オープニングの映像で「え。ここから入るの!?」とちょっと面食らった。
エンディングで使うような構成だったので。
インセプション?2046? 近未来的な見たことのある、あり得ない風景。
音楽との相乗効果でフワッと体ごと映像に引き込まれる不思議な感覚。
冒頭30秒くらいの印象って割と当たる。
映像と音楽の扱いで自分好みか否か、何と無く分かってしまう。
社会派の映画はあまり見ないので、謳い文句がちょっと引っかかった。
正義とは、とか現代社会批判とか、そういうザックリしたものを提示されても
なんだか困ってしまうんですよね・・・。
いや、コレ絶対に好きなやつ。
オープニングで完全に引き込まれたのであった。
原作は未読といいますか、最初の30ページくらいで挫折して
下巻のラスト3ページだけを読んで、ふ〜ん。なるほどね。
程度の知識しかありませんが、読まなくても大丈夫でした。
映画として本当に面白いし、映像と音楽はスタイリッシュだし、
言うまでもないことですが、役者さんは全員素晴らしいです。
情報量が凄まじく、一つのカット、セリフ、小道具に到るまで、半端なく重い
バックストーリーを背負って繰り出されるので、全く気が抜けません。
いろいろ考えずひたすら映画の世界観に引き込まれ、迷い込み、
同情したり反発したり
不愉快になったり、絶望したり、高揚したりするのが、
この映画の正しい見方かもしれません。
考えるな、感じろ。(by.ブルース・リー)
さて、最上。
先日のTBSラジオインタビューで宇多丸さんが「嫌な感じ」と言ってた。
すっごいよく分かります。
映画が終わるまでに好きになれるかしら?と思うほどでした・笑
でも彼の「嫌な感じ」は脆さを隠すための虚勢であったことが程なく分かります。
有能で冷徹な検察官の仮面が剥がれていく過程の怯え、戸惑い、混乱。
小さい男なんですよ。
私怨からの行為すら、大義名分で正当化しようとする。
一線を超えた最上は二度と安らかに眠れない。
「最上は意識的に声のトーンを一定に保つようにした。」
その戦略、お見事。
外に向けて内なる狂気を解き放つ沖野とは対照的に、
内側の深く暗い水の中に沈んでいくような最上。
夜から朝への森の中のシーン。
木村と生命力を感じる植物の相乗効果が遺憾無く発揮されていて、
コーエン兄弟のミラーズクロッシングもだけど、ICWRのShitaoを
連想せずにはいられませんでした。
白いランニング姿で土にまみれ、消耗し尽くし、怯える最上。
すでにその目には狂気のカケラが見えるような・・・
待ってたんだよ、これを。
一線を超えた後も彼は今まで通りシャツにネクタイ、スーツに身を包む。
でも言動は明らかに逸脱し始めている。
内側から食い荒らされていく感覚を、
表情と微妙な声のトーンとで見事に表現する木村。
そんな最上に影のように寄り添う自称:ポチの諏訪部。
松重さんの演じるこのキャラクターが本当に魅力的で、
彼と最上の不可解な関係性が、物語に深みを与えています。
諏訪部の懺悔室。
神の代理人を自称する諏訪部はファウストを誘惑するメフィストフェレスのよう。
お前に力を与えよう。
その代わりに魂を貰うよ。
映画評でやたらクローズアップされるインパール作戦ですが、全くの無知だと
面食らうかもしれません。
親友:丹野との幻想シーンでも出てくるし、ラストにも絡んできます。
https://matome.naver.jp/odai/2140931110887793901
丹野は戦友。
現在も、そして遠い過去にも。
しかし。
彼と最上との密会の場が場なだけに、あらぬ妄想が頭を掠める・笑
沖野といえば! な感じで取り調べシーンのお芝居が話題になってますが、
確かに凄いんですよ。
マシンガンの勢いで繰り出す罵倒の数々。
二宮くんはこんなお芝居をする人だったのかーとしばし感心。
個人的にはラストのが印象的だったなぁ。
絶望と無力感に襲われた時、人はああするしかないのか。
沖野、諏訪部、丹野。
三人の男が一人の男に引き寄せられる。
愛とか憎しみとかの言葉では捉えきれない感情。
それぞれの「業」が過去に囚われた男・最上のそれと呼応し、
引き合い、反発し、逃れようもなくまた戻ってくる。
その中心にいる男、最上は静かに狂い始めている。
エンディングで使うような構成だったので。
