本日6/22最終日にようやくバルテュスと対面できました。
先々週NHKで関連番組を放映してましたし、最終日なので覚悟を決めて。
朝一番の入館を目指してお休みなのに早起き。
大雨も幸いしたのか思った程の混雑はなくゆっくり見れました。
代表作『夢みるテレーズ』
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140414004294.html
白いブラウスと赤いスカートを身につけ目を閉じた少女の横顔。
セピア色の薄暗い部屋、選び抜かれた静物。
しんと静まり返った情景の中の、未成熟な少女の肉体。
ぼうっと浮かびあがるようなピンク色の肌・閉じた瞼。
一目見たら忘れられないドラマティックな構図。
その絵の前に立つ。
想像以上に大きい。
少女の横顔は見えない窓から入ってくる新鮮な空気の匂いを嗅ぎ、
目を閉じたまま肌に反射する柔らかい光を感じている。
頭の上に載せられた腕。
スカートの中まで覗けるよう意図的に台の上に載せられた左足。
エロティック。けれども、挑発的ではない。
不思議だなと思う。
セクシュアルなテーマを画家が描く時、そこには何かしらの意図が透けて見える、と思っていたから。
この絵はエロティックだけどスキャンダラスではない。
バルテュスが描いた美しい少女たち。
時には胸をはだけ、全裸でポーズをとる彼女たちはしかし、見る者を誘惑はしない。
目を閉じていたり、鏡を覗き込んでいたり、あるいは遠くを見つめていたり。
自分と自分を見つめる画家の視線の中だけで完結し・充足した世界。
美しい対象を見つめ、周到な舞台装置と演出とで思うままに描く静止したドラマ。
『自分は芸術家ではない、職人である。』
芸術家にとって作品が手段なら、職人にとってはそれ自体が目的である。
少女のエロティシズムは画家の意図を表現するためのものではない。
キャンバスに映しとられた美意識そのもの。
バルテュスは生前の勝新太郎と交流があったり篠山紀信にポートレイトを撮らせたりかなりの日本贔屓で、奥様も日本人。
節子夫人。
彼女の永遠の少女のような可愛らしさのある美しさがバルテュスの心を捉えたのは
必然だったのでしょうね。
先々週NHKで関連番組を放映してましたし、最終日なので覚悟を決めて。
朝一番の入館を目指してお休みなのに早起き。
大雨も幸いしたのか思った程の混雑はなくゆっくり見れました。
代表作『夢みるテレーズ』
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140414004294.html
白いブラウスと赤いスカートを身につけ目を閉じた少女の横顔。
セピア色の薄暗い部屋、選び抜かれた静物。
しんと静まり返った情景の中の、未成熟な少女の肉体。
ぼうっと浮かびあがるようなピンク色の肌・閉じた瞼。
一目見たら忘れられないドラマティックな構図。
その絵の前に立つ。
想像以上に大きい。
少女の横顔は見えない窓から入ってくる新鮮な空気の匂いを嗅ぎ、
目を閉じたまま肌に反射する柔らかい光を感じている。
頭の上に載せられた腕。
スカートの中まで覗けるよう意図的に台の上に載せられた左足。
エロティック。けれども、挑発的ではない。
不思議だなと思う。
セクシュアルなテーマを画家が描く時、そこには何かしらの意図が透けて見える、と思っていたから。
この絵はエロティックだけどスキャンダラスではない。
バルテュスが描いた美しい少女たち。
時には胸をはだけ、全裸でポーズをとる彼女たちはしかし、見る者を誘惑はしない。
目を閉じていたり、鏡を覗き込んでいたり、あるいは遠くを見つめていたり。
自分と自分を見つめる画家の視線の中だけで完結し・充足した世界。
美しい対象を見つめ、周到な舞台装置と演出とで思うままに描く静止したドラマ。
『自分は芸術家ではない、職人である。』
芸術家にとって作品が手段なら、職人にとってはそれ自体が目的である。
少女のエロティシズムは画家の意図を表現するためのものではない。
キャンバスに映しとられた美意識そのもの。
バルテュスは生前の勝新太郎と交流があったり篠山紀信にポートレイトを撮らせたりかなりの日本贔屓で、奥様も日本人。
節子夫人。
彼女の永遠の少女のような可愛らしさのある美しさがバルテュスの心を捉えたのは
必然だったのでしょうね。
コメント