無限の住人ジャパンプレミア 映画感想
2017年4月21日 映画 コメント (4)*どこからがネタバレなのか・・・?
どうしても「私の」目線が入ってしまいます。
ので、完全にフラットな目線で初日を迎えたい方はどうぞスルーしてください。
映画の予告映像って意外と曲者で。
「予告最高だったのにーーーーー!!本編全然違うじゃん!!!!」
って経験、ありませんか?
私は何度もあります。
もちろん木村の映画でもあります。
ICWRは酷かった。イケメンぞろぞろの裸祭り!?的な本編とかけ離れた酷さ。
あの予告のせいで劇場で見て、ちょっと騙された的なお客さん(カップル多し)
の表情を見て「こりゃだめだな・・・」と思ったら案の定。
あの作品に関してはジャパンプレミア(?)イベントも最悪でしたけれども。
全員がビニール傘持って一斉に広げた時は失望に打ちのめされそうでした・・・。
しかし。
「無限の住人」では杞憂でした。
ネオ時代劇。
子供の頃TVでよく見た時代劇の中には、水戸黄門や大河とは毛色の違う作品が
結構ありました。
陰惨でドロドロしていてブシュッと吹き出す血の生々しさが衝撃的だったのを
今でも鮮明に覚えています。
あの時感じた痛みや暗さを、スタイリッシュに現代風に作り変えた感じ。
予告と同じ、あの疾走感と暴力的で華麗な殺陣の連続そのままに、
万次は常に血まみれ泥まみれ傷だらけで、一つ傷が塞がれば二つ穴が開き、
真っ赤な鮮血がドロドロと(サラサラではなく)伝い落ち、地面に赤い水溜りが
転々と、あるいは小川のように流れを形成していくような容赦なさ。
片目を潰され、顔には大きな刀傷が横断し、髪はざんばら、いつ着替えたの?
な垢じみた匂いすら放ちそうな汚れっぷりです。
キセルで粋にタバコを嗜むけど主食は安酒と自分で釣った川魚だったりする。
ですが。
一つしかない瞳が放つ光。
妹・町を失い、無為に長い長い時間を生きている万次の目は、檻の中の動物。
それが、凛を得て彼女を守り抜くという目的を見つけた途端、野生を取り戻す。
夜の獣のように底光りする、黒く強靭な眼。
斬り・斬られの命のやり取りは、万次の宿命であり、背負った業の深さ。
死と隣り合わせに生を食む。
死神の甘美な囁き声を耳元で聞きながら、自分だけはそちらへ行けない諦念。
死にすら見放された男が、敢えて「生きる」ことを選択する・・・
「死なないじゃなく、死ねない。」
その意味を何度も何度も反芻し、確かめる。
全編の70%が壮絶な血まみれの、肉片が飛び散りそうな(飛び散ってないけど)、
壮絶な殺陣の連続です。
昔見たチャンバラ時代劇の1.5倍はスピーディでシャープじゃないだろうか。
カンフー映画やハリウッドのアクションテクニックを取り込んで進化した感じ。
ただ、動きがめちゃくちゃ早いだけでなく、重い。
例えば刀がぶつかる音もシャキーン!じゃなくガキン!って感じ。
切る時の音もズバッでなくズワァシャッ!って感じ。
金属で肉を断つ。「殺める」重み。
木村拓哉の万次は、シャープで見惚れるような美しい動作で舞うように戦い、
ズン!と重く、その体で刃を受け止める。
血仙蟲で不死とはいえ、痛みの感覚は少しも軽減されない万次。
刃が肉を断つときの痛みも、リアルすぎるほど伝わってくる。
包丁で指を切ったとすると、切れた瞬間って感じないじゃないですか。
一呼吸置いてズン!とやってくる、あの痛みの感覚。
木村の、痛みの表現の凄さはShitaoで分かってたつもりなんですけど。
いやぁ・・・「痛い!」にこんなにバリエーションがあったのか!と。
もしや木村拓哉にとって、あれは芝居でなく「そこに在る」痛みではなかったか。
想像力が、身体感覚を操ることってあるんですよね・・・。
凛を演じる杉咲花さん。
幼く見えるほど可愛らしい少女が、万次と暮らす内に身に纏う強さ。
小さい体で、文字通り全身全霊で相手にぶつかっていく肝の据わりっぷり。
時にはその情熱が万次をグラリと揺さぶる。
万次と凛。
兄妹ではなく恋人でも親子でもなく、そのどれでもある、男と少女。
用心棒と雇い主。
中年男と美少女というと「レオン」を思い出しますが、まさにあの関係。
杉咲さんが凛として(町として)存在してくれたから(万次を)やれた。
木村の言葉通りの関係性が映像に焼き付けられている。
他にも美男美女ばっかり登場するので、目の保養ですw
福士蒼汰の天津はすぎるほど美しく繊細だし、戸田恵梨香の槇絵はセクシーだし
市原隼人は傑山とは正反対の極道の尸良だし、時間の関係でその辺が
駆け足だったのは残念すぎるのですが・・・。
個人的に最も印象的だったのは万次と閑馬。
静かな、予感を孕んだ会話から華麗に、情け容赦なく刃を交わす二人。
そして閑馬が万次に問う言葉。
お前はなぜ生きる?