インセプション?2046? 近未来的な見たことのある、あり得ない風景。
音楽との相乗効果でフワッと体ごと映像に引き込まれる不思議な感覚。
冒頭30秒くらいの印象って割と当たる。
映像と音楽の扱いで自分好みか否か、何と無く分かってしまう。
社会派の映画はあまり見ないので、謳い文句がちょっと引っかかった。
正義とは、とか現代社会批判とか、そういうザックリしたものを提示されても
なんだか困ってしまうんですよね・・・。
いや、コレ絶対に好きなやつ。
オープニングで完全に引き込まれたのであった。
原作は未読といいますか、最初の30ページくらいで挫折して
下巻のラスト3ページだけを読んで、ふ〜ん。なるほどね。
程度の知識しかありませんが、読まなくても大丈夫でした。
映画として本当に面白いし、映像と音楽はスタイリッシュだし、
言うまでもないことですが、役者さんは全員素晴らしいです。
情報量が凄まじく、一つのカット、セリフ、小道具に到るまで、半端なく重い
バックストーリーを背負って繰り出されるので、全く気が抜けません。
いろいろ考えずひたすら映画の世界観に引き込まれ、迷い込み、
同情したり反発したり
不愉快になったり、絶望したり、高揚したりするのが、
この映画の正しい見方かもしれません。
考えるな、感じろ。(by.ブルース・リー)
さて、最上。
先日のTBSラジオインタビューで宇多丸さんが「嫌な感じ」と言ってた。
すっごいよく分かります。
映画が終わるまでに好きになれるかしら?と思うほどでした・笑
でも彼の「嫌な感じ」は脆さを隠すための虚勢であったことが程なく分かります。
有能で冷徹な検察官の仮面が剥がれていく過程の怯え、戸惑い、混乱。
小さい男なんですよ。
私怨からの行為すら、大義名分で正当化しようとする。
一線を超えた最上は二度と安らかに眠れない。
「最上は意識的に声のトーンを一定に保つようにした。」
その戦略、お見事。
外に向けて内なる狂気を解き放つ沖野とは対照的に、
内側の深く暗い水の中に沈んでいくような最上。
夜から朝への森の中のシーン。
木村と生命力を感じる植物の相乗効果が遺憾無く発揮されていて、
コーエン兄弟のミラーズクロッシングもだけど、ICWRのShitaoを
連想せずにはいられませんでした。
白いランニング姿で土にまみれ、消耗し尽くし、怯える最上。
すでにその目には狂気のカケラが見えるような・・・
待ってたんだよ、これを。
一線を超えた後も彼は今まで通りシャツにネクタイ、スーツに身を包む。
でも言動は明らかに逸脱し始めている。
内側から食い荒らされていく感覚を、
表情と微妙な声のトーンとで見事に表現する木村。
そんな最上に影のように寄り添う自称:ポチの諏訪部。
松重さんの演じるこのキャラクターが本当に魅力的で、
彼と最上の不可解な関係性が、物語に深みを与えています。
諏訪部の懺悔室。
神の代理人を自称する諏訪部はファウストを誘惑するメフィストフェレスのよう。
お前に力を与えよう。
その代わりに魂を貰うよ。
映画評でやたらクローズアップされるインパール作戦ですが、全くの無知だと
面食らうかもしれません。
親友:丹野との幻想シーンでも出てくるし、ラストにも絡んできます。
https://matome.naver.jp/odai/2140931110887793901
丹野は戦友。
現在も、そして遠い過去にも。
しかし。
彼と最上との密会の場が場なだけに、あらぬ妄想が頭を掠める・笑
沖野といえば! な感じで取り調べシーンのお芝居が話題になってますが、
確かに凄いんですよ。
マシンガンの勢いで繰り出す罵倒の数々。
二宮くんはこんなお芝居をする人だったのかーとしばし感心。
個人的にはラストのが印象的だったなぁ。
絶望と無力感に襲われた時、人はああするしかないのか。
沖野、諏訪部、丹野。
三人の男が一人の男に引き寄せられる。
愛とか憎しみとかの言葉では捉えきれない感情。
それぞれの「業」が過去に囚われた男・最上のそれと呼応し、
引き合い、反発し、逃れようもなくまた戻ってくる。
その中心にいる男、最上は静かに狂い始めている。
コメント
ご覧になったのですね、
<諏訪部はファウストを誘惑するメフィストフェレス!>
きゃぁ~、物凄く好みです!
