瞬間を細かく分けて演じてる
2015年4月28日 キムラさん コメント (10)…というのはYAMATOの打ち上げで橋爪功さんにお芝居について問いかけられて返答に困ったキムラの代わりに答えてくださった山崎勉さんの言葉ですが。
この言葉がいかに核心を突いていたか。
アイムホームを見てるとつくづく実感いたします。
例を上げてくとたぶんたくさんあるんだけど(というかキムラの基本スタンスだからどこもそうだろうけど)ああ、正にここだなと思ったシーンが#2のラスト近く。
山野辺と久の別れ。
傘をさした久が橋の上から合図する。
なんてことのない仕草なんだけど、ほんのひと呼吸おいてすっと手を動かす。
躊躇い、そして決意。
あの一瞬で、久がなぜここに来たのか何となく予感できてしまう。
鍵を差し出し、その後は山野辺が語る過去を黙って聞く久。
このときの久の表情。
瞬間ごと、瞬きするごとに刻々と変化していく顔の角度、目の表情。
時に恥じ入るように傘ですっぽりと隠されてすら、感情が伝わってくる。
もちろん山野辺を演じる田中さんの細やかで的確な声のトーンがあってこそ、それを受ける側のキムラのお芝居の細やかさが浮き上がってくるのですが…。
凄いなぁと思ったのは、キムラは泣くお芝居をやってないように見えたんですよ。
役者さんが<泣く>お芝居をする時って例えば目を大きく瞬いたり、唇を震わせる、声を震わせる、指で目や鼻を押さえる…等のパターンがあると思うんだけど。
所謂、役になりきるタイプのお芝居といいますか。
分かりやすいぶんあっ、お芝居してるな、と感じることも多々あり。
でもキムラはほとんど動かない。唇を震わせたり噛んだりもしない。
なのに一瞬たりと同じ表情はなく細かく細かく変化していく(ように見える)
その時気づいたんです。
あ、これは泣こうとしてるんじゃなくて泣くのを堪えてる人の顔なんだな、って。
久は謝罪と別れのためにここに来た。
せっかく見つけた親友と呼べる存在と、できることならもう一度学生時代に戻って
温かい絆を結びたい。
全てがよそよそしく無関係な世界と、もう一度繋がっていく手がかりかもしれない。
でも、自分のしたことは取り返しがつかない。
声を上げて泣きたいけれど、山野辺の心を思えばそれすら傲慢かもしれない。
彼は泣くまいと堪える。
けれど意思に反して瞳は徐々に潤み柔らかに夜を照らす街灯の光にキラリと輝く。
ここ、お芝居とは思えなかったんですよね。
あまりにも微妙で繊細で、仕草とか表情と呼ぶことさえ躊躇うような、儚くうつろう一瞬一瞬の連なりに、そこにただ家路久という人が居て・泣くのを堪えていたという…まさに久が生きて・感じていたある瞬間を見ているような感覚に陥ったのでした。
しかし本当…このドラマの演出もカメラも素晴らしいですね。
役者さんのどこをどう撮るのが最適なのか知り尽くしている。
泣くのを堪える久のカットはもっと寄ってあおりの角度で撮ったほうが分かりやすく映像的にも派手なんだろうけど、それより漂う情感を優先したんだなと思います。
夜だから暗いんだけど、ライトの色が柔らかいせいか闇も優しいんですよね。
降る雨は久の後悔と喪失感を代弁してるのだろうけど、どこか温かい。
歩みさる後ろ姿で山野辺の言う「旨かったよ、ピリ辛炒め。」の声も、別れの言葉
だけれど温かい。
お前とはもうやり直せないけど、絶望しなくていいんだよ。がんばれよ。
そんなふうに聞こえたのは、田中さんの表現力ですよね。
忘れられないシーンになりました。
この言葉がいかに核心を突いていたか。
アイムホームを見てるとつくづく実感いたします。
例を上げてくとたぶんたくさんあるんだけど(というかキムラの基本スタンスだからどこもそうだろうけど)ああ、正にここだなと思ったシーンが#2のラスト近く。
山野辺と久の別れ。
傘をさした久が橋の上から合図する。
