雑音は相変わらずで時には怒りや無力感に駆られそうになるかもしれないけど。
楽しみたい。 です。
一年半、アイムホーム以降ずっと待っていた木村拓哉の作品。
やっと・・・やっとですよ。長かった。
時間さえあればリピートしているA LIFE。
何度見ても面白くて同じシーンで同じ感情に陥ってしまう。
特に壮大と一光のシーン。
言葉のちょっとしたニュアンス。目線の動き、体の動き。
お芝居とはセリフを言って喜怒哀楽を表現する技術じゃないんですよね。
心を、その人物の味わう感情の機微を、見ている人に伝えること。
文字で書かれた脚本をどこまで深く読み込み、どんな風に表現するのが最適か。
その判断はもちろん役者一人一人によるものですが、一人芝居でもない限り、必ず
相手がいて、自分のアクションに対して相手のリアクションが返ってくる。
アクションーリアクションの応酬がシーンへ、そこからストーリーへと広がる。
相手のリアクションを事前に完璧に把握するのは不可能ですから、どうアクションを
返して行くかで役者のセンスとか癖とかが浮き彫りになって行く。
木村のお芝居を見てるとここの部分の間口がとても細やかで広いんだろうなと思う。
リアクションのニュアンスをきっちり拾って反応してるんだよね。
とりわけやっぱり浅野くんとのお芝居ね・・・息ぴったりというかなんというか。
アクションーリアクションのタイミングの自然さにほぉ・・・と感心してしまう。
例えば壮大と一光のハグのシーン。
壮大が握手しようと手を差し出す。間髪入れず一光がカートのハンドルを渡す。
一瞬戸惑う壮大を、いきなりガシッと肩を抱く一光。
あのハグはちょっと見、再会の喜びに見えるけど、乱暴すぎる感じもある。
パッとカメラが切り替わった時の壮大の表情も明らかに動揺している。
そこがちょっとした違和感になり、その正体が、次の二人のシーン・・・
壮大が沖田を食事に誘うシーンへと繋がり、明らかになる。
「結婚、おめでとう。」一拍おいての「・・・ありがとう。」
あのハグのシーンはそういうことだったのか、と。
「お前、深冬と一緒になったんだってな。」
って沖田の心のつぶやきが聞こえてくるようなハグだったのだ。
あのハグを浅野くんと木村が現場で二人で話し合って決めたってのが凄い。
TV LIFEpremiumでのインタビュー。
木村は脚本を読み込んで読み込んで現場に臨む。
役柄を読み込み、想像を巡らせながら入り込んでいく。
場面が浮かび上がり、自分と相手の声が聞こえ姿が見えてくる。
沖田の皮膚が自分のものとなり、言葉が自分の口から違和感なく流れ出すまで。
その作業を経てようやく架空の存在である沖田が血と肉を持った存在として現れる。
まさに表現・・・そのもの。
その彼が、浅野くんと対峙すると読み込みの深さが足りなかったと感じる、と。
そのくだりを読みながらゾクゾクしました。
何かとんでもないことが現場で起きているのではないか?と。
<沖田と壮大のお芝居をする二人がいる>
現場のスタッフはそのゾクゾクする感じをリアルタイムで味わっている。
そして容赦なく「こっちのパターンやってみましょうか?」と提案する監督(笑)
ドラマでも映画でも映像へ立ち上げていく作業は体力と気力とを要求される。
お金がないと作れないから、資金調達も大変な作業だと思う。
もちろん数字は取れたに越したことはないけれど、むしろ
「凄いことが起きていて、たくさんの人に見て、感動して欲しい。」
ってのが、現場の人たちの気持ちじゃないだろうか。
感動がなければ、あんな大変なことを続けれらないと思うのだ。
だから私も、受け手として<凄いこと>をそのまま受け取りたい。
楽しむこと。
楽しみたい。 です。
一年半、アイムホーム以降ずっと待っていた木村拓哉の作品。
やっと・・・やっとですよ。長かった。
時間さえあればリピートしているA LIFE。
何度見ても面白くて同じシーンで同じ感情に陥ってしまう。
特に壮大と一光のシーン。
言葉のちょっとしたニュアンス。目線の動き、体の動き。
お芝居とはセリフを言って喜怒哀楽を表現する技術じゃないんですよね。
心を、その人物の味わう感情の機微を、見ている人に伝えること。
文字で書かれた脚本をどこまで深く読み込み、どんな風に表現するのが最適か。
その判断はもちろん役者一人一人によるものですが、一人芝居でもない限り、必ず
相手がいて、自分のアクションに対して相手のリアクションが返ってくる。
アクションーリアクションの応酬がシーンへ、そこからストーリーへと広がる。
相手のリアクションを事前に完璧に把握するのは不可能ですから、どうアクションを
返して行くかで役者のセンスとか癖とかが浮き彫りになって行く。
木村のお芝居を見てるとここの部分の間口がとても細やかで広いんだろうなと思う。
リアクションのニュアンスをきっちり拾って反応してるんだよね。
とりわけやっぱり浅野くんとのお芝居ね・・・息ぴったりというかなんというか。
アクションーリアクションのタイミングの自然さにほぉ・・・と感心してしまう。
例えば壮大と一光のハグのシーン。
壮大が握手しようと手を差し出す。間髪入れず一光がカートのハンドルを渡す。
一瞬戸惑う壮大を、いきなりガシッと肩を抱く一光。
あのハグはちょっと見、再会の喜びに見えるけど、乱暴すぎる感じもある。
パッとカメラが切り替わった時の壮大の表情も明らかに動揺している。
そこがちょっとした違和感になり、その正体が、次の二人のシーン・・・
壮大が沖田を食事に誘うシーンへと繋がり、明らかになる。
「結婚、おめでとう。」一拍おいての「・・・ありがとう。」
あのハグのシーンはそういうことだったのか、と。
「お前、深冬と一緒になったんだってな。」
って沖田の心のつぶやきが聞こえてくるようなハグだったのだ。
あのハグを浅野くんと木村が現場で二人で話し合って決めたってのが凄い。
TV LIFEpremiumでのインタビュー。
木村は脚本を読み込んで読み込んで現場に臨む。
役柄を読み込み、想像を巡らせながら入り込んでいく。
場面が浮かび上がり、自分と相手の声が聞こえ姿が見えてくる。
沖田の皮膚が自分のものとなり、言葉が自分の口から違和感なく流れ出すまで。
その作業を経てようやく架空の存在である沖田が血と肉を持った存在として現れる。
まさに表現・・・そのもの。
その彼が、浅野くんと対峙すると読み込みの深さが足りなかったと感じる、と。
そのくだりを読みながらゾクゾクしました。
何かとんでもないことが現場で起きているのではないか?と。
<沖田と壮大のお芝居をする二人がいる>
現場のスタッフはそのゾクゾクする感じをリアルタイムで味わっている。
そして容赦なく「こっちのパターンやってみましょうか?」と提案する監督(笑)
ドラマでも映画でも映像へ立ち上げていく作業は体力と気力とを要求される。
お金がないと作れないから、資金調達も大変な作業だと思う。
もちろん数字は取れたに越したことはないけれど、むしろ
「凄いことが起きていて、たくさんの人に見て、感動して欲しい。」
ってのが、現場の人たちの気持ちじゃないだろうか。
感動がなければ、あんな大変なことを続けれらないと思うのだ。
だから私も、受け手として<凄いこと>をそのまま受け取りたい。
楽しむこと。
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