そして平さんとの絡みをとっても期待しています。
御父上の平幹二郎さんは一度舞台で木村さんと共演していただきたかったと
思っていた俳優さんですが、果たせなくて残念だと思っていただけにここ最近ととみに御父上に似て来たご子息の岳大さんと是非ごいっしょして欲しいと思っていました。品のいい大人のイケメン男ふたりのシーン、想像するだけでバクバクします(笑)。どんなシリアスドラマにも「純粋に美的なもの、ひたすら美しいもの」は存在していて欲しいと思うほうですから。
HT様の最後の5行の文章、鳥肌がたちます。
メフィストフェレスに誘惑されたファウスト、また暗き森に正しき道を見失い彷徨い、地獄の扉をあけあらゆる地獄の洗礼を受け、悶えながらついに天国に迎えいれられるダンテように最上検事にも救いがくるのだろうかとまだ映画を見もしない内にHT様の素晴らしい文章に導かれて想像、妄想が矢継ぎ早に出て来ます。28日にしか映画館にいけないのが歯がゆいです!
24日に見て来ました。
凄いです。
堕ちていく男。
その混乱と狼狽、恐怖と後悔の中からやがて狂気が生まれ支配していく。
それを、ずっとトーンの変わらない低い声で静かに、目の動きと仕草の変化で
見事に演じきった木村拓哉がいました。
それも限りなく妖しく。
彼を取り巻く男たち・・・沖野、諏訪部、丹野はファムファタールに魅入られたように
ある者は運命を狂わせ、ある者は命を落とし、ある者は喜んで闇を運んでくる。
メフィストフェレスな松重さんは絶品です。
いつか再び木村拓哉と、闇の眷属を演じて欲しい。
平さんと木村=丹野と最上の、危うい関係性を暗示するシーンもあり。
酔わせます。
アイカムウィズザレインのような作品を再び。
の祈りが通じたのでしょうか・笑
28日を指折り数えてお待ちくださいね。
指折り数えていよいよ明日になりました!
どうゆう心構えで1回目を見ようかと思いましたが、
ドイツのF.シーラッハの不条理ドラマ「犯罪」で初老の弁護士が
ストーリーの終わりに毎回いう言葉
「依頼人が本当に罪を犯したのか、犯さなかったなどは関係ない。
ただひたすら弁護をするだけ。それ以上でもなければそれ以下でもない」
これに倣って、最上の行為が正義だったのか、そうでなかったのかは
関係ない。ただひたすら最上側に沿ってその生き様を見届けるだけ。
それ以上でもなければそれ以下でもない、と思ってはいるのですが。。。
でもどうなりますか、楽しみでございます!
ご覧になられましたか?
どんな感想をお持ちでしょうか?
また時間のあるときにお聞かせくださいませ。
ご無沙汰してしまいました。
お呼びかけいただいて恐縮でございます。
28日の初見のあとやぶ用、来客そして小旅行もどきがあって帰宅した
ばかりで肝心の映画の感想をまとめる時間がありませんでした。
ただ幸いのことに出先(地方)で友人と昨夜の舞台挨拶映像つきで最上検事に
会えました!
