横浜トリエンナーレに行ってきました。
http://www.yokohamatriennale.jp/2014/index.html
『華氏451の芸術 世界の中心には忘却の海がある』
華氏451度は摂氏223度。
これは紙が燃え始める温度。
そしてレイ・ブラッドベリのSFのタイトルでもあります。
華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)
レイ ブラッドベリ http://www.amazon.co.jp/dp/4150116911
*「本を読む=深い知識を得る」ことが禁止され本は燃やされる(=焚書)未来世界のお話。
芸術は忘却に沈んだ滓から生まれてくる。
本=深く思考すること、を禁じられる社会への警告。
…がテーマじゃないかな?と私は受けとりました。
といっても別に理屈っぽい作品群じゃないのです。
私は現代美術が好きで年何度か美術館に見に行くんですけど、何故かといいますと、
毎回必ずワクワクがあるんです。
面白い!とか、ビックリ!とか、ヘンじゃない?とか、うわー…!来たー!…とか、
そんな感じの連続なんです。
そして必ずいくつか、圧倒されて言葉を失う作品に出会える。
今回は3つの作品がとても印象に残りました。
坂上チユキさんの細密な作品http://mem-inc.jp/artists/sakagami_j/
大竹伸朗の巨大なオブジェ(これは設計図=イラストですが)
http://event.japandesign.ne.jp/2014/07/5586/
奈良原一高のモノクロ写真。
http://www.fashion-press.net/news/13084
こういう作品って言葉でなかなか説明し辛いのです。
感じたこと、思いを全部表そうとしたらもの凄い分量になるんだけど、どんなに
がんばって書いたところで、私が作品と向き合った瞬間にきた、あのドーン!!と
圧倒され尽くして感覚が支配される感じを語り尽くすことはできない。
言葉の無力さを感じます。
だから、たくさんの人が気軽にアクセスできるよう、身近にあればいいのに…と
切実に思うのです。
まぁあれだよね。
言葉で上手く解説し尽くす事が出来るなら、身を削りながら作品を作る必要もない。
現代美術は決して難しくないと思います。
むしろ、とても楽しい。
所謂名画や傑作と向き合うのって、なんか疲れる。
「これは、こんな風に作られ(描かれ)ているので、こう見てください。」
…って言われて、
「はい、分かりました。ここがチェックポイントなわけですね。」
と、まぁ先生と生徒みたいな(笑)
でも評価が定まってない美術作品は、自由に感じて咀嚼して遊べばいい。
どう感じてもどこを見ても、どんな風に好きになるかは自分次第。
遊園地に行くみたいなもんなんです、私にとって。
感覚と感情を全開に刺激的な遊園地。
キムラに惹かれるのも同じ理由なんですよね、考えてみると。
圧倒されたい。感覚と感情に揺さぶりをかけられて、私を取り巻く世界が一瞬、
グラリと揺らぐ。
あの瞬間を、彼が味合わせてくれるから。
Vogue15周年の…instagramのスナップ、凄かったなぁ。
マリオ・テスティーノが撮ったから、カッコ良くて当然?なんですけど。
なんと言いますか、格の違いってあるのね、と思い知らされました。
一枚の写真にも有無を言わせぬ存在感。
撮ること・撮られること。
その世界の<能力の高いひと>同士が出会ってセッションする。
世界が一瞬、グラリとゆらぎました。
マジで。
http://www.yokohamatriennale.jp/2014/index.html
『華氏451の芸術 世界の中心には忘却の海がある』
華氏451度は摂氏223度。
これは紙が燃え始める温度。
そしてレイ・ブラッドベリのSFのタイトルでもあります。
華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)
レイ ブラッドベリ http://www.amazon.co.jp/dp/4150116911
*「本を読む=深い知識を得る」ことが禁止され本は燃やされる(=焚書)未来世界のお話。
芸術は忘却に沈んだ滓から生まれてくる。
本=深く思考すること、を禁じられる社会への警告。
…がテーマじゃないかな?と私は受けとりました。
といっても別に理屈っぽい作品群じゃないのです。
私は現代美術が好きで年何度か美術館に見に行くんですけど、何故かといいますと、
毎回必ずワクワクがあるんです。
面白い!とか、ビックリ!とか、ヘンじゃない?とか、うわー…!来たー!…とか、
そんな感じの連続なんです。
そして必ずいくつか、圧倒されて言葉を失う作品に出会える。
今回は3つの作品がとても印象に残りました。
坂上チユキさんの細密な作品http://mem-inc.jp/artists/sakagami_j/
大竹伸朗の巨大なオブジェ(これは設計図=イラストですが)
http://event.japandesign.ne.jp/2014/07/5586/
奈良原一高のモノクロ写真。
http://www.fashion-press.net/news/13084
こういう作品って言葉でなかなか説明し辛いのです。
感じたこと、思いを全部表そうとしたらもの凄い分量になるんだけど、どんなに
がんばって書いたところで、私が作品と向き合った瞬間にきた、あのドーン!!と
圧倒され尽くして感覚が支配される感じを語り尽くすことはできない。
言葉の無力さを感じます。
だから、たくさんの人が気軽にアクセスできるよう、身近にあればいいのに…と
切実に思うのです。
まぁあれだよね。
言葉で上手く解説し尽くす事が出来るなら、身を削りながら作品を作る必要もない。
現代美術は決して難しくないと思います。
むしろ、とても楽しい。
所謂名画や傑作と向き合うのって、なんか疲れる。
「これは、こんな風に作られ(描かれ)ているので、こう見てください。」
…って言われて、
「はい、分かりました。ここがチェックポイントなわけですね。」
と、まぁ先生と生徒みたいな(笑)
でも評価が定まってない美術作品は、自由に感じて咀嚼して遊べばいい。
どう感じてもどこを見ても、どんな風に好きになるかは自分次第。
遊園地に行くみたいなもんなんです、私にとって。
感覚と感情を全開に刺激的な遊園地。
キムラに惹かれるのも同じ理由なんですよね、考えてみると。
圧倒されたい。感覚と感情に揺さぶりをかけられて、私を取り巻く世界が一瞬、
グラリと揺らぐ。
あの瞬間を、彼が味合わせてくれるから。
Vogue15周年の…instagramのスナップ、凄かったなぁ。
マリオ・テスティーノが撮ったから、カッコ良くて当然?なんですけど。
なんと言いますか、格の違いってあるのね、と思い知らされました。
一枚の写真にも有無を言わせぬ存在感。
撮ること・撮られること。
その世界の<能力の高いひと>同士が出会ってセッションする。
世界が一瞬、グラリとゆらぎました。
マジで。
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