グランメゾン東京 (追記あり)
2019年10月25日 キムラさん コメント (6)料理って何だろう。
私は主婦でもあるので毎日料理を作る。
うちの旦那は飲めないのもあって帰りに一杯飲みながらご飯を食べる。
なんて事は皆無で、どんなに遅くても家で夕飯を食べる。
毎日のローテーションで作る料理は、正直面倒くさい。
じゃあコンビニでもスーパーでもお惣菜買ってくれば良いのだけど、
たまーにならともかく、なんか味気ない。
だから、作る。
自分のため。家族のため。
今日も料理をする。
冒頭はパリの二つ星レストラン「エスコフィユ」の厨房から始まる。
日仏首脳会談の要人を迎える準備が最高潮のそこはピリピリした空気が漂う。
前菜のウニの下処理が自分の指示と違うと、料理長の尾花は担当者を叱りつける。
「なぜ言った通りにしないんだ?」
「やりたいなら自分の店でやれ。」
「出ていけ!」
・・・何とまぁ傲慢な男だろう。
と思ったけど、自分の店で出す料理の全責任は自分が背負うのだから、
2つ星を戴く自分の店で、勝手な振る舞いは許さない、のも一理ある。
尾花はすでに相当数処理を終えていたウニを全て手直しする。
すでに時間はギリギリ。それでもきっちりやり終える。
卓越したセンスだけでなく、人一倍の集中力と努力をしてきた男と分かる。
彼はソースに取り掛かる。
生のウニにソバの実とオイルを合わせた料理だから、ソースは味の要だ。
渡された皿の中身をミキサーにかけ、一口すくって口に含む。
舌で味わい、鼻に抜ける風味を確かめるようにクッと顎を上げて天井を見上げる。
満足げな表情。
うん、いつも通りに素晴らしい。
自信と確信。
ソースはパーフェクト。ウニも完璧。
仕上げに白いマーガレットの花びら。
食べるのが惜しいような美しい一皿。
目で見、鼻で嗅ぎ、舌で味わうアート。
表現のために心を砕き、時間をかけて、全てのエネルギーを注ぎ込む。
尾花はアーティスト。
京野の完璧なテーブルセッティングはキャンバス。
皿の上には完璧に調和のとれた小さな宇宙。
味わい、深みを理解できるだけの、高度に洗練された人たちの為の料理。
3年後。
店を失い、仲間を失い、借金を背負って逃げ回る尾花は
昔のフランス映画に出てくる労働者階級の少年のような服にキャスケット。
見た目だけでなく話し方も振る舞いもまるで別人。
ランブロワジーで再び働くのを拒否され、締め出され、途方に暮れる。
その彼に願っても無いチャンス。
テストを受けに来た倫子を利用して昔の仕事場へこっそり無理やり潜り込む。
呆気にとられる倫子の横で神業の早さで仕上げるサフラン入りオイルのソース。
スプーンの柄を浸し、味を確かめる。
鼻から大きく息を吸い込む。芳醇でパンチの効いたオイルの風味。
天を仰ぐ横顔が逆光の中でアップになる。
深いため息と思わず漏れる愉悦の呻き。
選び抜かれた食材で作る完璧なハーモニー。
それは官能とエクスタシーの瞬間。
どれだけ長い時間、彼はこれに恋い焦がれていたのだろう。
倫子を助けるは名目で、尾花は自分の、快楽の為に料理した。
狭いキッチンの閉ざされた空間だけが、今の彼に相応しい神殿。
だからこそ手長エビのエチュべのシークエンスが象徴的な意味を持つ。
たぶんマルシェで調達した新鮮な食材。
町のビストロのこじんまりしたキッチンで尾花は腕を振るう。
ワインレッドの柄にダークグレイの鋼の包丁。
その色、形の美しさ。それは彼の美意識そのもの。
手長エビの背からスパッと入れた刃先に迷いは無い。
完璧に美しい切り口。
洗練された優雅な手つき。
