映画雑誌とNALUとワッツ
2017年3月12日 キムラさん雑誌ラッシュです。
日本映画naviはグラビアといいインタビューの密度といいマストですよね。
グラビアの木村、一枚一枚の表情が、佇まいが美しい。
彼は変わった。
アイドルの皮を脱ぎ男として役者として、よりシンプルに存在する。
最近ツイッターでいろんな人の反応を読んでみても明らかに役者としてのありように
好感を持ってる人が多いのを感じます。
ようやくスタート地点に立てた。そんな感じすらあります。
いや、普通に考えたらキャリアも積み重ねてきたものも桁違いですけどね。
今まで背負ってきたものから解放された感じが強くて。
個人的な感想に過ぎないんだけど。
穏やかな、でも厳しく強靭な表情。匂い立つような艶。男の色気ってまさにこれ。
木村単独のインタビューでは、彼の中の万次の捉え方に興奮しました。
それって・・・そう、Shitaoそのものじゃないですか。
万次はShitaoの延長線上に存在するのではないか?と個人的に考えていたのもあり。
いや、木村自身がどう捉えているかは分かりません。
けれども彼の解釈の仕方がまさにそうで。
インタビューできるものならその辺の話を聞いてみたい!!と強く思いました。
三池監督との対談も濃密なものですね。
三池さん、言葉を変えて何度も強調してるのですが、映画のキャスティングは
作品にとっても役者にとっても、時代の必然であり、
役者がその役を演じるのは運命であり抗いがたい時の巡り合わせ。
そう語っていらっしゃる。
素晴らしくないですか?
監督に「運命」と断言されるキャスティングで不死身の男を演じる。
木村は、自分の内面を語ることが少ない人です。
だから見る人の数だけ異なった木村拓哉がいる。
私の見て・感じている木村拓哉も実は私の推測と妄想に過ぎない。
だから、といいますか。
彼以外の方が語る木村拓哉論をたくさん読みたいと思うし、
自分の考えている木村拓哉の、演じることへの姿勢に近いのではないか?と
感じる人達の言葉を読むのはとても嬉しいことでもあり。
J Movie magazineの田中泯さんのインタビューがまさにそれでした。
どんな役をやりたいかより「こんな役をやってください」という人の言葉に乗っかるほうが大事。創作の現場に関わること、監督の要求に応えるのが楽しいので。とか、
自分が映像に映らなくてもその場に居る設定なら現場に立ち会う。
そうすることで肉体が背負うものが違ってくるから。
背負うものがあるのとないのとでは自ずと映り方が違ってくる。
それは観客に必ず伝わる。
・・・田中さんのインタビューには何度も『肉体』という言葉が出てくる。
肉体は実在であり、肉体に刻まれた経験・感情・感覚というものは必ず視覚的にも
現れてくる、と。
言語で表現される言葉ではカバーしきれない言葉・・・それが肉体そのものの表現に
必ず立ち現れてくる、という演技論というか、世界観というか、その根底の部分は
「見たもの・感じたことを信じる」という木村の言葉と通じるのではないかなと。
田中泯さんは長年に渡って舞踏=肉体の表現に拘ってきた方。
木村もジャンルはまったく違うにしても、踊るように演じ、演じるようにダンスする
タイプの人なので、それはまったく不自然でもなんでもないなぁと。
肉体への絶対的な信頼感というか・・・そこから全てが始まる、というような。
ほとんど原始的で本能的な感覚が、きっと似通ってるんだなぁと思いました。
J Movie magazineにはグラビアは先日の無限の住人会見のだけなのですが、
個人的にはほんと、買ってよかったなぁと。
NALUも良かったですよ。
波乗りしてる木村はタレントの木村拓哉とは別の顔です。
とってもプライベートな・・・44歳のシンプルな男性の姿がそこにあります。
シンプルで飾らないからこそ豊かで美しい。
去年のあの壮絶なマスコミの叩きをくぐり抜けた男の顔。
そして次のページの小川氏のコメント。
これだな。と思いました。
サーファーの世界は完璧な実力主義。
テクニックだけじゃない。
カッコよく美しく波に乗れるかどうか。
不可解な思惑や力関係などは無縁の、シンプルに結果で評価される世界。
これがあったから彼は、正気でいられたんだよなぁ。
相変わらずワッツには変な人々が張り付いてるようですけどね。
滑舌うんぬんでずーっと小バカにしてましたもんね、「貶し愛」のファンたち。
まだそんなことやりたい人達がいるんだなーと。
案の定、あのメッセージで大喜びしてる輩もいましたし、ラジオネームにSMAPを
くっつけたがる人もいますが・・・
後半読まれたメッセージへの木村の対応と、前半のそれとは随分差があるなと。
そう感じてしまいました。
まぁ個人的な感じ方ですけれども(笑)
去年の大晦日で一区切りついたわけですが、最初に書いたように、世間的にはすでに
役者としての彼が認識され、アイドルだった頃よりフラットな目で見てもらえてるように思います。
だから今年は彼にとって新たなスタートラインの年に間違いない。
その道を選んでくれて本当にありがとうと伝えたい気分なんです。