なんのために生きる?
その答えを、現在進行形として持っている万次。
でも、それは永遠に生きる宿命の中の、ほんの一瞬の時間であり。
それから、田中泯の吐。
ラスト、クライマックスの300人切り。
死を覚悟した吐がある日常的な行動をとるのですが、その見せ方が衝撃的で。
死屍累々の、重苦しい血の匂いが漂う戦場で、おそらく人生最後の日常動作。
異常の中に持ち込まれた日常。
死の真っ只中での生きるためのルーティンが、ぞっとする行為に見えてくる。
パフォーマーとしての田中氏の凄さを、思い知らされた気分です。
全編映像は暗めだし血と泥の匂いが色濃く漂うけれど、ところどころ
ハッとするような美しいシーンがあります。
特に、水辺に佇む万次と凛。
灰色の空、冬枯れた草や木々、冷たい川面。
うっそりと立つ万次の黒白の姿に、真っ赤な凛の衣装が、日本画の屏風絵のよう。
途中、とても辛くなるかもしれません。
が、最後の最後、あのラストカットを見た瞬間、
「もう一度最初から見たい!」と思わずにはいられない。
エンドロールに流れるMIYAVIの「Live to Die Another Day」
死にゆく者への鎮魂歌であり、「死ねない」万次のブルース(哀歌)のよう。
音は、ロックなんですけどね。
どうしても「私の」目線が入ってしまいます。
ので、完全にフラットな目線で初日を迎えたい方はどうぞスルーしてください。
映画の予告映像って意外と曲者で。
「予告最高だったのにーーーーー!!本編全然違うじゃん!!!!」
って経験、ありませんか?
私は何度もあります。
もちろん木村の映画でもあります。
ICWRは酷かった。イケメンぞろぞろの裸祭り!?的な本編とかけ離れた酷さ。
あの予告のせいで劇場で見て、ちょっと騙された的なお客さん(カップル多し)
の表情を見て「こりゃだめだな・・・」と思ったら案の定。
あの作品に関してはジャパンプレミア(?)イベントも最悪でしたけれども。
全員がビニール傘持って一斉に広げた時は失望に打ちのめされそうでした・・・。
しかし。
「無限の住人」では杞憂でした。
ネオ時代劇。
子供の頃TVでよく見た時代劇の中には、水戸黄門や大河とは毛色の違う作品が
結構ありました。
陰惨でドロドロしていてブシュッと吹き出す血の生々しさが衝撃的だったのを
今でも鮮明に覚えています。
あの時感じた痛みや暗さを、スタイリッシュに現代風に作り変えた感じ。
予告と同じ、あの疾走感と暴力的で華麗な殺陣の連続そのままに、
万次は常に血まみれ泥まみれ傷だらけで、一つ傷が塞がれば二つ穴が開き、
真っ赤な鮮血がドロドロと(サラサラではなく)伝い落ち、地面に赤い水溜りが
転々と、あるいは小川のように流れを形成していくような容赦なさ。
片目を潰され、顔には大きな刀傷が横断し、髪はざんばら、いつ着替えたの?
