ぴあMovie Special
2017年2月24日 キムラさん コメント (2)相田さんの記事。
インタビュー部分が少ないと非難されてる向きもあったようです。
例の対談でプロの評論家としてはどうかと思うような比較をなさってましたし、
正直不安感はあったのですが。
素晴らしく刺戟的でした。
<無私><捧げる><動物的><静と動>などキーワードも面白い。
フォロワーさんと<無私>についてちょっとやりとりしてみたんだけど、
人によって違う解釈になるのがいい。
つまりいろんな読み方ができるということで、それだけ文章が豊かなんだと思う。
読ませて、考えてもらう。読んだ人たちが話しあったりする。
そういう建設的な評論って意外なほど少ない気がして。
一読をお勧めします。
(自称:ドラマ/芸能評論家がダメなのは全く建設的でないからです。むしろ
破壊的、害悪。まともに論じられないなら書くな、って言いたいですね)
嬉しかったのは初日の撮影を終えて三池監督が木村に言ったという言葉。
・・・なんか既視感のある言葉じゃないですか?
そうだ。
宮崎駿監督が木村の声を初めて聞いて発したという。
「ハウルって、こんな人だったんですね。」
三池監督の言葉がピタリと重なりました。
木村本人は、先日めざましだったか?で撮影中ほとんど監督から
演技指導なかったのが少し物足りなかったと語ってましたね。
実際には、三池監督は木村がどう表現するかを心待ちにしていた、と。
そういえばもう一人、木村に対するスタンスが似ている監督がいました。
トラン・アン・ユン監督です。
ICWR撮影時、彼がしたいようにお芝居をさせ、終わったと思ったところで
フレームアウトしてもらうスタイルだった、と。
トラン監督も役者によって細かく指示を出したり出さなかったり、らしいです。
もちろんそれが演出スタイルでもあるでしょうけど、もう一つ共通点が。
ハウルは魔法使い。
シタオは人の痛みを引き受ける救世主。
万次は死なない体、不死身の男。
人ならざる力と肉体を持ちながら、人間の弱さをも残したキャラクターたち。
ファンタジックでありつつ、同時にリアルな人間的側面も描きたい。
誰も見たことがなくつかみ所のない人物に血肉を与える。
いわば、不可視の存在が木村拓哉の肉体(or声)によって可視化され、
現実と地続きの映像の中に立ち現れるといいますか。
監督たちは木村拓哉という役者の、唯一無二の存在感に託したのかもしれない。
三池監督が心待ちにしていた万次の姿。
早くスクリーンで見たい!!
インタビュー部分が少ないと非難されてる向きもあったようです。
例の対談でプロの評論家としてはどうかと思うような比較をなさってましたし、
正直不安感はあったのですが。
素晴らしく刺戟的でした。
<無私><捧げる><動物的><静と動>などキーワードも面白い。
フォロワーさんと<無私>についてちょっとやりとりしてみたんだけど、
人によって違う解釈になるのがいい。
つまりいろんな読み方ができるということで、それだけ文章が豊かなんだと思う。
読ませて、考えてもらう。読んだ人たちが話しあったりする。
そういう建設的な評論って意外なほど少ない気がして。
一読をお勧めします。
(自称:ドラマ/芸能評論家がダメなのは全く建設的でないからです。むしろ
破壊的、害悪。まともに論じられないなら書くな、って言いたいですね)
嬉しかったのは初日の撮影を終えて三池監督が木村に言ったという言葉。
・・・なんか既視感のある言葉じゃないですか?
そうだ。
宮崎駿監督が木村の声を初めて聞いて発したという。
「ハウルって、こんな人だったんですね。」
三池監督の言葉がピタリと重なりました。
木村本人は、先日めざましだったか?で撮影中ほとんど監督から
演技指導なかったのが少し物足りなかったと語ってましたね。
実際には、三池監督は木村がどう表現するかを心待ちにしていた、と。
そういえばもう一人、木村に対するスタンスが似ている監督がいました。
トラン・アン・ユン監督です。
ICWR撮影時、彼がしたいようにお芝居をさせ、終わったと思ったところで
フレームアウトしてもらうスタイルだった、と。
トラン監督も役者によって細かく指示を出したり出さなかったり、らしいです。
もちろんそれが演出スタイルでもあるでしょうけど、もう一つ共通点が。
ハウルは魔法使い。
シタオは人の痛みを引き受ける救世主。
万次は死なない体、不死身の男。
人ならざる力と肉体を持ちながら、人間の弱さをも残したキャラクターたち。
ファンタジックでありつつ、同時にリアルな人間的側面も描きたい。
誰も見たことがなくつかみ所のない人物に血肉を与える。
いわば、不可視の存在が木村拓哉の肉体(or声)によって可視化され、
現実と地続きの映像の中に立ち現れるといいますか。
監督たちは木村拓哉という役者の、唯一無二の存在感に託したのかもしれない。
三池監督が心待ちにしていた万次の姿。
早くスクリーンで見たい!!
コメント
相田さんの記事これまでずっと楽しく読んでいたのですが、例の比較記事を見て
「ブルータス、お前もか!」と思って以来、何となく心に響かなくなっています。
クラシック音楽界での評論家は自身が作曲家や演奏家であったりまたは音楽学の
専門家だったりする方々がほとんどで、自身が音楽にまったく関わったこともないようなひとが大っぴらにある演奏家や作曲家を批判したりすることは考えられないと思います。これは文学界でもそうではないでしょうか。ある本を公に書評するのがそこら辺の普通人であるのを見たことありません。
ドラマや映画も映像芸術である以上、その評論家もその分野でのオーソリティで
なければその評論など何の価値もないように思えてなりません。
ドラマや映画を作ったことも演出したこともまた役柄を演じたこともないような
普通のひとがさも偉そうに製作者や演者が血のにじむ思いで作り上げた作品を
面白半分にけなしてよいわけはないと思っています。
もしそれをやるならまずはその対象に見合うくらいの自分自身の本業での業績を
世に問うてからにすべきだと思います。
三池監督が初日を終えたとき、木村さんに「万次に会えました。有難う」と
言われたこと、万感これに尽きますね。
HT様にまるっと同感でございます!!
相田さん、対談での比較アゲサゲでかなり評判を落としてしまいましたね。
ドラマ・映画の評論家はマニアが高じて・・・のパターンがほとんどのようです。
だからファン目線が原点になってしまうのは仕方ないとして、
(役者、監督、作品のファンと色々でしょうけれども)
ネットの存在がファン→評論家へのハードルを極端に下げてしまったような。
相田さんに関してはネットに安易に手を出さない方が良かったのではと。
彼の文章構成や視点は「なるほど!」と感銘を受けることも多いのですが、
例の対談は軽はずみ以外の何物でもありませんでしたね。
一部のなんちゃって評論家のくだらない言動が木村叩きのネタとして多様されたのは
実に腹立たしい限りですし、ささやかながらツイートで指摘することでああいう下衆で
醜い人種が駄文を書き散らしてお金を稼ぐ事への不快感を表明していこうかなと。
三池監督はじめ現場で尽力なさったスタッフの方々の言葉こそが真実ですよね。
万次に会えました。・・・この言葉が全てですよ。