食材への真摯な向き合い方、見つめるまなざし。
倫子のために料理を作る。
自分の助言を無視した彼女に見せつけるためだったとしても。
(尾花が調理する様子を見た倫子の表情…)
夕暮れのパリのビストロの店先。
出された一皿は、色といい盛り付けといい、
立ち上る香りに口元を綻ばせる倫子の表情と相まって、
香ばしい匂いが画面から溢れてくるようだった。
「美味しい。すっっごく、美味しい。」
その頬に涙がひとすじ。
一瞬、雑踏のざわめきが消えた。
オレンジ色に染まった空気の中、皿を前に目を閉じ、涙を流す美しい女。
見つめる尾花の目に何か新たな感情が宿る。
「誰かのために料理を作る」喜びを想いだした瞬間。
しかし彼は、身勝手で歯に衣着せぬ物言いの傲慢な男。
女に手が早く借金を踏み倒す。
店を出そうと誘ったのは本気かもだが具体的なプランは皆無。
人の心の柔らかい場所に、料理を武器に入り込んで引っ掻き回す夢想家。
魅力的な外見と声を持ち、腕前と天才的な閃きは神様のギフト。
人は彼を、クズと呼ぶ。
倫子の家のダイニングキッチンは本当に素敵。
リビングと一続きになった開放的な造りに、
どこか昭和の香りのする椅子とテーブル、食器棚。
棚の上に食器やキッチン用品が収められてそうな箱や籠が見える。
自然光の入る備え付けのキッチンに年季の入ったガスコンロ。
程よい広さのシンク。壁は清潔な白いタイル。
梅干しの壺があって、尾花によるとぬか漬けも作っているらしい。
人の手で使い込まれ、磨き上げられ、気持ちよく年を重ねた物たち。
「暮らしの手帖」とかに出てきそうだなぁ。居心地が良くて温かくて。
亡くなったお母様と彼女がどんな時間を過ごしたのか。
あのキッチンが倫子そのものな気がする。
彼女の喜びと悲しみ、笑顔と涙、試行錯誤の時間が、セピア色のヴェールのように
そこここにふり積もっている。
そのキッチンで尾花が最初に作った料理は和食。
ご飯、卵焼き。里芋と椎茸とカボスのお味噌汁。
「フレンチのシェフが和食?」
「日本人はお米でしょう。」
帰国してお米の良さを再確認するのはフレンチシェフあるあるだそう。
でも、尾花の料理魂が倫子の醸し出す空気に共鳴したとも思える。
冷蔵庫にあるものを集めて作ったような、正しく家庭的なメニュー。
それは「特別な愉しみ」のための芸術的な一皿ではない。
空腹を満たし、元気で健やかな1日を始めるための糧。
かつて名店・エスコフィユの厨房で唯我独尊なアーティストとして振る舞い、
落魄れて小さなキッチンでただ自分の悦びの為にソースを作った男が、
町のビストロでその日出会ったばかりの女の為に手長エビのエチュベを作った。
そして今、彼は彼女のキッチンで二人の為に料理を作る。
尾花は白いタイルをホワイトボードに見立て、そこに「京野」と大きく書いた。
本日のメニューは「クスクス・ア・ラ・メゾン」
A’laMaison=「自家製」
ランブロワジーの賄い飯。
京野と尾花の思い出の味。
そして京野の大好物。
「人の心を掴むには胃袋から」という諺があるけれど、まさにそれ。
鳩の骨つき肉や内臓なんて簡単に手に入るものじゃない。
「あの味」を再現するのにあちこち探し歩いただろう。
肉も野菜もスパイスも豪快に放り込みグツグツ煮込む。
ボーダーTシャツにキュッと白いエプロン。
明かり取りの窓の柔らかい光。
尾花の表情はどことなくイタズラを仕掛ける少年のように楽しそうで、
この一品に絶対の自信もうかがえる。
半ば騙されるようにして連れてこられた京野が鍋の中身を知った時の顔。
まさか、アレがまた食べられるなんて!
