ON THE ROAD
2016年7月21日 キムラさん コメント (4)その男は眠っている。
ぼんやりと灰色がかった空から弱い朝の光が彼を照らす。
無防備に目を閉じ少し身体を丸めた男はゆっくりと目を覚ます。
夢を見ていた気がする。
すでに輪郭も曖昧で、灰色のぼんやりした不安だけが残る。
そんな時の癖で唇にキュッと指を当てて考える。
どこへ行こう?
路上の暮らしは明日もあさっても白い霧のなか。
見えるのは、今日という一日だけ。
少し歩いて海を見に行く。
風はなく足下の岩に寄せる波も穏やかだ。
空は銀色。足下の海は緑がかって、海と空は水平線で融け合って見える。
ぼんやり考える。
乞われればどこへでも自分の足で赴き、癒しと言葉を差し出してきた。
人は貪欲で彼を賞賛したり崇拝したりしながら、際限なく欲しがる。
だんだん自分が空っぽになって行く気がする。
頭を掻きむしり叫びだしたくなる。
猛スピードで逃げ出したくなることもある。
太いロープが絡まって蛇のように締め付けられているような気がする。
痛みが皮膚を切り裂き血が吹き出すかもしれない。
だけど、 と彼は考える。
求められること。
それは人の想いで生かされていること。
もしかしたら、それは、幸せなことではないだろうか?
彼はスニーカーの紐をぎゅっと締め直す。
顔をあげぐっとつま先に力をいれる。
そして再び路上に立ち、まっすぐ遠くを見つめる。
路上の聖者。
ぼんやりと灰色がかった空から弱い朝の光が彼を照らす。
無防備に目を閉じ少し身体を丸めた男はゆっくりと目を覚ます。
夢を見ていた気がする。
すでに輪郭も曖昧で、灰色のぼんやりした不安だけが残る。
そんな時の癖で唇にキュッと指を当てて考える。
どこへ行こう?
路上の暮らしは明日もあさっても白い霧のなか。
見えるのは、今日という一日だけ。
少し歩いて海を見に行く。
風はなく足下の岩に寄せる波も穏やかだ。
空は銀色。足下の海は緑がかって、海と空は水平線で融け合って見える。
ぼんやり考える。
乞われればどこへでも自分の足で赴き、癒しと言葉を差し出してきた。
人は貪欲で彼を賞賛したり崇拝したりしながら、際限なく欲しがる。
だんだん自分が空っぽになって行く気がする。
頭を掻きむしり叫びだしたくなる。
猛スピードで逃げ出したくなることもある。
太いロープが絡まって蛇のように締め付けられているような気がする。
痛みが皮膚を切り裂き血が吹き出すかもしれない。
だけど、 と彼は考える。
求められること。
それは人の想いで生かされていること。
もしかしたら、それは、幸せなことではないだろうか?
彼はスニーカーの紐をぎゅっと締め直す。
顔をあげぐっとつま先に力をいれる。
そして再び路上に立ち、まっすぐ遠くを見つめる。
路上の聖者。
コメント
まさに、そんな物語が浮かぶ奥行きのある写真でしたよね。
あまりに圧倒的なものに出会うと中々に文章に出来ないのがもどかしいのですが。
そのもどかしい抽象的な部分を文字にして読ませて頂いた気がしました(´∀`*)
彼が生きてきた時間を感じさせる写真でしたよね。
>>彼が生きてきた時間を感じさせる写真でしたよね。
そう、そうなんです。
だからこれは操上さんしか撮れない写真かもしれなくて。
写真家がポートレートを撮るのもいろんなアプローチがあると思うのですが、
ここにある写真たちはまるで短編映画のよう。
木村と操上さんは被写体/写真家だけでなく役者/演出家でもあったかも。
まさにセッションですねー…凄いなぁ。
両方が能動的にお互いにアプローチし合ってこそ、と言いますか。
だからこそ印刷されてない部分をも、何となく読み取ってしまうような。
ちょっと詩に近いところのあるグラビアだよね。
本当に「この続きはどこで読めますか」と私も期待したいです。
HT様の表現力に改めて感動しています!
彼は考える。
そして
<出来る限りの準備をして、向き合うべきものに向き合って
今日という日を全力で生きたい>
ひとが生きるというのはまさにこれしかない、と。
私には「路上の聖者」であると同時に「路上の哲人」に
思えました。私自身襟を正す思いです。
「路上の哲人」
なるほど。納得です。
自分の内側を見つめているような…そんな表情ですが、感傷に沈み込むことなく
ただそこに居る感じ。
カメラの存在を全く感じさせないといいますか。
木村と操上さんの意識と感情の流れがぴたりと一致してるからと思います。
写真はその一瞬を写し取ったものですが撮り方でそれ以上のものになる。
言葉でなく存在で人の生きる意味みたいなものまで表現しているよう。