な垢じみた匂いすら放ちそうな汚れっぷりです。
キセルで粋にタバコを嗜むけど主食は安酒と自分で釣った川魚だったりする。
ですが。
一つしかない瞳が放つ光。
妹・町を失い、無為に長い長い時間を生きている万次の目は、檻の中の動物。
それが、凛を得て彼女を守り抜くという目的を見つけた途端、野生を取り戻す。
夜の獣のように底光りする、黒く強靭な眼。
斬り・斬られの命のやり取りは、万次の宿命であり、背負った業の深さ。
死と隣り合わせに生を食む。
死神の甘美な囁き声を耳元で聞きながら、自分だけはそちらへ行けない諦念。
死にすら見放された男が、敢えて「生きる」ことを選択する・・・
「死なないじゃなく、死ねない。」
その意味を何度も何度も反芻し、確かめる。
全編の70%が壮絶な血まみれの、肉片が飛び散りそうな(飛び散ってないけど)、
壮絶な殺陣の連続です。
昔見たチャンバラ時代劇の1.5倍はスピーディでシャープじゃないだろうか。
カンフー映画やハリウッドのアクションテクニックを取り込んで進化した感じ。
ただ、動きがめちゃくちゃ早いだけでなく、重い。
例えば刀がぶつかる音もシャキーン!じゃなくガキン!って感じ。
切る時の音もズバッでなくズワァシャッ!って感じ。
金属で肉を断つ。「殺める」重み。
木村拓哉の万次は、シャープで見惚れるような美しい動作で舞うように戦い、
ズン!と重く、その体で刃を受け止める。
血仙蟲で不死とはいえ、痛みの感覚は少しも軽減されない万次。
刃が肉を断つときの痛みも、リアルすぎるほど伝わってくる。
包丁で指を切ったとすると、切れた瞬間って感じないじゃないですか。
一呼吸置いてズン!とやってくる、あの痛みの感覚。
木村の、痛みの表現の凄さはShitaoで分かってたつもりなんですけど。
いやぁ・・・「痛い!」にこんなにバリエーションがあったのか!と。
もしや木村拓哉にとって、あれは芝居でなく「そこに在る」痛みではなかったか。
想像力が、身体感覚を操ることってあるんですよね・・・。
凛を演じる杉咲花さん。
幼く見えるほど可愛らしい少女が、万次と暮らす内に身に纏う強さ。
小さい体で、文字通り全身全霊で相手にぶつかっていく肝の据わりっぷり。
時にはその情熱が万次をグラリと揺さぶる。
万次と凛。
兄妹ではなく恋人でも親子でもなく、そのどれでもある、男と少女。
用心棒と雇い主。
中年男と美少女というと「レオン」を思い出しますが、まさにあの関係。
杉咲さんが凛として(町として)存在してくれたから(万次を)やれた。
木村の言葉通りの関係性が映像に焼き付けられている。
他にも美男美女ばっかり登場するので、目の保養ですw
福士蒼汰の天津はすぎるほど美しく繊細だし、戸田恵梨香の槇絵はセクシーだし
市原隼人は傑山とは正反対の極道の尸良だし、時間の関係でその辺が
駆け足だったのは残念すぎるのですが・・・。
個人的に最も印象的だったのは万次と閑馬。
静かな、予感を孕んだ会話から華麗に、情け容赦なく刃を交わす二人。
そして閑馬が万次に問う言葉。
お前はなぜ生きる?
なんのために生きる?
その答えを、現在進行形として持っている万次。
でも、それは永遠に生きる宿命の中の、ほんの一瞬の時間であり。
それから、田中泯の吐。
ラスト、クライマックスの300人切り。
死を覚悟した吐がある日常的な行動をとるのですが、その見せ方が衝撃的で。
死屍累々の、重苦しい血の匂いが漂う戦場で、おそらく人生最後の日常動作。
異常の中に持ち込まれた日常。
死の真っ只中での生きるためのルーティンが、ぞっとする行為に見えてくる。
パフォーマーとしての田中氏の凄さを、思い知らされた気分です。
全編映像は暗めだし血と泥の匂いが色濃く漂うけれど、ところどころ
ハッとするような美しいシーンがあります。
特に、水辺に佇む万次と凛。
灰色の空、冬枯れた草や木々、冷たい川面。
うっそりと立つ万次の黒白の姿に、真っ赤な凛の衣装が、日本画の屏風絵のよう。
途中、とても辛くなるかもしれません。
が、最後の最後、あのラストカットを見た瞬間、
「もう一度最初から見たい!」と思わずにはいられない。
エンドロールに流れるMIYAVIの「Live to Die Another Day」
死にゆく者への鎮魂歌であり、「死ねない」万次のブルース(哀歌)のよう。
音は、ロックなんですけどね。
コメント
私と全く同じ萌えツボを持つHTさんの感想が楽しみでもあり不安でもあったので、この感想は嬉しい限り!ワクテカが止まりません。
一緒に観ようね!尽きぬ程の萌え語りしようね!(´∀`*)
アホみたいなコメントですまんかった。
「死神の甘美な囁き声を耳元で聞きながら、自分だけはそちらに行けない諦念。
死にすら見放された男が、敢えて「生きること」を選択する・・・
「死なない」のでなく「死ねない」。」
これが私の知りたい全てです。この意味が知りたくて映画を見にいくつもりです。
それにしても運がないこと。全てに外れてしまいました・・・
HT様のレビュー、沢山の映画雑誌で読みたいです。
愛する方のためにもよろしくお願いいたします!
よかったー(ホッ)
できるだけフラットな目で見てもらいたいので萌えツボは敢えて省略。
万次として疾走し斬り・斬られ、のたうち回りながら生きる姿を見て欲しくて。
萌え語りしまくろうねーーーーーーー!!
きっとたくさんツボがあるんで!!
楽しみ!!!
万次は言葉では語らず行動で示す。
そこも同じだなと思いました。
どんなふうに描かれているか、楽しみにしていてくださいね。
私も自力ではぜんぶハズレてしまいました。ものすごい倍率だったようです・・・
いや〜^^;
投稿しても掲載されないと思います。
偏りすぎなので(汗)