http://www.niki2015.jp
ニキ・ド・サンファル。
子供の頃から名前と作品を知っていたので、
不思議な懐かしさがありました。
ニキといえばカラフルな色彩と大きくデフォルメされた
女性の肉体や、暗示的に絡み合うヘビをモチーフとした
オブジェを思い出します。
しかしそのイメージは、時代と共に変化し、
成熟しながら走り続けた彼女の、
ごく一部だったのだと知りました。
最初期、アーティストとして生きて行く決意表明の時期の作品は
’50年代アルジェリア戦争のまっただ中だったパリの空気を
反映したのか、<生む性>である女性のデフォルメされた肉体に
<恐怖・破壊>を象徴する爬虫類やピストルのおもちゃを貼付け、
白と黒の対比を巧みに利用したアグレッシブな作品が中心です。
その頂点が『射撃アート』。
http://www.niki2015.jp/point/point1.html#link
人形や造花、教会の模型など様々な<人間の営み>を連想させるものと塗料の入った缶を大きな板に張り付けて真っ白な漆喰で塗込んだものをキャンバスに見立て、
ライフルで打ち抜くことで彩色していくパフォーマンス。
会場で’61年当時のフィルムを見たのですけれども、小鳥の声が響くのどかな野原に
観客を集め、雑誌のモデルでもあった容姿端麗な彼女が、目の前でライフルを撃ち
<作品>をぶち抜いていく様子は今見てもかなりのインパクトがあります。
当時衝撃的に受け止められたのも当然でしょう。
そしてニキは、自分がどう見えるかよーくわかってやってる感じ。楽しそう。
でも、その行為自体を楽しんでしまうと、本来のテーマから外れるんじゃ?
…と思っていたら、ご本人も「のめり込み過ぎるのは危険」と感じて、
二年でスッパリ止めたそうです(笑)
やがて彼女は自分と周りの女性たちを取り巻く社会への疑問から、女性性の開放を
テーマにした作品作りへと傾倒して行きます。
妊娠した友人の姿がヒントとなって生まれたのが、彼女の代表作となる『ナナ』
http://www.niki2015.jp/point/point2.html#link
大きな乳房、妊婦のように膨らんだ腹、りっぱなお尻と太もも。
アフリカの民族衣装のようなカラフルで力強い原色の色使い。
激しく打ち鳴らすドラムの音が聞こえてきそうな大胆な動きを感じるポーズ。
豊満で圧倒的な肉体とは対照的に、頭は極端に小さい。
それはたぶん『ナナ』が特定の誰かでなく全ての女性への祝福であり讃歌だから。
今よりも女性の社会参加が制限され、女らしさの価値観が固定化されていた時代。
ニキは社会を攻撃するのでなく、女性を肯定的に捉え賞賛することで、抑圧を否定し
より自由を手に入れる道を選んだ。
初期の危うさを内包したアグレッシブさから、よりしたたかに・力強くなったのを
感じました。
ニキがアーティストを志したのは重い精神疾患にかかったのがきっかけだそう。
創作活動が病気からのリハビリテーションに有効だったからとか。
草間彌生に似てるな…と思いました。
彼女も精神の病に苦しみ、壊れそうな自我の支えとして創作活動を続けている。
パリとNY/東京という違いはあれ、二人とも女性を取り巻く様々な抑圧を強く感じ、
創ることで内なる闘いを外へ・社会と人々に向けて発信していく。
ただ、二人の内面世界が発展・深化していく過程はある意味対照的。
永遠の少女の世界に留まり続けながら、遥か宇宙の彼方・時間の終わる場所までを
見通そうとする草間彌生。
少女から女性へ、より充実した生を求め、変化流転しながら世界と自我とが交わる
場所を探し続けたニキ・ド・サンファル。
晩年、ニキは日本のコレクター増田静江氏と出会い、交流を深めながらスピリチュアルな世界の探求へと傾倒していったようです。
日本のニキ美術館は残念ながら閉館してしまいましたが、イタリアのトスカーナの
とある場所にニキのオブジェで埋め尽くされた『タロットガーデン』があるそう。
http://www.niki2015.jp/point/point6.html#link
会場でフィルムを見ましたが、タイルとガラスとで埋め尽くされた不思議な庭は
この世のものとは思えない、奇妙な美しさ。
行ってみたいなぁ…。
最後の、タロットガーデンのコーナー。
会場の真ん中に鎮座する、たくさんのヘビの頭の枝を持つ、ガラスとタイルでできた
輝く神秘の樹のオブジェ。
北欧神話に出てくる『世界樹』を連想しました。
ニキはついに世界と自分の交わる場所を…永遠の庭を見つけたのかもしれません。
*写真1『ブッダ』 2『フクロウの椅子』 3『ナナ』
ニキ・ド・サンファル。