ファーストシーンの画像と音楽が良いのとに続いての最上検事登壇の素敵さにすっきりすんなりと画面に気持ちが入りました。
それでも1回目はストーリーを追うのが大変で最初に思った最上側だけに立って、は無理でした。なるほどこういう話なのかと。でも決して難解な作品ではなく、むしろ最上検事がどのような心の段階を経て自分自身を罪人にしていくのかが、いろいろのサイドストーリを入れ込みながらもとても分かりやすく描かれていると思いました。
そして心打たれるのが最上検事から醸し出される孤独感。
もし検事に、あなたがこれまでの人生で一番しあわせだったのはいつですか、と
尋ねたら(私の全くの思い込みですが)、あの丹野や前川そして小さなマドンナ?由季ら暮らした北豊寮(うろ覚えですが)での生活だったと答えるのではないかと。回想シーンには最上や由季や仲間との屈託ない笑顔や楽しそうな場面が
沢山あります。言ってみれば草原の輝き、青春の輝きがあったような。
その大切な輝きをあの虫けらのような松倉によって一瞬のうちに打ち砕かれたしまった。しかも罪は問われず時効を迎えてしまう。原作を読んでいないのでわからないですが、最上が検事の道を選んだのもこの事件がきっかけになったかもしれないと思いました。
そしてその後の検事にあの頃に勝る幸せな気持ちにさせてくれる家族がいたら。
でもあの冷え冷えとした家庭。エリート最上検事にはほとんど笑顔がなかったような。ここで不覚にも涙が出てしまいました。
そして偶然に目にした松倉の名前、しかも少年A。続いて親友丹野の自殺。最上検事が一線を越える決心をした気持ちが痛いように分かりました。あとはそれこそ検事の気持ちにずっと寄り添って観れました。出来るなら最上検事をしっかりと抱きしめてあげたいと思ったことでした。検事は頭では決断しても、心や身体が
別の反応を示す。そこの表現の旨いこと!天才です!
ラストは観客もしずかでした。
18世紀のフランスの美学者・ディドロの言葉に
「詩人が手に入れるべき真の賛辞は、美しいセリフのあとで突然響き渡る
観客の拍手ではなく、長い沈黙のあと、それを和らげるかのように、観客の
魂からほとばしる深いため息である」
これに近いものがあったように思いました。
あとはともかくモガ様の素敵なこと!!そして昨日の木村さん!
すっかり最上検事は抜けてしまって、思わずきゃぁ~となってしまいました(笑)。何かあるのでしょうか。
それはともあれまたモガ様に会いに行きます。
新境地ではなくこれまで演じたことのない役をやっている木村さんを見に、です。彼にはもっともっと沢山の引出があります。それを引き出せる監督さんに
出会えます様に!
感想、頷きながら拝読いたしました。
最上の孤独感。
「最上が執着する理由が分からない」という感想を結構見かけるのですが、彼にとって青春の煌めき、あの一瞬の幸せの象徴がユキならば、納得がいくんですよね。
それを最悪の形で汚されてしまった。
検事という立場でありながら、「正しい」手続きに則る限り、絶対悪に無力である。
彼のような気持ちになること自体は稀ではない。
しかしその一線を超えてしまう人はそうそう居ない。
その一線を越えさせる、背中を押す動機付けとしての諏訪部と丹野。
その二人との関係性と業の深さの描き方が、映像でしかできない表現だったのが
ストーリー云々以上に私には魅力的に思えます。
丹野の死を知った時の最上の目。
諏訪部に差し出した時の手の心もとなさ。
弓岡を射殺した時の狂乱。恐怖。
諏訪部の運転する車内で目覚めた弱さが丸出しの最上は、すでに一線を超えて諏訪部の側の人間になってしまったことを強く印象付けましたし、
その後、沖野と対峙する最上の、人が変わったような嘘臭さは見ててぞっとするような空虚さでした。
>>「詩人が手に入れるべき真の賛辞は、美しいセリフのあとで突然響き渡る
観客の拍手ではなく、長い沈黙のあと、それを和らげるかのように、観客の
魂からほとばしる深いため息である」
よくわかります。
まさにその気分でしたから。
私もまだまだ何度も見にいくと思います。
心待ちにしていた木村拓哉に会いに。