なんてことのない仕草なんだけど、ほんのひと呼吸おいてすっと手を動かす。
躊躇い、そして決意。
あの一瞬で、久がなぜここに来たのか何となく予感できてしまう。
鍵を差し出し、その後は山野辺が語る過去を黙って聞く久。
このときの久の表情。
瞬間ごと、瞬きするごとに刻々と変化していく顔の角度、目の表情。
時に恥じ入るように傘ですっぽりと隠されてすら、感情が伝わってくる。
もちろん山野辺を演じる田中さんの細やかで的確な声のトーンがあってこそ、それを受ける側のキムラのお芝居の細やかさが浮き上がってくるのですが…。
凄いなぁと思ったのは、キムラは泣くお芝居をやってないように見えたんですよ。
役者さんが<泣く>お芝居をする時って例えば目を大きく瞬いたり、唇を震わせる、声を震わせる、指で目や鼻を押さえる…等のパターンがあると思うんだけど。
所謂、役になりきるタイプのお芝居といいますか。
分かりやすいぶんあっ、お芝居してるな、と感じることも多々あり。
でもキムラはほとんど動かない。唇を震わせたり噛んだりもしない。
なのに一瞬たりと同じ表情はなく細かく細かく変化していく(ように見える)
その時気づいたんです。
あ、これは泣こうとしてるんじゃなくて泣くのを堪えてる人の顔なんだな、って。
久は謝罪と別れのためにここに来た。
せっかく見つけた親友と呼べる存在と、できることならもう一度学生時代に戻って
温かい絆を結びたい。
全てがよそよそしく無関係な世界と、もう一度繋がっていく手がかりかもしれない。
でも、自分のしたことは取り返しがつかない。
声を上げて泣きたいけれど、山野辺の心を思えばそれすら傲慢かもしれない。
彼は泣くまいと堪える。
けれど意思に反して瞳は徐々に潤み柔らかに夜を照らす街灯の光にキラリと輝く。
ここ、お芝居とは思えなかったんですよね。
あまりにも微妙で繊細で、仕草とか表情と呼ぶことさえ躊躇うような、儚くうつろう一瞬一瞬の連なりに、そこにただ家路久という人が居て・泣くのを堪えていたという…まさに久が生きて・感じていたある瞬間を見ているような感覚に陥ったのでした。
しかし本当…このドラマの演出もカメラも素晴らしいですね。
役者さんのどこをどう撮るのが最適なのか知り尽くしている。
泣くのを堪える久のカットはもっと寄ってあおりの角度で撮ったほうが分かりやすく映像的にも派手なんだろうけど、それより漂う情感を優先したんだなと思います。
夜だから暗いんだけど、ライトの色が柔らかいせいか闇も優しいんですよね。
降る雨は久の後悔と喪失感を代弁してるのだろうけど、どこか温かい。
歩みさる後ろ姿で山野辺の言う「旨かったよ、ピリ辛炒め。」の声も、別れの言葉
だけれど温かい。
お前とはもうやり直せないけど、絶望しなくていいんだよ。がんばれよ。
そんなふうに聞こえたのは、田中さんの表現力ですよね。
忘れられないシーンになりました。
コメント
今回、表情と瞳の変化で感情を表すシーンが凄く多くて、それは昔から木村くんの得意とする所なので、そこを上手く掬い取ってくれる撮り方に「よしっ!!」とガッツポーズを取りましたよ。表情を撮るって、何もドアップの事だけでは無いんですよね。うんうん。
切ないのが大好物な私の為にあるようなドラマで本当に毎日がパラダイスのようです。:+.゜ヽ(*′ω`)ノ゙。:+.゜
そうなのよ。
なんかいろんな媒体で久なキムラが褒められてて、それはめちゃ嬉しいんだけど、
ちょっとまて。
キムラは急にお芝居が上達したわけでもキャラが変わったわけでもない。
ずっと前から細やかで自然だし、オレ様よりヘタレ系で人気爆発したんだよ?
と声を大にして言いたい。
それは置いといて。
師匠が言うとおりパラダイスですよ!
つい数ヶ月前まで「テレ朝でドラマやればいいのにねー。」なぁんて言ってたのが!
まさに!!!理想の形で!!!!実現したわけでっ!!!!!
