HERO 最終話

2014年9月26日 日常
HERO最終話をリピしました。

凄いね。
Twitterのフォロワーさんとも話したんだけど、最終話に限って言うと第一期を超えたんじゃないかと思う。

振り返ってみて、第二期のHEROは1話から最終の11話まで、たった一つのテーマをバリエーションを変えて何度も何度も描いているような気がするんだよな。
一言で表すなら何だろう?

『誰もが自分の正義を追求する権利と義務がある』

じゃないのかなと、私は思った。
1話から10話まで久利生だけでなく城西支部の人々、そして彼等に関わった人たちは
皆、自分の中の正義を模索し、苦しみながら向き合い、最後はそれを勝ち取った。
検事だからとか事務官だからとか立場の違いも全くない。
そのことは最終話、口を閉ざした元検事・国分の、心を動かしたのが末次さんだったという事実に象徴されている。
「検事としての名誉より、人として全うで有りたかった。」
国分の言葉はまさに、末次さんの発したそれだった。
それを引き取るかたちで、久利生が全員に向かって語りかける。
「正義は一つじゃない。検事は悪人を絶対許さない正義。弁護士は被告人を護る正義そして裁判員には主張を聞いた上で判決を下す正義がある。」
ふと、二話で弁護士と検事とのやり取りを<ゲーム>だと言い切った桜井弁護士の
言葉に、一瞬久利生の顔色が変わったのを思い出す。
最初から最後まで、彼の立ち位置は変わらず、信念には寸分の揺るぎもない。
久利生の行動は、一見融通の利かない愚か者に見えるかもしれない。
<空気を読む>ことが必須とされる時代では尚更、だ。
しかしその<愚かな>男の揺るぎない行動が、体制の歯車と化していた特捜部検事に誇りを取り戻させ、「ジャーナリズムは基本反権力」と嘯くジャーナリストの見解を
180度変えさせた。
いや、それドラマの中だから。
…と正直私も思ってはいますけど。
しかしドラマの中で久利生の語った言葉としてのそれは、不思議な説得力を持つ。
そう、不思議としか言い様がない。
上に引用した台詞なんて、こうして文字にして読むと、何を当たり前を大げさに?
なんて思ったり。
あの長い長い台詞。
だけど久利生の声として耳で聞き・目で見るとグッと心に迫って来る。
彼の言葉は元々は台詞なんだけど、台詞を<憶えた>上で<声にだしている>
ようには思えない。
あたかも久利生公平という人物の心から生まれ、頭の中で組み立てられ、その人自身の言葉として発せられているように感じてしまう。
その時、私たちは言葉の意味よりむしろ彼の声に聞き入っている。
その音色、高低の滑らかで効果的な変化。
アクセントと共に自然に生まれる仕草、表情。
意味よりもっと雄弁な、言外の表現=サインによって感情がダイレクトに揺さぶられインプットされ、脳内で剥き出しの感情そのものに変換され記憶される。
<感動>として。

(でもね、正直言うと個人的にはあまり感心はしないのです。
CHANGEのあの長い台詞以降、『クライマックスにはキムタクに演説させとけ!』
…みたいなお約束が出来上がってるんじゃないかと思って。)
(唯一の例外がロイドかな。黎士からの伝言。
素晴らしいシーンだったけど、一番のクライマックスではなかったから。)

個人的にはむしろ、鍋島次席のお墓で手を合わせる美しい姿に感動した。
顔の中心線と合わせた掌とがすっと一直線に伸び、両方の肘や首の角度も完璧。
亡き人を敬う心がかたちになる。
脚本に「墓の前で手を合わせる二人」と書いてあったから演じました。
…では絶対にできないと思うんだよね。

さて。
第二期の久利生は城西支部の一員として留まった。
彼が異邦人のままなのか、それともこれから新たな関係性を築いていくのか。
分かるのは、すくなくとも5年後くらいで丁度いいと思う(笑)

そうそう。
馬場検事と川尻検事の和解のシーン。
「人生は思い通りにはいかないわね。」
あれって…久利生が麻木にぽつりと語った言葉と対になってた気がするんだよなぁ。
人生は思い通りにはいかない。
男と女もまたしかり、とでも言いたげだった。

コメント