アイムホームの2話。
山野辺と久の別れのシーン。
あの涙がお芝居には見えないと少し前に書きましたが
http://holidaze.diarynote.jp/201504281129341258/
昨日のわっつを聴いて、ああまさにそうだったのだなと感無量。

脚本には涙を流すとは書かれていなかった。
山野辺を演じた田中さんとお芝居をしていたら自然にぶわっと涙が出て来た。
自分では「これはNGだな。」と思ったが、(七高)監督はOKを出した。

例え最初のイメージに涙はなかったとしてもあれは最高のカットでした。
そして殊更にドラマティックにせず、カメラを固定のまま静かに回したセンス。
素晴らしい。
遠過ぎも近すぎもしない絶妙の距離感は、あの瞬間の奇跡のような空気とお芝居に
絶対的に欠かせない要素だったと思います。

キムラはビジュアルや役柄のイメージで誤解されがちですが、決して派手なお芝居を
する人じゃありません。
これ以上細かくできないほどの瞬間を丁寧に繊細に演じている役者さん。
また、あのシーンが素晴らしかったのは、彼自身が語っている通り山野辺を演じた
田中さんの力でもある。

田中さんとお芝居していて自然にそうなった。

田中さんのお芝居のスタンスは恐らくキムラと近いんじゃないでしょうか。
頭で組み立てるよりその場の感情・感覚を優先する。
お芝居は自分独りで組み立てるものでなく、相手(の役者さん)とのコミュニケーションから自然に生まれてくるもの。
心と感情の動きがほとんどの場合、人と人のやり取りから生まれてくるのを考えるとこのやり方こそ人間の<日常に於ける自然な表現>に一番近いはず。
一人で台本を読み込んだ演技プランでは到底表現できない、血の通った…切れば血の滲むような、生々しい人の心とカラダの動きがある。
難しい演技論なしで本能的にその戦略を身につけたキムラはやはり、天賦の才の人、
に間違いありません。
なんというか…彼の感受性の鋭さ、濃さ、深さ。
尋常じゃないですね、間違いなく。

それだけに彼自身、どこに感情のピークを持ってくか、に課題があると。
リハーサルの段階でピークがきちゃって泣いたりすると、いざ「本番!」の時に、
同じように泣こうとしても「(リハ時の)感情をなぞってる感じになる。」と。
…そういえばCHANGEの最終回、一人演説のシーンの裏話でそんなことを語ってた
記憶があります。
ICWRのトラン・アン・ユン監督も「いつもワン・テイク目に最良の芝居をする」と
語ってましたっけ。
(それを即座に見抜く監督も素晴らしいですよね。作品は監督のものであるけれど
私物化できるものでもなく、常に見る側を意識し、最上を見抜く力が欠かせない)

キムラの感性、心と身体の働きの見事な調和。
そして美しい姿と声、まっすぐでナイーヴですらある佇まい。
こんな役者さんきっと数十年に一人…彼の居る時代に生きて本当に良かったなぁ。

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