昨日はスマスマはリアルタイムで見なくてNHKのクローズアップ現代を見ていた。
亡くなった蜷川氏の、過去(’09)のインタビュー。
私は蜷川氏の舞台を見たことがない。
というか舞台でのお芝居をあまり見たことがない。
そんな私でも蜷川氏のイメージっていうのはしっかりあって、それは稽古中に灰皿が
飛んできたり激しい言葉で俳優を罵倒するというものだったし、盲導犬の稽古での
木村の様子を読んだり聞いたりした時もその印象は変わらなかった。
しかし仕事場とプライベートでがらっと変わってしまう人って結構居るもので、ここ
二週間程で知った蜷川氏とは、まさにそのタイプの人だったようだ。
土曜日に放映された100年インタビューでは穏やかな声で話す理知的で分析的な人柄
を偲ばせるものだったし、何度もくり返し出てくる「恥ずかしくて」という言葉が
印象的で、実は自意識の強いデリケートな男性なのだなと感じた。
日頃「恥ずかしくて」できないことが演出家の顔になるとできる。
それを「演出家を演じているのかも」と表現したのが、いかにも演出家らしい。
『この役者に今必要なのは何か、それを見つけ、伸ばすのが自分の仕事』だと。
そんな蜷川氏が理想としてあげた役者のイメージ。
大きく腕を広げてハグする仕草を見せながらこう語った。
『自意識を感じさせず、全てを抱きしめられる大きな』役者だと。
「恥ずかしい」と感じるのは<自意識>だし、自分をこう見せたい・人にこう思われたいと思うのも<自意識>で、それが強くなりすぎると、お芝居は表現の目的でなく
手段へと堕してしまう。
自分が役者としては<自意識>を捨てられなかったからこその言葉かもしれない。
そして昨日のクローズアップ現代ではこの言葉が強く印象に残った。
『皆が右に行ったとしても自分が信じるなら一人でも左に行くんだよ』
アングラ演劇から商業演劇へ転身を図ったことで仲間に非難され孤立した蜷川氏が
幼い頃の娘の実花さんに語ったことば。
これは生涯蜷川氏の生き方の指針だったのかもしれない。
人が行ったことのない道を進め。
たとえイバラの道だったとしても、信じて進め。
蜷川氏は役者さんに最も必要だと思われる言葉を贈る方だったと。
もし木村が蜷川氏の舞台に立つことがあったとしたらどんな言葉を贈っただろう。
亡くなった蜷川氏の、過去(’09)のインタビュー。
私は蜷川氏の舞台を見たことがない。
というか舞台でのお芝居をあまり見たことがない。
そんな私でも蜷川氏のイメージっていうのはしっかりあって、それは稽古中に灰皿が
飛んできたり激しい言葉で俳優を罵倒するというものだったし、盲導犬の稽古での
木村の様子を読んだり聞いたりした時もその印象は変わらなかった。
しかし仕事場とプライベートでがらっと変わってしまう人って結構居るもので、ここ
二週間程で知った蜷川氏とは、まさにそのタイプの人だったようだ。
土曜日に放映された100年インタビューでは穏やかな声で話す理知的で分析的な人柄
を偲ばせるものだったし、何度もくり返し出てくる「恥ずかしくて」という言葉が
印象的で、実は自意識の強いデリケートな男性なのだなと感じた。
日頃「恥ずかしくて」できないことが演出家の顔になるとできる。
それを「演出家を演じているのかも」と表現したのが、いかにも演出家らしい。
『この役者に今必要なのは何か、それを見つけ、伸ばすのが自分の仕事』だと。
そんな蜷川氏が理想としてあげた役者のイメージ。
大きく腕を広げてハグする仕草を見せながらこう語った。
『自意識を感じさせず、全てを抱きしめられる大きな』役者だと。
「恥ずかしい」と感じるのは<自意識>だし、自分をこう見せたい・人にこう思われたいと思うのも<自意識>で、それが強くなりすぎると、お芝居は表現の目的でなく
手段へと堕してしまう。
自分が役者としては<自意識>を捨てられなかったからこその言葉かもしれない。
そして昨日のクローズアップ現代ではこの言葉が強く印象に残った。
『皆が右に行ったとしても自分が信じるなら一人でも左に行くんだよ』
アングラ演劇から商業演劇へ転身を図ったことで仲間に非難され孤立した蜷川氏が
幼い頃の娘の実花さんに語ったことば。
これは生涯蜷川氏の生き方の指針だったのかもしれない。
人が行ったことのない道を進め。
たとえイバラの道だったとしても、信じて進め。
蜷川氏は役者さんに最も必要だと思われる言葉を贈る方だったと。
もし木村が蜷川氏の舞台に立つことがあったとしたらどんな言葉を贈っただろう。
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