モノクロのポートレイトってどうしてこう味わい深いんだろう。
過去の木村拓哉。
今の木村拓哉。
変わったけど、変わってないところ。

写真家でサーファーでもある横山泰介氏。
90年代のfineで、ハワイの、サーファーの木村を撮った方。
あの、まるでネイティヴのハワイアンの美少年が小麦色の肌にレイを纏い、
海に浮かびながら神々に感謝を捧げるかのような一枚を。
未発表だったとっておきの一枚がまた素晴らしくて。
二人の会話の中にも出てきたけれども、あれは素顔にちかいのだと。
こんなふうな会話を読み、あんなふうな写真を見てしまうと、いつも思う。
「自然の中でそのリズムに調和し生きていくのが本来の姿なのかもしれない」と。
それが彼の、いちばん幸せな姿なのかもしれない、と。
でももう暫く。
この混沌とした国のエンタメの世界の荒波の上にいて欲しい、と願ってしまう。

それにしても。
操上さんといい横山さんといい、交流のある方々の誰もがカッコよくて不良で
達観してるけどどこかギラギラと諦めてなくて、現役でロックしてる男たち。
「年を取るのが希望でしかない。 」 
年を取っていくごとに背負った荷物がどんどん軽くなっていく。
そんなふうに年を取った人たちは、無敵だ。

NALUの文章を読み終わったあと。
ふっと夕暮れの夏の空がどこまでも続く風景が頭に浮かんだ。
思い出した。
10代の中頃。大分の海。
夕暮れまで何時間も泳いで遊んで、仰向けにぷかぷか浮いてみた空。
明るくあわい青に少しだけぎんいろがかった雲、西の空からほんのり桃色の光。
雲の端がうっすらピンクに染まってそれがずーっと頭の上に続いていた。
この景色、一生忘れないぞ、と。
その時の気持ちも一緒に思い出した。

コメント

たぬきん
2017年6月10日11:52

>でももう暫く。この混沌とした国のエンタメの世界の荒波の上にいて欲しい、と願ってしまう。

ヲタは我が儘で無慈悲。私もそう願ってしまう。まだまだ彼が表現する物を見ていたい。NALUのモノクロの写真を見て、少年のような顔を見て、切なくなってしまうけど。

と、珍しく真面目に思うのでありました(;´∀`)

HT
2017年6月10日22:24

たぬきんコメントありがとう!

そうだよね。ウチら我儘で無慈悲かもしれないよね・・・。
NALUのモノクロの写真は木村拓哉が一人の生身の、ナイーブさや繊細さを
失ってない男性だってことを思い出させてくれて、とっても魅力的だけど
胸がチリッと痛みもする。
でもきっと木村自身がまだやりたいこと・表現したいことがあるからまだここに
踏みとどまってくれてるんだろうなとも思うんだよね。
もういいや、十分やりきった。
その時は潔くここでないどこかへ行ってしまうのかもしれないなぁ、なんて。