蜷川さんのお通夜の映像を何度も見た。
薄い色付きの眼鏡。
それは涙を、濡れた瞳を見せないためだなと思った。
常にカメラを、人の「目」に映る・見られるのを意識せざるを得ないということ。
本人の望む・望まざるは最初から論外であるということ。
色付きの眼鏡を<サングラス>とわざわざ表現した某媒体の底意地の悪さというか、
見え見えの意図に虫酸が走ったけど、そうするしかなかった木村の心の内。
(後で<色付きの眼鏡>と訂正したらしいけど)

その、蜷川さんとのお別れの日のことを語った昨夜のワッツ。

体調が思わしくないのを知っていたけど一報を知り「誰かと話さないと」と思い、
去年蜷川さんとお仕事をした亀梨くんに連絡したと。
…私ごとですが、母の急死の連絡を受けたときのことを思い出した。
頭の中が真っ白になって「死んだ」事実と「生きてるときの母」の映像がどうしても
一致しなくて。
『死』という言葉が想起させるあの断絶した感じと、生きてる時の<その人の記憶>っていうのは非常に結びつき難いもんです。
混乱した気持ちを整理するのに、誰かと分かち合いたいって感覚凄く分かるし、
蜷川実花さんの撮った遺影に問いかけられてる気がした、との言葉がね…。
「悲しい」とか「悔しい」とか感情に結びつく言葉は無く。
目に映ったもの、そこから想起された<感じ>だけを淡々と語ってた。
ありきたりな言葉ではどうしたってぴったりこない自分の中の葛藤。
いろんな思いがどっと押し寄せてきて、混乱する感覚。
…言葉と言葉の間のふとした瞬間、もしかして泣いてるんじゃないかって気がして、
胸が苦しくなったよ。

あの時、ネットニュースに踊った木村のことば。

『ものすごく悔しい』
『右も左もわからなかった自分に人から拍手してもらえる喜びと苦しさを教えてくださった』

蜷川さんの舞台に立ったのは17歳。
所詮芸能界、って舐めてかかってた自分にそうじゃないんだぞと教えてくれた。
『背中を押してくれたひと。』
あの舞台がなかったら今の自分は居なかった。
Gとしても個人としても、あの舞台がすべての原点だと。

時は戻らない。
もう10年、せめて5年、早かったら?と思わずにはいられません。
でもそれを誰よりも分かっているのもまた木村拓哉自身に違いない。

お通夜で会った蜷川実花さんと交わした会話。

「やっと会えたね。」
「じゃ、また。」

今までは接点はなかったけれど、これからは。
木村は、ことばではっきりと言い切ってくれた。
<今まで>と<これから>。

木村拓哉の目線はまっすぐ前を見据えている。

彼が蜷川さんへの想いを語ったあとに選んだ曲=『夜空ノムコウ』

ずっとずっと自分に問いかけ続ける、結論のでない僕の<いま>の詩。

あの頃の未来に、僕(ら)は立っているのかな?
すべてが思うほど上手くはいかないみたいだ。
悲しみっていつかは消えてしまうものなのかな?
夜空の向こうにはもう明日が待っている。

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