増して行く感じ。
彼はたぶん、小説を書いてる意識よりむしろ、映像を撮ってる意識だったはず。
そして、シンゴの文章に「色がついてく感じ」と評したキムラ。
やっぱりこの人の脳内では全てフィルムに置き換わってるんだなぁと思った。
文を書く上手さ。
つまり技巧だったり言い回しだったり語彙だったりは、たくさん優れた文章を読む、
憶える、使ってみる、という訓練によってある程度上達すると思う。
でも、センスや目線はその人が生きてきた=積み上げてきた時間や経験による。
積み上げられた層の厚さや色・形・質で全く変わってくる。
内面が深くて複雑な人ほど個性が際立つ。
何を学んで・練習したか、ではない。
見て・感じて・表現するとはなにか?
それはある意味、自分の中の暗部や恥部を覗き込んで切り取り、曝け出す行為に
近いんじゃないだろうか。
体験をまんま文章にするのとは違う(それは単なる体験談)。
内側を眺め、エッセンスを抽出し、ある種の普遍性へ到達した時初めて共感を呼び、
稀には永遠の名作として残る。
文章もそうだけど、絵を描くことや音楽を奏でること、演じること。
そういったオリジナリティに関わる表現には絶対的に必要なもの。
自分の内部から目を逸らさず、さらけ出すこと。
これができるかできないか。
せずにはいられない衝動を内部に持っているか。
表現者として、必要不可欠なことだと思う。
ゴロさんの文章はちゃんと読んだことがなかったけど、お見事。
文字数の制限を逆手にとった見事な構成。
男と女が最近上手くいってないことをさらりと描き、キャラクターの立ち位置を自然に読み手に紹介しているからこそ女の最後の「チェッ。」が生きる。
センスいいなぁ。
文章のリズムに全く無理がない。簡潔で巧み。
後味のほろ苦さ含め、オトナの味わいであった。
百田氏も絶賛でしたが、うん。これは短編集で普通に売れるんじゃないでしょうか。
エッセイとか上手いんだろうなぁ。
完成度の高さ、ハンパない。
キムラのはある意味ゴロさんとは対極。
物語があの文字数には収まりきらずにどんどんはみ出して行く感じ。
未完成なんだけど、その語られない部分に空想の余地が広がる。
<俺>と<彼女>と<キスしている男>とはどういう関係なのか?
なぜそんなシチュエーションに置かれる羽目になったのか?
女の艶やかな笑みはどういう意味なのか?
そして、<俺>は(おそらく)翌朝、二人にどういう態度を取るのか?
たぶんキムラの脳内には語られなかった余白の物語が残っているはず。
描写もシチュエーションもですが、この余韻の残し方がエロいと思う。
全部は語らないことで、聞き手(ある意味見てる人)の想像の中でよりエロティックに情念が密度を増して行く感じ。
彼はたぶん、小説を書いてる意識よりむしろ、映像を撮ってる意識だったはず。
そして、シンゴの文章に「色がついてく感じ」と評したキムラ。
やっぱりこの人の脳内では全てフィルムに置き換わってるんだなぁと思った。
文を書く上手さ。
つまり技巧だったり言い回しだったり語彙だったりは、たくさん優れた文章を読む、
憶える、使ってみる、という訓練によってある程度上達すると思う。
でも、センスや目線はその人が生きてきた=積み上げてきた時間や経験による。
積み上げられた層の厚さや色・形・質で全く変わってくる。
内面が深くて複雑な人ほど個性が際立つ。
何を学んで・練習したか、ではない。
見て・感じて・表現するとはなにか?
それはある意味、自分の中の暗部や恥部を覗き込んで切り取り、曝け出す行為に
近いんじゃないだろうか。
体験をまんま文章にするのとは違う(それは単なる体験談)。
内側を眺め、エッセンスを抽出し、ある種の普遍性へ到達した時初めて共感を呼び、
稀には永遠の名作として残る。
文章もそうだけど、絵を描くことや音楽を奏でること、演じること。
そういったオリジナリティに関わる表現には絶対的に必要なもの。
自分の内部から目を逸らさず、さらけ出すこと。
これができるかできないか。
せずにはいられない衝動を内部に持っているか。
表現者として、必要不可欠なことだと思う。
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