日本映画naviはグラビアといいインタビューの密度といいマストですよね。
グラビアの木村、一枚一枚の表情が、佇まいが美しい。
彼は変わった。
アイドルの皮を脱ぎ男として役者として、よりシンプルに存在する。
最近ツイッターでいろんな人の反応を読んでみても明らかに役者としてのありように
好感を持ってる人が多いのを感じます。
ようやくスタート地点に立てた。そんな感じすらあります。
いや、普通に考えたらキャリアも積み重ねてきたものも桁違いですけどね。
今まで背負ってきたものから解放された感じが強くて。
個人的な感想に過ぎないんだけど。
穏やかな、でも厳しく強靭な表情。匂い立つような艶。男の色気ってまさにこれ。
木村単独のインタビューでは、彼の中の万次の捉え方に興奮しました。
それって・・・そう、Shitaoそのものじゃないですか。
万次はShitaoの延長線上に存在するのではないか?と個人的に考えていたのもあり。
いや、木村自身がどう捉えているかは分かりません。
けれども彼の解釈の仕方がまさにそうで。
インタビューできるものならその辺の話を聞いてみたい!!と強く思いました。
三池監督との対談も濃密なものですね。
三池さん、言葉を変えて何度も強調してるのですが、映画のキャスティングは
作品にとっても役者にとっても、時代の必然であり、
役者がその役を演じるのは運命であり抗いがたい時の巡り合わせ。
そう語っていらっしゃる。
素晴らしくないですか?
監督に「運命」と断言されるキャスティングで不死身の男を演じる。
木村は、自分の内面を語ることが少ない人です。
だから見る人の数だけ異なった木村拓哉がいる。
私の見て・感じている木村拓哉も実は私の推測と妄想に過ぎない。
だから、といいますか。
彼以外の方が語る木村拓哉論をたくさん読みたいと思うし、
自分の考えている木村拓哉の、演じることへの姿勢に近いのではないか?と
感じる人達の言葉を読むのはとても嬉しいことでもあり。
J Movie magazineの田中泯さんのインタビューがまさにそれでした。
どんな役をやりたいかより「こんな役をやってください」という人の言葉に乗っかるほうが大事。創作の現場に関わること、監督の要求に応えるのが楽しいので。とか、
自分が映像に映らなくてもその場に居る設定なら現場に立ち会う。
そうすることで肉体が背負うものが違ってくるから。
背負うものがあるのとないのとでは自ずと映り方が違ってくる。
それは観客に必ず伝わる。
・・・田中さんのインタビューには何度も『肉体』という言葉が出てくる。
肉体は実在であり、肉体に刻まれた経験・感情・感覚というものは必ず視覚的にも
現れてくる、と。
言語で表現される言葉ではカバーしきれない言葉・・・それが肉体そのものの表現に
必ず立ち現れてくる、という演技論というか、世界観というか、その根底の部分は
「見たもの・感じたことを信じる」という木村の言葉と通じるのではないかなと。
田中泯さんは長年に渡って舞踏=肉体の表現に拘ってきた方。
木村もジャンルはまったく違うにしても、踊るように演じ、演じるようにダンスする
タイプの人なので、それはまったく不自然でもなんでもないなぁと。
肉体への絶対的な信頼感というか・・・そこから全てが始まる、というような。
ほとんど原始的で本能的な感覚が、きっと似通ってるんだなぁと思いました。
J Movie magazineにはグラビアは先日の無限の住人会見のだけなのですが、
個人的にはほんと、買ってよかったなぁと。
NALUも良かったですよ。
波乗りしてる木村はタレントの木村拓哉とは別の顔です。
とってもプライベートな・・・44歳のシンプルな男性の姿がそこにあります。
シンプルで飾らないからこそ豊かで美しい。
去年のあの壮絶なマスコミの叩きをくぐり抜けた男の顔。
そして次のページの小川氏のコメント。
これだな。と思いました。
サーファーの世界は完璧な実力主義。
テクニックだけじゃない。
カッコよく美しく波に乗れるかどうか。
不可解な思惑や力関係などは無縁の、シンプルに結果で評価される世界。
これがあったから彼は、正気でいられたんだよなぁ。
相変わらずワッツには変な人々が張り付いてるようですけどね。
滑舌うんぬんでずーっと小バカにしてましたもんね、「貶し愛」のファンたち。
まだそんなことやりたい人達がいるんだなーと。
案の定、あのメッセージで大喜びしてる輩もいましたし、ラジオネームにSMAPを
くっつけたがる人もいますが・・・
後半読まれたメッセージへの木村の対応と、前半のそれとは随分差があるなと。
そう感じてしまいました。
まぁ個人的な感じ方ですけれども(笑)
去年の大晦日で一区切りついたわけですが、最初に書いたように、世間的にはすでに
役者としての彼が認識され、アイドルだった頃よりフラットな目で見てもらえてるように思います。
だから今年は彼にとって新たなスタートラインの年に間違いない。
その道を選んでくれて本当にありがとうと伝えたい気分なんです。
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