子供の頃から名前と作品を知っていたので、
不思議な懐かしさがありました。
ニキといえばカラフルな色彩と大きくデフォルメされた
女性の肉体や、暗示的に絡み合うヘビをモチーフとした
オブジェを思い出します。
しかしそのイメージは、時代と共に変化し、
成熟しながら走り続けた彼女の、
ごく一部だったのだと知りました。
最初期、アーティストとして生きて行く決意表明の時期の作品は
’50年代アルジェリア戦争のまっただ中だったパリの空気を
反映したのか、<生む性>である女性のデフォルメされた肉体に
<恐怖・破壊>を象徴する爬虫類やピストルのおもちゃを貼付け、
白と黒の対比を巧みに利用したアグレッシブな作品が中心です。
その頂点が『射撃アート』。
http://www.niki2015.jp/point/point1.html#link
人形や造花、教会の模型など様々な<人間の営み>を連想させるものと塗料の入った缶を大きな板に張り付けて真っ白な漆喰で塗込んだものをキャンバスに見立て、
ライフルで打ち抜くことで彩色していくパフォーマンス。
会場で’61年当時のフィルムを見たのですけれども、小鳥の声が響くのどかな野原に
観客を集め、雑誌のモデルでもあった容姿端麗な彼女が、目の前でライフルを撃ち
<作品>をぶち抜いていく様子は今見てもかなりのインパクトがあります。
当時衝撃的に受け止められたのも当然でしょう。
そしてニキは、自分がどう見えるかよーくわかってやってる感じ。楽しそう。
でも、その行為自体を楽しんでしまうと、本来のテーマから外れるんじゃ?
…と思っていたら、ご本人も「のめり込み過ぎるのは危険」と感じて、
二年でスッパリ止めたそうです(笑)
やがて彼女は自分と周りの女性たちを取り巻く社会への疑問から、女性性の開放を
テーマにした作品作りへと傾倒して行きます。
妊娠した友人の姿がヒントとなって生まれたのが、彼女の代表作となる『ナナ』
http://www.niki2015.jp/point/point2.html#link
大きな乳房、妊婦のように膨らんだ腹、りっぱなお尻と太もも。
アフリカの民族衣装のようなカラフルで力強い原色の色使い。
激しく打ち鳴らすドラムの音が聞こえてきそうな大胆な動きを感じるポーズ。
豊満で圧倒的な肉体とは対照的に、頭は極端に小さい。
それはたぶん『ナナ』が特定の誰かでなく全ての女性への祝福であり讃歌だから。
今よりも女性の社会参加が制限され、女らしさの価値観が固定化されていた時代。
ニキは社会を攻撃するのでなく、女性を肯定的に捉え賞賛することで、抑圧を否定し
より自由を手に入れる道を選んだ。
初期の危うさを内包したアグレッシブさから、よりしたたかに・力強くなったのを
感じました。
ニキがアーティストを志したのは重い精神疾患にかかったのがきっかけだそう。
創作活動が病気からのリハビリテーションに有効だったからとか。
草間彌生に似てるな…と思いました。
彼女も精神の病に苦しみ、壊れそうな自我の支えとして創作活動を続けている。
パリとNY/東京という違いはあれ、二人とも女性を取り巻く様々な抑圧を強く感じ、
創ることで内なる闘いを外へ・社会と人々に向けて発信していく。
ただ、二人の内面世界が発展・深化していく過程はある意味対照的。
永遠の少女の世界に留まり続けながら、遥か宇宙の彼方・時間の終わる場所までを
見通そうとする草間彌生。
少女から女性へ、より充実した生を求め、変化流転しながら世界と自我とが交わる
場所を探し続けたニキ・ド・サンファル。
晩年、ニキは日本のコレクター増田静江氏と出会い、交流を深めながらスピリチュアルな世界の探求へと傾倒していったようです。
日本のニキ美術館は残念ながら閉館してしまいましたが、イタリアのトスカーナの
とある場所にニキのオブジェで埋め尽くされた『タロットガーデン』があるそう。
http://www.niki2015.jp/point/point6.html#link
会場でフィルムを見ましたが、タイルとガラスとで埋め尽くされた不思議な庭は
この世のものとは思えない、奇妙な美しさ。
行ってみたいなぁ…。
最後の、タロットガーデンのコーナー。
会場の真ん中に鎮座する、たくさんのヘビの頭の枝を持つ、ガラスとタイルでできた
輝く神秘の樹のオブジェ。
北欧神話に出てくる『世界樹』を連想しました。
ニキはついに世界と自分の交わる場所を…永遠の庭を見つけたのかもしれません。
*写真1『ブッダ』 2『フクロウの椅子』 3『ナナ』
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