アライフ第3話。

このドラマのキモは壮大と一光の同学年コンビの葛藤だなと確信。
女一人に男二人。一人は元恋人、もう一人は現夫。
不倫ドラマでも始まるの?な相関図ですが、本当は深冬は触媒に過ぎず、
男二人が周囲に翻弄されながら結局お互いのことしか見ていないという構図。
やっぱりそうだったか、と思ったのが脳手術の後の二人の会話。
まだ二人が少年だった頃、負けられない野球の試合。
手首を痛めた壮大に代わり一光がマウンドに立ったものの、押し出しで
逆転負けとなったエピソード。
やっぱりダメなんだよね。お前には敵わないわ。苦笑まじりに語る一光に壮大は
「お前はもうあの時の一光じゃない、メスを持たせたら最強だ。」と。
同様のセリフは後のシーンで繰り返されます。
オペをさせないなら壇上病院を辞めると主張する一光に壮大が放った言葉。
「偉くなったもんだな。オペの腕を盾にやりたい放題だな。」
妻の深刻な病と院長の意向を盾にしてるのは壮大の方なんですけど(苦笑)
一光へのコンプレックスが固いしこりとなって増殖していくような予感。
思い起こせば1話から前兆はあった。
一光をシアトルへ追いやり深冬を妻とし子供に恵まれ副院長におさまった壮大と
身一つでふらりと日本へ戻ってきた一光。
勝ち組の壮大、負け犬の一光と見えたが実際のところは違う。
若い頃の自分を卑下する一光はとっくにコンプレックスを克服していて、
むしろ壮大が一光への根深いコンプレックスを抱え続ける自分を持て余している。
深冬を妻にしたのも、病院経営を引き受けたのも実はコンプレックスの埋め合わせに
過ぎないことを壮大自身がよくわかってるのではないか。
二人が同い年なのも葛藤が生まれる理由の一つ。
すぐそばでお互いを見つめながら育ってきたからだ。
おそらく壮大は野球部でも学級でもリーダー的存在で、一光は輪から外れた少年。
片や病院の息子、片や寿司屋の倅。
賞賛を口にする仲間に囲まれながら、壮大は気づいていたのだろうか?
一光の強さと、つい惹きつけられてしまう得体の知れない魅力に。
劣等感の塊で何をやっても上手く行かない冴えない奴なのに気になってしょうがない。
何だろう?一光には俺にはない圧倒的な何かを感じる。
予感は当たった。
外科医の世界で一光はメキメキと頭角を現し腕を磨いていく。
しかも努力家。驕らない職人的な一途さと、仕事への愛着と誇り。
一光はそれしかないから頑張ったのかもしれない。
しかし医者の息子で将来を約束された壮大は焦ったに違いない。
天才の輝きを目の当たりにするのは本当に苦しかったろう。
だから院長を言いくるめ一光のためだとシアトルへ追いやった。
壮大が本当に欲しかったのは病院の副院長でも娘婿の地位でもない。
深冬を今でも愛してるだろうけど。
壮大の複雑な心情を伺わせるシーンはいくつかある。例えば、
「我々はスタープレイヤーじゃなく副院長の経営手腕に融資するんです」
あおい銀行の融資担当者の言葉。
ビジネスマンとしては院長だけでなく一光にも勝利した。
でも心は満たされない。
一光を「切り屋」と揶揄する羽村先生の「我々とは違う」の一言に突っかかり、
一緒にするな、とバッサリ否定する。
羽村先生は自ら「副院長派」と名乗るほどの理解者なのに、一線を画したい。
一光と同じフィールドで競って、同等かそれ以上だと証明して見せるまで決して
満たされない壮大の心に空いた穴。
深冬の手術を執拗に迫る姿には、そんな無意識の欲望が潜んでいるのかも。
ただし、一光にとって深冬は元恋人より救うべき患者に見えてるのでは。
後ろから深冬の肩を掴んで「目の前の患者を救うためだ。」と言った視線は、
深冬の頭に向けられていた。
彼の目にはその奥に潜む腫瘍が見えていたのかもしれない。
オペナースの柴田さんはそれを深冬への愛と思っているようだけど。

同学年。
一人は人望ある優等生。
一人は一匹オオカミ。
二人はずっとお互いを見つめ・認めながら育ってきた。
優等生は密かにオオカミに憧れるけど被った殻はそう簡単には脱ぎ難く。
オオカミは心を許した優等生を賞賛の目で見る。すげぇと素直に感心する。
不器用なオオカミの前では肩肘張らない自分のままでいられる。
優越感と同情とが危ういバランスで幸せな関係を作る。
そのオオカミが実は天才だったと分かった時の、優等生の心の内。
ノベライズ作家の木俣さんが一光と壮大はモーツァルトとサリエリと呟いてました。
素晴らしい例えだ。
モーツァルトは天才で自由奔放でやりたいことしかやらない人物。
愛と憎しみに引き裂かれる男、サリエリ自身が才能ある音楽家だからこそ、
モーツァルトの天才を目の当たりにして絶望するんですよね。
沖田は職人外科医と言いつつ、天才なのは間違いない。
さらに努力の人であり、信念に従ってやるべきことをやる。
一光は木村拓哉そのもの。
才能と魅力たっぷりな外見と声とで人を惹きつけずにいないひと。
壮大はそんな彼に屈折した想いを抱く、ある男。
羨望と反発。愛と嫉妬。賞賛と嫌悪。
壮大は気づいているだろうか?
求めているのは一光自身なのだと。 
「彼になりたい」
浅野忠信でなかったら生々しすぎたかもしれないですよね・・・
キャスティングの妙。

