ホームビデオの映像の中で制服姿の少女が笑う。
短いスカートの裾がふわりと翻ってカメラをからかうように駆け出す。
草の上に寝そべってこっちを見て微笑む。
少女は特別美しくもセクシーでもないけれど、気まぐれで屈託のない振る舞いは
ホームビデオで撮られたのであろうその映像の中で輝いている。

カメラは少女に恋してる。

彼女の名前は久住由季。
誕生日が同じという理由でダイナ・ワシントンの「Cry Me a River」に夢中になる。
15歳にしては大人びた、自分の世界を持っている女の子だったろう。
たぶん内気でロマンチストな最上には、自由奔放な由季は眩しすぎた。
四六時中いつもずっと眺めていたい。
細い指先からすらりと伸びた脚、弾む髪の先まで隈なく焼き付けたい。
カメラは最上の目になって由季を追いかける。
同じ寮に住む仲間との絆。
大家族みたいな寮生活。
輝くような日々の真ん中に、由季がいる。
胸に秘めた強い想いは日々強く確かに膨れ上がっていく。
最上の中で由季はもはやただの少女ではない。
最も輝かしい季節の笑顔と光と幸せの象徴だった。

検察側の罪人のパンフレットのインタビュー。
木村は最上の由季への気持ちを「すごく繊細でナイーブと感じた」という。
純白で、例えるなら自然に木になった果実のような存在だと。
この例えが最上の心理を見事に表現している。
彼の内的な世界をイメージする。
澄んだ空。広々とした緑の草地の真ん中に一本の樹。
日差しをきらきら反射する葉の陰に、熟しきっていない果実。
・・・木村の言葉のイメージはアダムとイヴの林檎を連想させる。
均整のとれた完璧な球形、わずかに赤みがかった艶やかな色。
林檎の樹の姿は完璧すぎ、その実をもぎ取るには最上は繊細すぎた。
それを松倉は枝ごと折り取って果実を踏みにじったのだ、と。
アダムとイヴは蛇に化身した悪魔に唆され、林檎を齧って楽園を追放された。
松倉はそれ以上のことをしたのだ。
一番美しかった思い出、幸せの記憶そのものが土足で踏みにじられたのだ。

その知らせを聞いた時、彼は駆け出しの検察官だったかもしれない。
法に携わり罪を暴き、罰する立場にありながら、何もできない無力感。
時効が成立した時、全てを破壊した怪物に裁きを下す望みも潰えた。

木村はこうも言っている。
「自分としては最上に賛成できないと演じるのが難しい。」
だから彼に同意できる感情を探していきました、と。
役の感情を「理解する」のと「同意する」のとは恐らく似て非なる感覚で、
木村のやり方は役の行動を理解し、伝わるようお芝居を組み立てるのではなく
役の感情に同意できる糸口を探し、その感情を手掛かりとして役の中に入り、
最上として感じ、考え、行動する。

その糸口になったのが由季への想いだと、彼は言う。
家族でも恋人でもなかった少女への、強い想いから人を殺める男。
彼を突き動かす怒りの原動力は、生身の久住由季という少女ではない。
彼女を中心に創造された幻の楽園。
最上の中にあった幸せの記憶そのものを、土足で踏みにじられた怒りだと
木村は感じ取ったのだと思う。

林檎の樹は枯れて褪せた灰色の白骨じみた姿。
最上の心の奥には荒廃した虚無の暗闇が広がっているのかも知れない。

美しい姿と深い声を持ち、ヤクザでさえ一目置く辣腕の検事でありながら、
女たちは彼をなんとなく敬遠し疎ましく感じ、距離をおく。
年上の妻。血の繋がっていない年頃の娘。沖野の事務官、橘。
人を愛せない男。
彼の中の闇を、女は本能的に嗅ぎ分けるのかも知れない。

男たちは彼に惹きつけられてゆく。
彼の抱えた孤独と闇の深さに。

「本当の正義を探せ。そして実現してくれ。俺の為にも。」
日本の政界を揺るがすだろう数冊のノートと、遺言代わりの映像。
それは丹野の信頼と愛情の証であり、もしかすると復讐かもしれない。
彼は結婚に反対した。
「結婚は出世の手段でしかない。」
「何が悲しくて子連れの年上の女など。」
汚れきって壊れかけた世界に絶望し、彼は命を絶った。

諏訪部。
「先生。俺がクイズを出す。エア麻雀で俺に勝ったら調書にサインしてやるよ。」
負けたら? 
「その時は先生。私のポチになってもらうよ。」
彼は受けて立ち、そして勝った。
あれが。  と最上は考えるたかもしれない。
あの時・・・挑発に乗って勝負した時、運命が決まった。
諏訪部の父は太平洋戦争末期、悪名高きインパール作戦に参加し、生還した。
最上の祖父もその一人だ。
同じルーツを持ち同じ記憶を共有する二人。
夥しい血と白骨が散らばるジャングルの獣道を延々と歩き続ける、希望なき生。
生きながら死んでいる、心の闇を抱えながら。
諏訪部は知っている。
最上の中に終わりのない白骨街道が続いていることを。
彼はメフィストフェレスであり、最上の保護者である。