思わず駆け寄って鍋を覗き込む。
手に取るように心の動きが分かって、尾花はしてやったりだ。
美味しい不意打ちは、怒りさえ吹き飛ばすものらしい。
「ボナペティ。」
勧められるまま、掬って、ひとさじ口にする。
目を閉じゆっくり味わう。
喜びが彼の口の中から身体中に広がって思わず顔が緩む。
幸せを、余すことなく、大事に味わう。
尾花は目論見通りに「胃袋を掴んだ」。
がっしりと。
ストレートで無邪気で、彼にしかできない、一番効果的なやり方で。
悪魔の誘惑は美味と決まってる。
企みからのメニューだが、喜んで欲しくもあったはず。
京野はかけがえのないパートナー。
料理に全てを賭けた尾花にとって京野は夢の半身ですらあったはず。
だから倫子の「柚子」と「ご飯」の無邪気な提案を「論外。」と受け流す。
これは俺と京野の思い出のメニュー。
一緒に重ねた経験と感情が、食べるたびに蘇る、かけがえのない記憶装置。
アンタの為じゃない、と。
京野には手に取るようにわかっていたはずだ。
もちろんお詫びのつもりもあっただろうけど、動機は不純。
狡い男。
散々振り回して酷い目に合わせた癖にシレッと人の懐に飛び込んでくる。
俺が、お前の腕に惚れ込んでるのを知ってるくせに。
分かっている。
これは罠だ。
でも、彼の才能は本物だ。神様に愛された者。
どうしようもなく尾花に惚れている。
尾花は確信する。
あと一押しで、京野はこちらへ戻ってくる。
なのに尾花はとんでもないミスを犯す。
千載一遇のチャンスを、自ら台無しにするのも尾花らしいのかもしれない。
インスピレーションと魅力に溢れた尾花はしかし欠陥だらけの人間で、
俯瞰の目とか人の心の襞を感じ取る能力をてんで持ち合わせていない。
純粋と言えば純粋。ナイーブ。でも、あまりに子供っぽい。
倫子は絶対音感ならぬ絶対味覚で料理をたちどころに分析する。
「今の年齢ならあなたたちも絶対柚子だって。」
「日本で作るならクスクスよりご飯だなぁ。」
論理的で実際的。
天才的な料理の腕はないが、鋭い分析力がある。
1000万円を用意して京野をスカウトする実行力もある。
まさに破れ鍋に綴じ蓋。
急に料理したくなっちゃって、と言い訳しながら、倫子の言葉通りに
すりおろした柚子を使った尾花は、やっぱり彼女の舌を信じている。
京野と一緒に夢を再び叶えるには、彼女の力が必要だ。
柚子入りのクスクスアラメゾンは、尾花と倫子の初めての合作メニューだ。
京野の為の一皿が、3人のための一皿になる。
グランメゾン東京が生まれるべき場所にはまだ何もない。
しかも3年前のアレルギー食材混入の件は、過失でなく故意でもあるらしい。
尾花と倫子と京野。
夢を描く3人の前には想像以上の闇と困難が待っているのかもしれない。
3人はどんなキッチンを作り上げるんだろう。
追記)
キムタクがキムタクらしくて嬉しい!!
という声がたくさん流れてきて、ああーやっぱり。
きっと振り子が反対側に触れる日がくると思ってた。と一人で悦に入りつつ、ふと。
キムタクらしさ、ってなんだろう?
キムタクドラマで一番好きなのは?の質問に複数の答えが返ってくるように、
キムタクらしさもひとそれぞれのよう。
そんな中、女子SPA!のみきーるさんの言葉を見つけた。
これこそキムタクらしさの共通概念、正解でなくても最適解かと思う。
読んでみてくださいませ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191023-00961172-jspa-life
こういう分析はヲタには出来ませんね。
ちょうど良い距離感というものがあるのだなぁ。
そして木村の中のキムタクは、もしかしたら新たな局面に入ったのではないか?