モーツァルトで思い出しました。
今やどこまでが木村拓哉でどこからか沖田一光なのか?
まるで細胞から入れ替わったように見えるのは、念入りな役作りによるもの。
密着34日の木村で思い出したのがスマ進ハイスクールの指揮者編。
あの時、ベートーヴェンを何十回聞いたか分からないと言ってた。
音楽が体に染み込むまで聞き込み、内側から音楽があふれ出るまで満たす。
指揮の様子をモニターで見ていた中居氏が「なり切る力」と言ってましたが。
木村は音楽そのものに手がかりを求め、突破口とし、「指揮者の境地」に達した。
・・・そういうことだと思うんです。
脚本を読み込み人物の感情を深く深く掘り下げ、考える役者がいれば、
(浅野くんはどうやらこのタイプのようですね)
木村のように型から入り身体に染み込ませることでその人として感じ、動き、
言葉を発するようになるまで待つタイプの役者もいる。
その出力装置としてのお芝居があると考えるとつくづく興味深いし、
役者という人々の脳と体はどうなっているのだろうと興味は尽きません。

指揮者は自分の中で音楽を咀嚼し、心と身体の動きで表現する人だと思っているので
指揮者の木村拓哉をいつか見てみたい。
彼のダンスと指揮者の動きにはたくさんの共通項があるんじゃないだろうか。

コメント

nophoto
裕子
2017年1月31日20:21

HT様

待った甲斐のあるドラマが始まりましたね。
木村拓哉と浅野忠信そして可愛い、しかししたたかな演技を
見せる松井ケンイチ。これを観れるだけで至福です。
その上脚本もしっかりしていて、あるファンのかたがテレビ史上有数の
良質ドラマだと言っておられたのもうなずけます。

モーツアルトとサリエリ、私も読みました。素敵な例えですね。
沖田先生はしかし努力のひと。天性のものに努力が加われば怖いものなし(笑)
「オペの腕を盾にやりたい放題だな」って壮大に言われてました。
ここのセリフ、好きです。

私も今度は指揮者の役がみたいです。
あのベートーヴェンの第7を途中から振るなんて、技術的にだって
大変なのに、ちょうどそれは今回の心臓外科手術のテクニックを
短期間で習得したのとつながります。

私は木村さんの演技法が好きです。彼には演じているというところを
感じないのです。役柄がいつのまにか身体に入り込んで来て、その人物に
なり替わって生きている、という感じがするのです。
憑依するというような感じでしょうか。
むしろ以前のイヤな雰囲気でのスマスマでは「演じている」感がありましたけど。

HT様がいつも木村さんのドラマの本質をしっかりと書いて下さるので
ドラマのさらなる深度、広がりを教えていただいています、
ドラマでもなんでもそうですが、受け取る側に知力がないと折角の良質なものも
猫に小判になってしまいます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!

HT
2017年2月1日19:19

裕子様、こんばんは。

木村拓哉と浅野忠信。だけでもう最高ですけど、松山ケンイチくんがまた絶妙。
癒し、ですよね井川先生は。松ケンのボンボンっぷりお見事。
プラス、柄本明の怪演も最高です。すごく楽しんでる感じがして(笑)
本当に豪華、絢爛。

>>役柄がいつのまにか身体に入り込んで来て、その人物に
>>なり替わって生きている、という感じがするのです。
>>憑依するというような感じでしょうか。

体の内側から役になりきってないとああいう風にできないですよね。
憑依タイプ・・・そうかもしれないですね。
細胞レベルから入れ替わる。
それはもう皮膚の上に役が透明なフィルムとなって張り付いているような。

いえいえ。
私のは妄想に過ぎないので、この先どう話が転がっていくかはわかりません。
ただ、深冬のパートはできる限り減らした方がいいと思うんですよ。
男たちの意地とプライドをかけた戦いの物語の方がググッと惹きつけられます。
深冬ってちょっと鈍感すぎるしよく分からないんですよね・・・。
私たちの好みの物語で最後まで完走できるよう、祈ってます!!言霊!!

指揮者役、絶対にオファーあったと思うんですよ。
サントリーホールのあの見事な指揮者っぷりをみて多くのクリエイターが掻き立てられたに違いありません。
こっちも言霊です。