涙が出そうになったシーンが二つ。

失意の榊原弁護士が転んで鞄の中から出てきたファイルを見る。
「どうして愛してくれなかったの?」と泣き崩れる。
もう一つはお米をこぼした壮大が「俺を頼ってくれよ。」と言うシーン。
愛してくれなかったの?と、頼ってくれよ。の言葉の出所はたぶん同じ。

喪失感を埋めようと、榊原実梨は同じ痛みを抱えた壮大を愛した。
それはたぶん彼女自身がまだ若いってことだと思う。
人は年を重ねながら自分と他人の距離感を学んでいく。
同じ痛みを抱えていても同じ考え方とは限らない。
壮大が選んだ深冬は両親に愛され不自由なく育ち、親の引いたレールの上を
ひた走ることに疑問を持たないタイプの女だ。
だから彼はいとも簡単に実梨を捨てる。
「終わりにしてもいいですよ?」
「ありがとう。」
えっ!?と彼女は動揺を隠せない。
男は当然じぶんを引き止めると思っていたから。
(このシーンの浅野忠信のお芝居が素晴らしい。最低な男。女に冷たい男。
だけど愛妻とそのメタファーである病院を守るのに必死な男。
ある意味とても分かり易く愚かな、悲しい男を見事に演じている)
実梨は深冬の態度を不倫関係に対しての嫌味だと受けとってしまう。
冷静で知性的で不倫を楽しむ大人の女は、心の傷を隠すための鎧。
冷たい路上に座り込んで涙する実梨は、見捨てられた小さな女の子のよう。

一方壮大が求めているのは「誰かに頼られる自分になる」こと。
父から100点でないお前は価値がないと突き放された彼は、常に欠落感を抱え
足りない部分を補ってくれる人を求めている。
壇上院長に褒められた時の、パッと輝くような笑顔。
「よくやった。お前は満点だ。」
急転直下、投げつけられたのは血も凍る残酷な言葉。
奈落の底から大きな岩を山の頂上へと運び上げなければ。
そうでないと俺は100点になれない。
彼が深冬に固執するのが不思議だったけど、ちょっとわかった気がする。
彼女が壮大に無関心だからではないだろうか。
親に溺愛されて育ち、自分の境遇に疑問を持たず、しかも幼馴染の恋人。
そんな女が、自分を頼り、「助けて!」と言ってくれたら。
心の痛みもおさまるかもしれない、満点の男だと感じられるかもしれない。
そういえば第5話で沖田に語っていたな。
「深冬が俺を頼ってくれたんだ。」
その壮大にまたもや突きつけられた残酷な現実。
深冬と沖田が抱き合う姿。
あれは患者を鎮めるため、恋愛感情ではないと沖田が言っても無意味だろう。
深冬が「怖い!助けて!」と縋り付く相手は、自分でなければならなかったのだ。
壮大の自尊心も芽生えかけた希望も潰えた。

一方、沖田がオペを成功させるには、私情を捨て患者として向き合うしかない。
深冬は、壮大でなく沖田に頼ることで沖田の心に波紋を呼ぶ。
壮大と沖田、二人同時に窮地へ陥れつつあるのだが。
その自覚がないか、沖田への断ち切り難い未練でおかしくなっているのか。
「私は医者よ?」そう発言した割にブレブレの行動ばかりが目立つ。

6話は井川先生役の松山ケンイチのお芝居が素晴らしかった。
今までどちらかというとコミカルな動きに独特の味があってよかったんだけど、
井川がパニックから立ち直り、沖田のいう「自分の声」に耳を傾け、
判断を下すまでの一連の流れ。
マスクで半分表情が隠れているのに、極限まで高ぶった緊張が徐々にほぐれて
的確な判断を下すまでの心の動きが手に取るように分かった。
手術後ヘナヘナ腰が抜けて崩折れたのが、柴田の一言でシャキーンと立直るのは
いつもの井川先生でしたが。
さらにスーツで正装し沖田の部屋を訪れる場面。
「医者が限界を決めてはいけないんですよね。」
「僕は限界を超えました。次は、沖田先生の番です。」
それを受ける沖田の表情。
一皮剥けた井川。
彼をそうさせたのは、ギリギリまで待てた沖田の判断だったわけだが、
「よくやった。一皮剥けたな。」などと妙な褒め方をしないのが沖田らしい。

