アイムホーム#6
予告通りの怒濤の展開でした…いろんなことを感じ過ぎ・考え過ぎて。
ひとつだけ。

ラストのあのシーン。
「これからは君をしっかり見るから。」
心を決めた久が恵を抱き寄せ、優しく深い口づけを交わす。目を閉じて。
抱きしめた恵の肩越しに見える表情は安堵、そして小さな希望が浮かぶ。
…腕の中の恵の身体は柔らかで、確かな温もりがあったに違いない。
良雄を抱いて走った時、去年のあの瞬間を思い出したように。
もしかしたら。
奇跡は起きるかもしれない。
顔を上げまっすぐに見つめた久の目に映ったものは。
打ち砕かれる男の、やるせなさと絶望、苦痛。
言葉は、ない。

胸が痛くなりました、本当に。
久の苦痛がこっちに移ったみたいに。
#2の山野辺のシーン同様、あれは普通の意味でのお芝居ではない。
久に妻の顔が見えないように、木村拓哉には上戸彩の顔が見えていないのだと。
脳が、目に映った画像を理解するのを拒否している。
そういえば、武士の一分でもこんなエピソードがありました。
目は開いているが何も見えない武士、新之丞役。
撮影が進むにつれ、セットの縁側から脚を踏み外しそうになる。
熱した鉄の小道具に無造作に手を伸ばし火傷しそうになる。
自動車の運転も危なっかしい。
視覚は新之丞のそれに支配され、キムラの脳は目に映ったものを理解しなくなる。
…細胞レベルで役に生まれ変わるの?と思ってしまうのは、こんな時。

リピートして気づいたんですけど、あのシーン、十数秒無音になるんです。
直前まで流れていたBGMが消え、セリフも一切なし。
そのせいで妙な緊張感が生まれる。何かが起きる予感。
自然と画面に集中する。
つまり恵の肩越しの久の表情の変化へと。
お見事。
極限まで削ぎ落した演出が最高の効果を上げてます。
あのシーンに言葉は一切いらないですよね。
言葉の、説明する機能は「分かったような気にさせてくれる」かもしれないけれど、
人の感情はもっと移ろいやすく豊かで、表情や佇まいは時に遥かに雄弁です。
それを描き・表現し・味わう為にこそドラマや映画やお芝居があるのですから。

コメント

nophoto
裕子
2015年5月22日20:28

HI様
このドラマ、サスペンスホームドラマって言われてましたけど、
私にはこの回は高度な心理劇ドラマに思えました。

別荘にいくのを恵は久と良雄に確かめたり、久も恵の気持ちを
察したり、13課の面々も押しかけて来てるのに家路一家の
様子をそれとなく気にしたり。

ラストに行く前の、テラスでの「わたしがみえてないんじゃないの」
は久の心の中を必死に探ろうとする恵の心情が視聴者に手にとるように
分かりました。

そしてHI様の言われるようにラスト、久の奇跡を願う思いが無残に砕かれ、絶望へと変わっていく心情の変化(私的には感情の諸段階)・心理を見事に全身で
表現していました。

こんな木村さんを見る度に映画「ベニスに死す」でアッシェンバッハという、美少年に想いを寄せた音楽家の苦しい心情をほとんど言葉なしで完璧に演じた英国の俳優ダーク・ボガードを思い出すのです。
きっと木村さんも彼の域に達することが出来ると信じています。

HT
2015年5月23日1:27

裕子様、こんばんは。

なるほど。心理劇ドラマですね!納得。
アイムホームの演出はじっくり腰を落ち着けて見ていないと分からない、細かい仕掛けがたくさんありませんか?
自分から楽しもうとする姿勢も大事ですよね。
そういうドラマ、私は好きです。
『ベニスに死す』
むか〜し見ました。しかし当時高校生だった自分にはイマイチわからず…。
今見たらきっと違う角度から見れそうです。お勧めありがとうございます!