ああ、嬉しい。
さあ、次は映画!!!んhk!!!!(大河以外)、シリアルキラー!!!ヒモ男!!!言霊、言霊。
「瞬間を細かく分けて演じている」
まさに私もそう思っていました。
それに気づいたのは「プライド」の時。
私は自分では感情の諸段階、と思っていますが、
AからBに感情が移る際にも彼はAからいくつもの
段階を得てBに移っていくので、それも自然に、
見ている側も一緒に感情の変化を経験しているように
思ってしまいます。
これが木村さんのドラマの醍醐味だと。
4話でも恵にお受験のことで言い寄られる時のシーン、
屋上で元部下からブラック久のやり方を聞いたシーン
徳山夫妻の会話を聞いているシーン等々。
本当に稀代の表現者だと思います。
以来その瞬間を見つけるのが楽しみになっています。
私は
感情の諸段階。いい言葉ですねー。
彼の感情表現が自然な理由のひとつはそれでしょうな。
感情の動きの表現と見せ方がより日常に近いんですよね。
役者さんによっては感情の昂りが唐突すぎて、みてる側が置いてけぼりになっちゃうこともありますが、キムラはおっしゃる通り、見る人に寄り添った…というか。
ちょうどさっきのわっつであのシーンの話をしてましたが、お聞きになりましたか?
いや〜…予想通り、予想以上の人ですな。
ワッツ、聴けないのですが皆さんのツイで知りました。
自然の涙だったのですね、やはり凄い!
私が凄い女優だと思っているフランスのジャンヌ・モロー
が言っている印象的な言葉があります。
「役者にとって必要なのは、包み込まれる意識、役柄への
無意識の精通。それだけよ」
今回までの久さん、いえ木村さんのことを端的に表して
いるように感じるのは私だけ?
HI様、九州生まれの九州育ちでいらっしゃるとか。
私もそうです。ただ中学3年の時、残念ながら本州に。
これからもよろしくお願いいたします。8gqod
>>「役者にとって必要なのは、包み込まれる意識、役柄への
無意識の精通。それだけよ」
ほんとだ、キムラのことですよ、これ。
世界共通認識なのかも。ある種のリアリティについて深く考えたことのある役者さんならば…。
裕子さんも九州出身なんですね。私は別府市で生まれ育ち、大学は北九州でした。
こちらで就職したんですけど、たまに帰ると何かホッとしますよね、九州は。
まぁいろんな意味で情報量すくないし、田舎特有のめんどくささもあるんだけど。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします!
私も湯の町、別府生まれです!
母は自宅の温泉でオムツ洗えて良かったって
よく言ってました(笑)。
中学時代は小倉~鹿児島でした。
鹿児島は東洋のナポリだと地元の友人は
自慢してましたが、その通りで大好きな
ところです。
今後ともよろしくお願いします!!
てか、温泉でオムツ洗うなんて…贅沢っすw 変色しないのかしら(^^;;
鹿児島、行ったことがなくて。食べ物、おいしいらしいですね。
小倉は893だらけでした(当時)
こちらこそよろしく(*^^*)
オムツが変色しなかったか?
思わず笑ってしまいました。確かにね、変色した
でしょうね。ただ昔のオムツは今と違って古い
使い古して柔らかくなっている浴衣等で作ってあったので
もう最初から変色していたかも知れません(笑)。
HI[さまの「真っ白な久は。。。」、私もそう思いました。
テレビの生番組をいくら良雄の運動会のためとはいえ、
ドタキャンして。あれはブラック久の片鱗ですよね。
きっと鬼山さん、再びカンカンだったかもです(笑)。
ひとの過去って決して取り返せないものだと思っています。
今、ちょうど読んでいる本の中に
過去は「過去よ、消え去れ、汝はあまりにもおぞましい」と叫んで
その抹殺を望んでも、けっして消去することのできない、
抹消不可能な汚点として、人間にとってはつねにあらゆる意味での
苦悩の源泉である。
なんだかブラックホワイトひ~さんの心の内を物語っているようで
辛いです。
ブラック久の片鱗らしき部分はあちこちに…。
まず今の妻と子が仮面に見えること自体おそらく過去の<何か>によるもので。
久は「一度死んだんです。生きてるのが奇跡らしいです。」って言ってましたね。
>>過去は「過去よ、消え去れ、汝はあまりにもおぞましい」と叫んで
その抹殺を望んでも、けっして消去することのできない、
抹消不可能な汚点として、人間にとってはつねにあらゆる意味での
苦悩の源泉である。
過去は消えない。
記憶を消去して誰も知らない場所で暮らしても、私が私である限りそうでしょう。
過去は苦悩の源泉でありかつ喜びとその人らしさを支える柱でもあり。
10本の鍵を握りしめて奔走する久は最後に何をみるでしょうね。