それにしても力のある役者さんばかりのドラマは見ていて気持ちがいい。
お芝居に迷いがない。

ところで、あれはTV雑誌だったか?
深冬を「聖母マリアのような女性」だと語っていたのは。
今の彼女にはその片鱗も見えないが、劇的に変化するのだろうか?
むしろその役にふさわしいのは沖田一光だと思える。
壮大も深冬も自分勝手で我儘だし、井川も羽村も院長も実梨も自分のことで
精一杯で人の気持ちに構ってる余裕はない。
そんなどうしようもない人々の思惑を受け止め、「患者を癒す」ことだけを考え、
全身全霊をその職務に捧げる。
沖田はスーパーマンではないし、割と短気で怒鳴ったりカッとする。
言葉足らずである意味傲慢で、聖人君主とは程遠い。
しかしたった一つの命と平等に向き合う姿勢は人類愛に近い(笑)
例えば突然押しかけて一方的に辛さを訴え「なぜあの時言わなかったの!?」と
自分を責める昔の恋人(現在人妻)をぎゅっと抱きしめ戸惑いながら撫でた手。
沖田の大きな瞳は疲れと苦悩から憔悴しきっているが、涙を貯めたそのいろは
照明を反射して深く悲しく透明。
そこからポロリとひとしずくの涙。
裏切ったのはお前の方じゃないのか?と責めることもせず。
沖田の手は大きくてたぶん温かい。
その温もりに深冬はいつも甘えて頼ってしまう。
夫よりも、父よりも。
実は壮大も同じで、不倫相手にも言えない秘密を沖田と共有してしまう。
妻には見せない激情を、沖田の前では遠慮なく爆発させる。
夫婦揃って互いに仮面を見せ合いながら、沖田の前でだけそれを外す。
そして沖田は、どうしようもない二人を同時に受け止め、ただ黙って涙する。

そんな沖田を受け止めてくれる人が、実家の父。
口は悪いが人の気持ちを繊細に察する人だとわかるのが、塩を撒くシーンだった。
鯛茶漬けを口にした息子の顔色を見て、瞬時に手元の塩を撒く。
一口食べて足りないと見るや、もう一度。
文句を言いながら口にした途端「うまい。」
疲れた時は塩気強めの方が美味しい。
コメを研ぐシーンもだが、こんなディテールが女性の脚本家だなぁと感じる。
そして塩を摘んで撒く田中泯のしぐさの美しいこと。
何度も何度もリピートして確かめてしまう。
踊れる役者さんはやはり違うなと。
沖田の父は言葉でうまいこと褒めるのが苦手な代わりに、極上の飯と塩加減で
息子の自尊心を損なわずに強く育てたのかもしれない。
「鯛が浮かばれねぇだろ。」
寿司は鮮度が命。
父もまた、命を頂くことで他の命を繋いでいくことを、体験的に熟知している。
息子のテストの点数がイマイチでも野球で負け試合だったとしても、黙って出す
鯛茶漬けは無償の愛情を教えてくれただろう。
一光の父が自分にも作ってくれた美味い鯛茶漬け。
壮大は、本当に本当に一光が羨ましくてたまらなかったに違いない。

コメント

nophoto
裕子
2017年2月21日18:08

HT様

全く同感でございます!!
あの夜壮大も一光のもとに行こうとしていたのだと思います。一光なら気持ちを分かったくれるかも知れない。

勝手だなと思います。沖田はマリアであると同時にやはりシタオではないかとも。羽村先生も恩師のことで思わず沖田を殴ってしまいます。だれもかれも
沖田に自分の辛さをぶちまけ、自分はそれで浄化しようとしているように思えて
ものすごく辛いです。
でもHT様のいつもの素晴らしい解釈に気持ちが落ち着いてきています。
有難うございます。