諏訪部が銃を用意し、丹野が引き金を引かせた。
法で裁けない怪物を裁きの場に引き出す為、は言い訳に過ぎない。
彼は復讐したのだ。
永遠に失われた楽園の面影が、それで少しは取り戻せるかもしれない、と。
命を賭けて自分の存在を刻み込んだ丹野。
望めばどんなことでも叶えてやると約束する諏訪部。
一線を超えさせたのは丹野と諏訪部の、最上への執着ではなかったか。

最上のささやかな希望を打ち砕いた沖野は皮肉にも由季と同じ誕生日だった。
かつては最上に憧れ、野心に燃えて赴任した彼を、最上は威圧し、利用した。
沖野は疲弊し、失望し、最後には絶望して彼の元を去った。
彼は自らの正義を信じ、最上に闘いを挑んで勝利する。
しかし松倉の事故死と共にその陶酔も無に帰す。
最上の誘いを、沖野はなぜ断らなかったのか。
悪魔の囁きと知りながら。

最上は知っていた。
沖野が自分を拒まないだろうと。
由季と沖野は同じ誕生日なのだから。
自分が由季と分かち難く結びついたように。
それは最上の内的世界の話であり、現実とはまた別の世界線の出来事な筈だが
徐々に正気を喪いつつある最上にはもうどうでもいい話である。
現実に沖野は最上を訪ねてくる。
弓岡と松倉の死の影に最上がいると知りながら。
彼もまた、最上の闇に惹きつけられて行く。
悪魔の囁きが彼を捉え、後戻りできない世界へ踏み入れた絶望が彼を叫ばせる。

三人の男が最上に吸い寄せられて分かち難く結ばれる。
しかし最上の目は、誰も見てはいない。
彼は自分の内なる虚無を見つめている。
枯れて乾ききった灰色の、白骨の色をした林檎の樹を。

コメント

nophoto
なこ
2018年9月20日11:22

匂い立つ名文なり! ブラボー!
アナザーストリーとしての映画が浮かんだよん(*´▽`*)

たぬきん
2018年9月20日22:05

まるで一編の小説をみたいな素晴らしい文章です!読んでてトリップしちゃった。続き読みたくなるわぁ(*´ω`)

映画の感想で「殺害に至る動機が弱い。きっと原作はもっと詳しく書かれているのだろうけど。」みたいな事を書かれているのを何度か見かけましたけど、実は映画の方がハッキリと由希への気持ちが描かれているんだよね(;´∀`)

松倉が証言で「Cry Me a River」を歌った時の最上の衝撃と絶望はいかほどだっただろう。あの瞬間から狂い始めていたのかも知れないね。

しかし、最上の奥さんが由希と正反対なタイプなのって、何かの反動なのかしら。それとも娘に由希の面影を見出したのかしら。関係ないけど、あの奥さんICWRのリリに似てるよねw

沖野と最上の考察なんて、凄く読んでてドキドキしちゃった。いつか、こんな文章が書けるようになりたいものです(´・ω・`)

HT
2018年9月21日22:24

なこさんこんばんは。

褒めてくれてありがとうございます(嬉)
アナザーストーリーですかぁ・・・自分としては最大の謎=最上の心理を解明しようと書いてみたのです。気に入っていただけたなら良かったっす。

HT
2018年9月21日22:37

たぬきん師匠ありがとう!

そうそう、結構見かけるよね。
最上が殺人に至る動機が弱いのは原田監督の脚本のせいだ、って。
いやいやいや。
映像見たら分かるんじゃね?と不思議でしたが。

最上の奥さんねー・・・丹野じゃなくてもあれは謎←
娘=由季説を支持します、私は。
リリにそっくりでしたなーあの人。
ランニング姿の最上はShitaoだったし原田監督はICWRがお気に入りなのかしら。

今日また見て、あの歌を聞いた時最上の中で大崩壊が起きたのだなぁと実感。
初めて松倉の取り調べを覗くシーンで最上が暗闇の中から現れる感じにしたい、と
木村が監督に提案したってくだりを読んで、そこを意識して見たんだけど。
いやぁ。あれは効果的だったなぁ。
あそこで既に最上は闇に囚われてたのが良く分かる。
次に機会があったら注目して見て。

たぬきんにはたぬきんにしか書けないスタイルがあるじゃん。
私、大好きですのよ。
長文、ぜひ読みたいっす。
よろしく←

nophoto
裕子
2018年9月22日20:34

HT様

今一度映画を反芻しながら読ませていただきました。
いつもながら確信をついたご指摘になんども、そうなんですよ、絶対
そうですよね、と声に出しています。

失われた楽園、もしかしてこれはある程度年齢を重ね、似たような経験を少しでもした者にしか分からない感覚かも知れないなと思いました。
最上の楽園は彼のばかりではなく由季を中心にして一番純粋で幸せだった時間を共に過ごした丹野や前川の楽園でもあったんですよね。それを松倉が奪い去った。あの事件以来彼らは北豊寮での生活の思い出を、寮の存在そのものを一切口にしなかった、出来なかったのではないかと思いました、松倉が被疑者として現れるまで。最上の行動のこんなに強烈な動機はないと思います。

モガ様、いえ八神氏のゲーム「死神の遺言」のタイトルが
「正義という名の凶器」。これを「正義という名の狂気」とすれば
最上検事と沖野にすんなりと当てはまるような気がして、まさかねと思っております(笑)。