と、尾花夏樹の純粋で眩しいようなクズっぷりを見ながらふと思う。
その直感が正しいか否かは、回を重ねるごとに分かってくるのだろうか。
私は主婦でもあるので毎日料理を作る。
うちの旦那は飲めないのもあって帰りに一杯飲みながらご飯を食べる。
なんて事は皆無で、どんなに遅くても家で夕飯を食べる。
毎日のローテーションで作る料理は、正直面倒くさい。
じゃあコンビニでもスーパーでもお惣菜買ってくれば良いのだけど、
たまーにならともかく、なんか味気ない。
だから、作る。
自分のため。家族のため。
今日も料理をする。
冒頭はパリの二つ星レストラン「エスコフィユ」の厨房から始まる。
日仏首脳会談の要人を迎える準備が最高潮のそこはピリピリした空気が漂う。
前菜のウニの下処理が自分の指示と違うと、料理長の尾花は担当者を叱りつける。
「なぜ言った通りにしないんだ?」
「やりたいなら自分の店でやれ。」
「出ていけ!」
・・・何とまぁ傲慢な男だろう。
と思ったけど、自分の店で出す料理の全責任は自分が背負うのだから、
2つ星を戴く自分の店で、勝手な振る舞いは許さない、のも一理ある。
尾花はすでに相当数処理を終えていたウニを全て手直しする。
すでに時間はギリギリ。それでもきっちりやり終える。
卓越したセンスだけでなく、人一倍の集中力と努力をしてきた男と分かる。
彼はソースに取り掛かる。
生のウニにソバの実とオイルを合わせた料理だから、ソースは味の要だ。
渡された皿の中身をミキサーにかけ、一口すくって口に含む。
舌で味わい、鼻に抜ける風味を確かめるようにクッと顎を上げて天井を見上げる。
満足げな表情。
うん、いつも通りに素晴らしい。
自信と確信。
ソースはパーフェクト。ウニも完璧。
仕上げに白いマーガレットの花びら。
食べるのが惜しいような美しい一皿。
目で見、鼻で嗅ぎ、舌で味わうアート。
表現のために心を砕き、時間をかけて、全てのエネルギーを注ぎ込む。
尾花はアーティスト。
京野の完璧なテーブルセッティングはキャンバス。
皿の上には完璧に調和のとれた小さな宇宙。
味わい、深みを理解できるだけの、高度に洗練された人たちの為の料理。
3年後。
店を失い、仲間を失い、借金を背負って逃げ回る尾花は
昔のフランス映画に出てくる労働者階級の少年のような服にキャスケット。
見た目だけでなく話し方も振る舞いもまるで別人。
ランブロワジーで再び働くのを拒否され、締め出され、途方に暮れる。
その彼に願っても無いチャンス。
テストを受けに来た倫子を利用して昔の仕事場へこっそり無理やり潜り込む。
呆気にとられる倫子の横で神業の早さで仕上げるサフラン入りオイルのソース。
スプーンの柄を浸し、味を確かめる。
鼻から大きく息を吸い込む。芳醇でパンチの効いたオイルの風味。
天を仰ぐ横顔が逆光の中でアップになる。
深いため息と思わず漏れる愉悦の呻き。
選び抜かれた食材で作る完璧なハーモニー。
それは官能とエクスタシーの瞬間。
どれだけ長い時間、彼はこれに恋い焦がれていたのだろう。
倫子を助けるは名目で、尾花は自分の、快楽の為に料理した。
狭いキッチンの閉ざされた空間だけが、今の彼に相応しい神殿。
だからこそ手長エビのエチュべのシークエンスが象徴的な意味を持つ。
たぶんマルシェで調達した新鮮な食材。
町のビストロのこじんまりしたキッチンで尾花は腕を振るう。
ワインレッドの柄にダークグレイの鋼の包丁。
その色、形の美しさ。それは彼の美意識そのもの。
手長エビの背からスパッと入れた刃先に迷いは無い。
完璧に美しい切り口。
洗練された優雅な手つき。
食材への真摯な向き合い方、見つめるまなざし。
倫子のために料理を作る。
自分の助言を無視した彼女に見せつけるためだったとしても。
(尾花が調理する様子を見た倫子の表情…)
夕暮れのパリのビストロの店先。
出された一皿は、色といい盛り付けといい、
立ち上る香りに口元を綻ばせる倫子の表情と相まって、
香ばしい匂いが画面から溢れてくるようだった。
「美味しい。すっっごく、美味しい。」
その頬に涙がひとすじ。
一瞬、雑踏のざわめきが消えた。
オレンジ色に染まった空気の中、皿を前に目を閉じ、涙を流す美しい女。
見つめる尾花の目に何か新たな感情が宿る。
「誰かのために料理を作る」喜びを想いだした瞬間。
しかし彼は、身勝手で歯に衣着せぬ物言いの傲慢な男。
女に手が早く借金を踏み倒す。
店を出そうと誘ったのは本気かもだが具体的なプランは皆無。
人の心の柔らかい場所に、料理を武器に入り込んで引っ掻き回す夢想家。
魅力的な外見と声を持ち、腕前と天才的な閃きは神様のギフト。
人は彼を、クズと呼ぶ。
倫子の家のダイニングキッチンは本当に素敵。
リビングと一続きになった開放的な造りに、
どこか昭和の香りのする椅子とテーブル、食器棚。
棚の上に食器やキッチン用品が収められてそうな箱や籠が見える。
自然光の入る備え付けのキッチンに年季の入ったガスコンロ。
程よい広さのシンク。壁は清潔な白いタイル。
