野口里佳写真展『父のアルバム/不思議な力』に行ってきました。
http://gallery916.com/exhibition/

野口さんの写真、私は前回の横浜トリエンナーレで出会ってから大好きで。
以前の日記にも書きました。
http://holidaze.diarynote.jp/201109281544358639/
トリエンナーレや、たぬきん師匠と見た2012年の伊豆の写真美術館での個展とは
今回のGallery916の展示はちょっと趣が違った。
今回は彼女の最新作数点『不思議な力』と、彼女のお父様がオリンパス・ペンという
カメラで撮影した家族写真『父のアルバム』との2本仕立て。

野口里佳の写真は前にも書きましたが…徹底した観察者の視点なのです。
富士山登山、スキューバダイビング、あるいは宇宙に向かって一直線に飛んで行く
ロケットの航跡、浅瀬を浚渫する巨大なショベル、クレーン。
そして最新作では<光>そのものを印画紙の上に焼き付ける試み。
私たちは日常、意識しないままに光に頼ってモノを見ている。
美しい風景、心に残る誰かの顔、今朝の空、昨夜の月。
あるいは、映画やTVやPC、スマホの画面。
およそヒトがモノを見るのに光の力を介在しない機会など、無に等しい。
…しかしヒトは<光が照らし出す>何かを見つめることはあっても、
<光そのもの>を、改めて見つめる経験は本当に少ないと思う。
『光ってなに?』
その素朴で根源的な疑問にまっすぐ向き合った写真家ってそんなに居ないと思う。
具体的には、「庭らしき背景の手前にくっきり映り込んだ光線の形作る六角形』とか
『プリズムを通した七色の光』とか『心霊写真みたく楕円形に映り込んだ反射光』
…とか、なんですが。
なんだろうな…<目>のある彼女が捉えたそれらは単に露光を失敗した写真でなく、
ある意志を持って切りとられた日常の中の見えない何か、だと理解できる。
何だろう?面白い試みだけど、彼女は何でコレをやろうと思い立ったのか?

…そんなことを考えつつ、『父のアルバム』のコーナーへ。

こちらの写真は野口氏のお父様が撮った家族写真です。
亡くなったお父様の残した写真を、野口さんが自らプリントしたもの。
被写体は当然家族だったり家の庭だったりします。
ここで一つの疑問。
野口里佳の<お父さん>の撮った写真を野口里佳の写真展で展示することの意味。
私もその疑問を抱えて(結構懐疑的な気分で)作品に向き合いました。
<写真家自身がシャッターを切ってない作品は果たして自身の作と言えるのか否か>
…答えはYESでありNOである。

YES=それらの写真は確かに野口里佳の写真として存在していた
NO=しかし写真を撮ったその瞬間、写真家としての野口里佳は存在していなかった

二十代と思われる可愛らしい妻の、車窓に凭れた幸せそうな表情からそのシリーズが始まった。
それと対になるようにレイアウトされた写真家自身の、生真面目で幸福そうな顔。
そこから、恐らく野口自身と思われる小さな女の子の、穏やかな幸せの日常へ。

すくすくと育つ娘。
長男。
ささやかな庭に咲くピンクやイエローの薔薇。
置き忘れられたドールハウス。
黄色いシマシマのとっくりセーターを着た女の子。
縄跳びする女の子。
聡明で優しそうな妻。
次女の誕生。
仲良しの姉弟。
笑顔。
庭の花々。
春、夏、秋、冬。
新学期。

彼女の父は家族にも庭の薔薇にもありのままの姿で向き合い、ありのままの瞬間に
シャッターを切ろうとしていた。
その意志が感じられる。
シャッターチャンスは、おすまし顔でなく一瞬の笑顔。または無表情。
家族写真でありながら、<野口里佳>個人でなく、私やあなた、他の誰かの日常。
普遍的な<家族>と<その幸福>を、ありのままの姿で見ようとする意志。
多くの人がその恩恵を受け幸せを感じながら、ほとんど意識することのない<家族>
その、ひとりひとりに惜しみない愛情を注ぎながら、徹底した観察者であろうとした父の視点。
たぶん野口里佳のお父さんはそんな意識のないまま、幸福感と観察者の目線の両方でもって、カメラのシャッターを切ったに違いないと思わせる写真群。
それをチョイスし、印画紙に焼き付け、最適と思われる大きさに引き延ばし、
額装したのは、野口里佳という写真家の目と手。

『不思議な力』の写真群と、『父のアルバム』の写真群は、間違いなく同じ視線・
意志に貫かれていると感じました。
野口里佳とその父の目線とが、印画紙の上で寸分なく重なり像をむすぶ。
対象への興味と愛情、視点の選び方から瞬間の切りとり方まで。
つまり、対象への『ものの見方』は父から娘へと確実に受け継がれたのだな、と。
それが染色体レベルの情報なのか、または生育過程で獲得されたものなのか、は
わかりません。
しかし確実に<それ>は伝承し、受け継がれて行く。
私と父・母、そして家族の皆が、どこか根本的なところで繋がっているように。

見ているうちに涙が溢れそうになりました。

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