わっつでも僕らの音楽でも思った。
キムラの言葉ってスッとこっちへやってきてぽとんと心の中の一番ぴったりな場所へ
落ち着いて、じんわり沁み込んでいく。
時間と共にディテールは曖昧になっていくけれど、痕跡が温かい感触として残る。

一方、名言・格言の類いは、いわゆる『良いこと言ったw』系といいますか、
誰もが瞬間的に「なるほど!」と納得しやすいように出来ている。
そこには不変の真実があるかもしれないけど、思考停止を招く危険も潜む。
特に引用時は注意が必要。
得意げに連発してる人時々見かけるけど、それは最初に言った人が凄いだけで。
あなたのは我田引水でしょwって、見抜いてる人は見抜いてるよね(笑)
知らず知らずのうちに人は『良いこと言ってる自分』の罠に陥りがちである。
キムラの言葉はそういったありがたみや良いこと言った的な感触とは無縁と思う。
どこからか拾ってきたのでなく、42年生きて・感じた経験からくる生の息づかいと
手触り=実感がある。
だから記者の観点でまとめられたインタビューの文章でも、しばしばどこかにぴかっと光る言葉があったりする。
彼の言葉は他の誰にもない、木村拓哉自身の血の通った言葉だから、もちろん開放区のように本人が書いた文章だったら最高なんだけれども、そこまで行かなくても、
独特の言い回しとか例えとか、語尾の感じが生きたものだと、かなりの精度で
木村拓哉の感触を感じることができる。
(相田さんのインタビューが秀逸なのは独特の感触を大切に掬いとってるから)

でもやっぱり一番伝わるのは、独特の声や仕草(モノマネ含む)を交え語られる
ナマの言葉だ。
昨日のスマステの、『カッコ良くメジャーを使える人』の表現なんて最高だった。
もしかしたらながら見の人には「コイツ何言ってんの?」で終わりかもしれない。
でもちゃんとみてる人にはしっかり伝わる。
ああいった場での彼の言葉は、それだけが単独で浮き上がって存在してるんでなく、番組の流れの最後にまとめとして生まれた言葉であり、図らずも(道具と人との関わりという)番組のテーマについて問題提起でもある言葉であり。
それは核心を衝くほど鋭いけど、徹底的に番組の為だけに発せられた言葉でもある。
そして喋ってるキムラは至ってシンプルで、いいこと言って締めくくらなきゃ的な
気負いのようなものは全く感じられなかった。

私なんてせこい人間だから日記(ブログ)書きながらつい「良いこと言いたい」って欲望を露呈してしまうし、日常の会話でもやっぱりそんな場面がある。
シンプルに思ったことを書く・喋るって想像以上に難しい。
とりわけ、誰かの目に触れることを意識してしまう場では。
だからキムラって凄いなーって思う。
…いや、実際はめちゃくちゃ計算してやってんのかもしれませんが(笑)
少なくとも私にはそう見える、ってことで(笑)

話変わるけど、昨日のスマステのキムラのリアクションが誰かに似てるなーと。
懐疑的➡なるほど!って納得する過程で必ず実感を伴った解説が入るとことか。
誰かな〜…って考えてたんですけど、わかった。
『マツコの知らない世界』のマツコだ。

そして昨日のビジュアル、どう思いました!?
登場した瞬間、ヘンな声でちゃったよ!!!!ひゃぁぁぁぁぁあ!!!って。
なんなんだあの可愛さはっ。
Shitaoやん←
ライトのせいか?お肌もずいぶん明るい色目になってきましたし♪
ああああああのビジュアルの久を毎週見れるのね、きゃーーーー♪
やっぱりお芝居の仕事中の彼は最高です。

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