梅干しの壺があって、尾花によるとぬか漬けも作っているらしい。
人の手で使い込まれ、磨き上げられ、気持ちよく年を重ねた物たち。
「暮らしの手帖」とかに出てきそうだなぁ。居心地が良くて温かくて。
亡くなったお母様と彼女がどんな時間を過ごしたのか。
あのキッチンが倫子そのものな気がする。
彼女の喜びと悲しみ、笑顔と涙、試行錯誤の時間が、セピア色のヴェールのように
そこここにふり積もっている。
そのキッチンで尾花が最初に作った料理は和食。
ご飯、卵焼き。里芋と椎茸とカボスのお味噌汁。
「フレンチのシェフが和食?」
「日本人はお米でしょう。」
帰国してお米の良さを再確認するのはフレンチシェフあるあるだそう。
でも、尾花の料理魂が倫子の醸し出す空気に共鳴したとも思える。
冷蔵庫にあるものを集めて作ったような、正しく家庭的なメニュー。
それは「特別な愉しみ」のための芸術的な一皿ではない。
空腹を満たし、元気で健やかな1日を始めるための糧。
かつて名店・エスコフィユの厨房で唯我独尊なアーティストとして振る舞い、
落魄れて小さなキッチンでただ自分の悦びの為にソースを作った男が、
町のビストロでその日出会ったばかりの女の為に手長エビのエチュベを作った。
そして今、彼は彼女のキッチンで二人の為に料理を作る。
尾花は白いタイルをホワイトボードに見立て、そこに「京野」と大きく書いた。
本日のメニューは「クスクス・ア・ラ・メゾン」
A’laMaison=「自家製」
ランブロワジーの賄い飯。
京野と尾花の思い出の味。
そして京野の大好物。
「人の心を掴むには胃袋から」という諺があるけれど、まさにそれ。
鳩の骨つき肉や内臓なんて簡単に手に入るものじゃない。
「あの味」を再現するのにあちこち探し歩いただろう。
肉も野菜もスパイスも豪快に放り込みグツグツ煮込む。
ボーダーTシャツにキュッと白いエプロン。
明かり取りの窓の柔らかい光。
尾花の表情はどことなくイタズラを仕掛ける少年のように楽しそうで、
この一品に絶対の自信もうかがえる。
半ば騙されるようにして連れてこられた京野が鍋の中身を知った時の顔。
まさか、アレがまた食べられるなんて!
思わず駆け寄って鍋を覗き込む。
手に取るように心の動きが分かって、尾花はしてやったりだ。
美味しい不意打ちは、怒りさえ吹き飛ばすものらしい。
「ボナペティ。」
勧められるまま、掬って、ひとさじ口にする。
目を閉じゆっくり味わう。
喜びが彼の口の中から身体中に広がって思わず顔が緩む。
幸せを、余すことなく、大事に味わう。
尾花は目論見通りに「胃袋を掴んだ」。
がっしりと。
ストレートで無邪気で、彼にしかできない、一番効果的なやり方で。
悪魔の誘惑は美味と決まってる。
企みからのメニューだが、喜んで欲しくもあったはず。
京野はかけがえのないパートナー。
料理に全てを賭けた尾花にとって京野は夢の半身ですらあったはず。
だから倫子の「柚子」と「ご飯」の無邪気な提案を「論外。」と受け流す。
これは俺と京野の思い出のメニュー。
一緒に重ねた経験と感情が、食べるたびに蘇る、かけがえのない記憶装置。
アンタの為じゃない、と。
京野には手に取るようにわかっていたはずだ。
もちろんお詫びのつもりもあっただろうけど、動機は不純。
狡い男。
散々振り回して酷い目に合わせた癖にシレッと人の懐に飛び込んでくる。
俺が、お前の腕に惚れ込んでるのを知ってるくせに。
分かっている。
これは罠だ。
でも、彼の才能は本物だ。神様に愛された者。
どうしようもなく尾花に惚れている。
尾花は確信する。
あと一押しで、京野はこちらへ戻ってくる。
なのに尾花はとんでもないミスを犯す。
千載一遇のチャンスを、自ら台無しにするのも尾花らしいのかもしれない。
インスピレーションと魅力に溢れた尾花はしかし欠陥だらけの人間で、
俯瞰の目とか人の心の襞を感じ取る能力をてんで持ち合わせていない。
純粋と言えば純粋。ナイーブ。でも、あまりに子供っぽい。
倫子は絶対音感ならぬ絶対味覚で料理をたちどころに分析する。
「今の年齢ならあなたたちも絶対柚子だって。」
「日本で作るならクスクスよりご飯だなぁ。」
論理的で実際的。
天才的な料理の腕はないが、鋭い分析力がある。
1000万円を用意して京野をスカウトする実行力もある。
まさに破れ鍋に綴じ蓋。
急に料理したくなっちゃって、と言い訳しながら、倫子の言葉通りに
すりおろした柚子を使った尾花は、やっぱり彼女の舌を信じている。
京野と一緒に夢を再び叶えるには、彼女の力が必要だ。
柚子入りのクスクスアラメゾンは、尾花と倫子の初めての合作メニューだ。
京野の為の一皿が、3人のための一皿になる。
グランメゾン東京が生まれるべき場所にはまだ何もない。
しかも3年前のアレルギー食材混入の件は、過失でなく故意でもあるらしい。
尾花と倫子と京野。
夢を描く3人の前には想像以上の闇と困難が待っているのかもしれない。
3人はどんなキッチンを作り上げるんだろう。
追記)
キムタクがキムタクらしくて嬉しい!!