HT
2017年2月21日19:30

裕子さま、こんばんは。

>>あの夜壮大も一光のもとに行こうとしていたのだと思います。
>>一光なら気持ちを分かったくれるかも知れない。

きっとそうです。
顔を見ると作業が進んでないだの深冬はどうなるんだとしか言えないとしても。
壮大が唯一本音で甘えるのが一光ですから。

>>沖田はマリアであると同時にやはりシタオではないかとも

はい。友達も同じことを言ってました。
ロイドも万次もShitaoのようなところがあります。
木村拓哉という存在自体がShitaoと重なるところがあって、ICWRでそれが初めて
目に見える人格として表現されたのかもしれない。
見る目を持つクリエイターは彼の中に<それ>を見つけるのかもしれません。
きっと<それ>は繊細で儚いけれどしなやかでしたたかでもあり。
だからきっと、大丈夫。

nophoto
愛しき人
2017年2月22日10:02

素晴らしいドラマ評ありがとうございます!
なぜかこのドラマは明らかに観てない方が批評される事が多くて友達となんでだろうねって疑問に思っていました。壮大も深冬も弱い。身勝手に沖田に甘えるというのは同意見です。深冬も求める事だけでなく沖田への愛を貫けばよかったのに
壮大は沖田に憧れるからこそ深冬を手に入れたかったんじゃないかと思います。でも憎めないんですよね。

HT
2017年2月24日20:56

愛しき人様、初めまして。リプが遅れて申し訳ありません。

観てないのに何故か批評していると言いますと・・・
吉田潮とか今井舞とか山田美保子とかカトリーヌあやこ辺りでしょうか。
あの辺はロイドのときも適当なことを書いてましたし、結構前からだと思いますよ。

深冬は沖田より病院を選んだような気がします。
壮大にプロポーズされて受けたのは、当てつけもあるでしょうが、今後の病院経営を
考えての選択でもあったのかも。
壮大は弱い人間です。
心に傷を持ったまま、治りきらないまま生きてるんでしょうね。
彼が沖田と対立し争いながらも心の傷を癒せる日が来るよう私も祈ってます。

nophoto
デイジー
2017年2月27日15:16

HTさん、はじめてコメントさせていただきます。
今、大好きなドラマで、拓哉くんのドラマの中でも、放映中にこんなにリピして見たことあったかな?と思うほどハマっています。
なんですが、どうしても、ちょこちょこ気持ちがつまづく所があって。。。
深冬先生、以前の関係の事をこの場面で言う・・・?お医者として強気な事も言い切るけど、沖田先生に気持ちの面で頼りすぎでは。。。執刀できなくなるんじゃ。。。監督さんから「聖母マリアのような」と表現されてると言っても、う~ん。。。などなどありまして、小さくですがつまづく時があります。
せっかくの拓哉くんのドラマ、そしてキャラクターの皆さんが大好きなのに、こんなことを思ってはいけないと思いつつ、沖田先生の「愛しい人」だから、理想を求めすぎてしまってるのかなぁと反省してます。
マイナスな事を書いてしまってすいません。
ブログ、これからも楽しみにしています!

HT
2017年2月28日14:07

デイジー様初めまして。

いえいえ。私もずーーーーーーーっと深冬の言動には????となっております^^;
聖母マリアと言われましても。
現実の彼女は鈍感で過去のあれこれをほじくり返しては沖田先生を困らせる、
めんどくさいことこの上ない女性としか描かれていない。

>>せっかくの拓哉くんのドラマ、そしてキャラクターの皆さんが大好きなのに、
>>こんなことを思ってはいけないと思いつつ、沖田先生の「愛しい人」だから、
>>理想を求めすぎてしまってるのかなぁと反省してます。

木村拓哉のファンであることとドラマを面白く見ることは別だと私は思っています。
おかしなもんはおかしいですよね。
いっそ沖田と壮大の愛憎ものにしてしまえばシンプルだし、医療の経営と現場との
対立の図式もくっきり浮き上がってよりわかりやすいのに。
深冬の存在がテーマを見えづらくしている。
そこ、軸足ブレたらあかんやろ!!と昼メロ展開になりかける度に突っ込んでますw