懐中時計

2015年4月26日 日常
もうすぐ父の一周忌だ。

去年の盆休みに実家へ帰って誰も住む人の居なくなった家を整理した。
11月に母が、翌年5月に父が旅立った家のあまりのモノの量に目眩がした。
…人ってこんなにたくさんのモノに囲まれて生きてるのか。
二人とも子供時代に戦争を体験した世代だから、モノへの執着も私たちの世代より
ずうっと強かったとは思う。
それでも、人が二人生きて・暮らした痕跡というのは…あまりにも重い。
ほとんど開いたことのないと思われる物置の奥から、古びた革の黒い鞄と小物入れ。
鞄の中にはちょっとした覚え書きや日記、写真が。
小物入れからは手巻き式のSEIKOの懐中時計が出てきた。

これ、じいちゃんのやつだ。

祖父はとても穏やかで口数の少ないひとだった。
よく週末に私を百貨店に連れて行ってくれて、レストランで食事し、何かちょっとした物を買ってくれる祖父が、私は大好きだった。
痩身に白髪。古風な丸眼鏡。
出かけるときは紬の男物の着物を着、冬場はそれに黒いマントを羽織る。
頭には茶色いフェルトの帽子。足元は桐にびろうどの鼻緒の下駄。
子供心にもその姿はとってもオシャレで粋に思えた。
「じいちゃん、今何時?」と訊ねると、さっとマントの下から銀色の懐中時計を取り出して時間を教えてくれるのが、なんだかとても好きだった。
キセルでタバコを吸う祖父は、刻んだタバコの葉の匂いがした。

祖父の懐中時計はネジを巻くとチッ、チッ、と微かな秒針の音をさせて動き出した。
形見分けに、それを東京へ持ち帰った。
「これ、お母さんのおじいちゃんの懐中時計だよ。」
息子に見せた。
「へぇ。カッコいいな。これ、もらっていい?」
数日して息子はどこからか銀のチェーンを買ってきて懐中時計に取り付けた。
そして大事にしまっておいて、時々ネジを巻いている。
一日2分くらいは遅れるらしいけれど、時計の生きてきた年数を考えたら凄い。
弟にメールしたら驚いていた。

人は生きている限り何かを所有する。
その<何か>は時として所有者の寿命を超え、ひっそりと生き続けることもある。

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