という声がたくさん流れてきて、ああーやっぱり。
きっと振り子が反対側に触れる日がくると思ってた。と一人で悦に入りつつ、ふと。
キムタクらしさ、ってなんだろう?
キムタクドラマで一番好きなのは?の質問に複数の答えが返ってくるように、
キムタクらしさもひとそれぞれのよう。
そんな中、女子SPA!のみきーるさんの言葉を見つけた。
これこそキムタクらしさの共通概念、正解でなくても最適解かと思う。
読んでみてくださいませ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191023-00961172-jspa-life
こういう分析はヲタには出来ませんね。
ちょうど良い距離感というものがあるのだなぁ。
そして木村の中のキムタクは、もしかしたら新たな局面に入ったのではないか?
と、尾花夏樹の純粋で眩しいようなクズっぷりを見ながらふと思う。
その直感が正しいか否かは、回を重ねるごとに分かってくるのだろうか。
コメント
待ってました!!!
本当にHT様の文章には、人の心を動かす力がある、といつも思います。
拝読しているだけでも1話のすべてがありありと目に浮かびますもの。
またリピートします。
私的に印象深いのは倫子さんが30年かかってたどり着いた料理よりも
30秒でつくった尾花のオイルのほうが褒められたこと。
その悔しさが分かる?という倫子さんに「わかんない」という尾花。
また手長えびのエチュベを涙しながら食し「どうして私には作れないだろう」っていう倫子さん。
ここで、この世のものとも思えない曲をいとも無造作に創りあげる、ミューズの神に愛された天才モーツアルトとその曲の素晴らしさを誰よりも理解出来る唯一の人でありながら創作の才のないサリエリを想像してしまいました。
倫子さんは「絶対味覚で料理をたちどころに分析する」能力があるんですよ。
でも料理界のモーツアルトとサリエリは音楽界のとは違い互いの力を認め合いながら京野も加わって世界一のグランメゾン東京をめざすのでしょう。
ワクワクしかありません。
明日は第2話。HT様のご感想、楽しみに待っております!!
追記の方も。
「尾花夏樹で純粋でまぶしいようはクズっぷり」まさにその通りです(歓喜)。
あるドイツの思想家の言葉。(ニーチェだったような)
「優れた者の中にはつねに子供(少年)が宿る」
感想というよりレポみたいな文章になっていたので、どうかなぁと不安でした。
楽しんでいただけて良かったです。
モーツァルトとサリエリ。
尾花と倫子の関係性を的確に表現してらっしゃる。
能力と才能は違う。
能力は努力で身につくけれど才能は持って生まれたギフト。
人間は平等に作られていないんですよね…ミューズに愛された者。
京野もまたサリエリだったかもしれません。
尾花は傍若無人だけど否応無く惹きつける魅力がある。
それはたぶん彼の無邪気さじゃないかなと。
「根っこまで腐った人間にあんな料理は作れない」
倫子の言葉が全てじゃないかな。
もちろん外見や声の威力も凄いけど 笑
「優れた者の中にはつねに子供(少年)が宿る」
素敵な言葉。
木村の中にも眩しい少年がいますよね。
以前から拝読させて頂いてましたが、初めてコメントさせて頂きます。
いつもながらの情景が浮かんでくるような流暢な文章にパリの街を逃げていた尾花の姿やあの美しく香り立つようなお料理を思い起こしています。
今回のグランメゾン東京はキャスト、演出、美術、小道具全てが本当に同じ熱度で全力で作品を作り上げていて明日への元気をもらえるドラマだと思います。
尾花のクズっぷりも、京野の健気さも、倫子さんの男前ぶりもどれも絶妙な配分で素敵な大人のドラマとして楽しめます。それにしても画面に登場するキャストの美形ぶりが最高です。演技はもちろんですけど、せっかく日常から離れてドラマの世界に浸るなら画面のお料理と同様美しい演者を観れるのは最高のご馳走です。
エスコフィユの厨房でのシーンはその緊張感と共に尾花の動きと手際の良さが印象的でしたけど、私にとっては倫子さんのお家の台所がとても魅力的でした。
愛人云々はさておき、愛する人に心を込めてお料理をする人を身近で見てきた倫子さん。あの台所には母と娘の歴史が刻まれていて、尾花が『だからここの糠床は美味しいんだ』といった場面は倫子さん母娘への最高の言葉だったと思います。
私も主婦として30年以上台所に立っていますけど、台所って本当に自分の素顔に近い感じで人に見せるとか使ってもらうとかはちょっと抵抗がある場所です。
あの綺麗に磨き上げられ、使い込まれた台所に立つ倫子さんのお母さんは凛として美しかったんだろうなと思ったりもしました。
木村さんがお料理を題材として取り上げるのは大変とおっしゃってましたけど、そんな心配は無用なくらい見事なカメラワークで次々に画面に出てくるお料理の温かさや香りまで感じられて観ていると本当にお腹がすきます。
海外出張が多く仕事の関係で三星レストランにも行く機会もある夫は星の数の違いは本当に歴然としていて、台湾の三星レストランも本当に美味しいしくて、そのレストランが入っているホテルのオーナーを日本に招いた時には接待の料理にもやはり気を遣うそうです。基本ナイフとフォークを使って英語で会話している状況は楽しくないのでフランス料理は好まない夫ですけど、ドラマに出てくるお料理は本当に美味しそうだと言ってます。そして、さすがに木村の料理姿は様になってるなと褒めてました。ちなみにそんな夫が一番美味しいと思ったのはトルコ料理だとか。
きのう何食べた?のシロさんのお料理も見ていて楽しかったですけど、今回のグランメゾン東京は全く違うスタンスで楽しめる作品です。日本におけるフランス料理とレストランという特殊な世界、そこで闘うシェフ達の姿を描いていて、毎回様々な問題を倫子さんを中心にしてチームで乗り越えていく感じがワクワクさせてくれます。
京香さん、沢村さん、ミッチーとの相性も良くてストレスのない現場なのだろうと思えて今の木村さんの充実ぶりが嬉しいです。
長々となってしまいましたけど、是非またHT様のドラマ観賞後のコメントを楽しみにしています。
Twitterではお馴染みなのにこちらでは初めてなので、初めまして。
台所はその人が滲み出る。
おっしゃる通りで2話の舞台が倫子のキッチンから相沢のそれに広がったのも
意味があることだと思ってます。
倫子のキッチンとその歴史についてはそれだけで一本映画が撮れるような
波乱万丈で味わい深いエピソードがありそうですよね。
ぬか漬け、鶏そぼろ丼。
匂いが、食感が、伝わってくる映像。
TBSのカメラは素晴らしい。
トルコに行ったことはありませんが高田馬場のトルコ料理店で何度か食事しました。
日本人の口にあうと思うんですよね…羊が苦手だとちょっと難しいかもですが。
葡萄の葉を日本の桜や柏の葉のように使う。
西洋と南アジアの融合。
私はモモという羊を使ったヨーグルトソース味の餃子が好きです 笑
きのう何食べた?も素敵でしたよね。
食を通して生き方を見つめ直そうという気分が世の中に漂っているのかも。
グランメゾン東京を企画したスタッフさん素晴らしい。
木村の顔を見れば現場の充実っぷりがわかります。
キラッキラですよね。
あのテンションの作品を毎週届けるのは大変なプレッシャーでしょうけど、
そんなことより同じモチベーションの仲間とモノ作りができている。
その充実に勝るものはないのかもしれません。