チラチラと小雪の舞う寒い日。
エスコフィユの裏口のドアの側に男が思いつめた顔で座り込む。
その横顔。
カメラが正面に回って大写しになった彼の頬にスーッと透明なものが流れ落ちる。
傷心の尾花の悔し泣きのシーンなのに思わず見惚れてしまった。
どうしてこんなに無垢な少年の顔して泣けるのだろう?
背中を丸めてぎゅっと自分を抱きしめるようにして。
声をあげることも無しに、言葉にならない感情の塊が見ている私の胸に
ストンと落ちてきた感じがした。

カメラが切り替わるとエスコフィユの食堂。
京野の目も潤んでいる。
三つ星を獲れなかった悔しさ以上に、尾花の涙が彼には見えている。
今にも泣き出しそうな相沢。
そこへ祥平の作った賄いが届く。
熱々のチーズ。マッシュポテト。香ばしい匂い。
切り分けて皿に乗せ、裏口のドアを開け、そっと差し出す。
泣いている男に。
舞い散る小雪、濡れて冷たい頬も、温かい一皿がそっと溶かしてくれる。

「お前の賄いで救われた。」と尾花は言った。
同じレシピ、仕上げにちょっとだけ手を加えた。
一口食べて、祥平には全てが理解できた。
ピーナッツオイル。
「今度はお前が賄いを食べて救われる番だ。」と尾花は告げたのだ。

分かっている。
あれは不幸な事故だったこと。
お前の心が凍えてること。
俺の賄いを食べていけ。
心に刺さった氷を溶かしていけ。

と尾花は料理人らしく言葉でなく料理で伝えたのだ。

舞い戻ってきた尾花に祥平は殊更にキツく当たった。
落ちぶれた料理人。あんな人。あんなクズ。
拒否されて尾花は少し悲しそうだったけれど、追及しなかった。
事故の直後、雲丹を味見した時分かったのだろう。
仕上げのオイルは祥平の担当だったから。
祥平が自分を頑なに拒否する理由。
合わせる顔がないのと、悪いのは僕じゃない!がせめぎ合う。
忘れたい。忘れたふり。忘れたつもり。
尾花の顔を見た瞬間わかったはず。
いつか事実と向き合う日がくるだろう、と。
思い出の中の祥平と今の尾花が同じレシピで作るアッシパルマンティエ。
二人の姿がオーバーラップして3年前といまが料理で繋がる。
尾花が仕上げにピーナッツオイルをふりかけ、それを口にした時、
祥平は自分が最初から赦されていたのを知る。
彼は解放され、尾花の手を離れてフレンチの道へと戻って行く。

初回で倫子が店の味を受け継ぐことを「血筋」と言ったのが印象的で。
祥平は尾花の血筋を受け継ぐ者。
師弟関係はある意味、親子関係とも受け取れる。
その祥平がgakuへ行く。
丹後の血筋に尾花の血が混じることになる。
尾花は自分の息子(であり眷族)と刃を交わすことになる。
それを「おもしれぇことになってきた。」と呟く彼は、骨の髄まで料理人。


京野の尾花への想いの深さと激しさ。
尾花の心の内を細やかに読み取る彼は身を挺して店を守ろうとする。
「この店にはお前が必要なんだ!!」
お前が居るからこの店を守るんだ。と宣言したようなもの。
「それはお前だろう!」と返した尾花のニュアンスはちょっと違うかも知れない。
倫子に三つ星を、が尾花の目標だからだ。
その為には京野が絶対に必要だ。
京野ほど自分のことを理解し、補ってくれる存在はいないから。
祥平が血を分けた息子なら、京野は内助の功。
京野と尾花はある意味運命共同体 笑
・・・そんな男二人の暑苦しいやりとりを
「オーナーは私よ!」
「美味しいもの作って食べていただく。何も間違ってないよね!?」
と啖呵を切る倫子の格好良さ。
過去という投網にかかって雁字搦め、身動き取れない男たちを
その一喝で自由にする。
だって私は人生賭けてるんだもの、この店に。
女は今を生きる。

リンダもまた今を生きる女だ。
恋人だった尾花が自分の書いたコラムで窮地に立たされているのに
「これで潰れるならその程度の店だったのよ。」
さらりと言ってのける。
自らの手で過去を断ち、切り捨てたいのかもしれない。


グランメゾン東京はTVドラマの底力を見せつける作品だと思う。
演出、映像、脚本、音楽。
どれを取っても素晴らしい。
フレンチの有名レストランが全面協力するのも頷ける。
スタッフの本気度が桁違いだと思う。
メインの役者さんが全員、主役を張れる人ばかり。
だからこそ、複雑な伏線を張って細やかな演出が可能になる。
セリフだけじゃ伝わらない、お芝居だからこそ可能な表現って確実にあって、
成功するかどうかは役者の身体能力にかかっていると思うから。


3年前の尾花夏樹の苦境を木村拓哉と重ねてしまう人が多い。
SNSでなんども見た。
王道のキムタク、という声も目にするが、それはつまり木村拓哉が尾花夏樹と
分かち難く融合して見えるということ。
そう、いつものように。

コメント

nophoto
coco coro
2019年11月19日23:20

HT様

いつもながらの小説の一節のようなHT様の感想を読みながら、エスコフィユの裏口での尾花の美しい泣き顔を思い出します。
本当にこの作品はTVドラマの持つ力、魅力を久しぶりに実感させてもらえる作品ですね。映像作品としては私自身最近は映画が中心でしたけど、グランメゾン東京は何回もリピートして素晴らしい役者さん達の繊細なお芝居を通して各々の人生を垣間見ながら、その演出を堪能し、伏線を見つける喜びを享受しています。

それにしても、今回の尾花、祥平、京野の胸が痛くなるような涙に心が揺さぶられ自然に涙が出てきました。皆さん、本当に素晴らしい役者さんですね。

男は存外女々しくて、過去に拘りその傷を忘れられないところがあります。
少年のような純粋さと言えないこともないですけど、子供っぽくて一人強がりのところも。
そんな男達を一喝する倫子さんの男前っぷりが気持ちいいです。
女は今を生きる。
正におっしゃる通りです。

尾花イズムを受け継ぐ祥平がgakuに行き、いよいよ本格的な対決へとワクワクするような展開です。
終わって欲しくないと思いつつ、次回が待ち遠しい日々。
こんな素晴らしい作品を届けてくれるスタッフ、キャストに本当に感謝です。

nophoto
裕子
2019年11月22日19:48

毎回HT様の感想を拝読してノベライズは買わなくても大丈夫だと思っています。
プリントアウトして保存しています。

今回は素晴らしい愛の物語だと思いました。
料理の神様への愛、一切のセンス、才能や努力も表に出さす一心不乱に料理だけに専念する、いわば自己滅却しての料理へ愛。これはもしかしてアガペーの愛。

<京野の尾花への想いの深さと激しさ>
そして何もかも承知していて、恐らくは十字架を背負っているような気持ちへの祥平に<お前の賄いで救われた>という尾花の愛。
そしてそれを受けてフレンチを捨てずに自己拡充へのためにライバル店gakuに行く祥平の尾花に対する愛。これが師匠に対する最大の感謝だと思ってのではないでしょうか。仲間に対して、弟子に対してそして師匠に対しての深い深い想い、
これがもしかしてエロスの愛ではないかと思いました。

何度見ても同じところで泣いてしまいます。
それにしても巴里の町で見る尾花の美しい涙!
至福の回でした。


HT
2019年11月26日15:19

coco coro様。

こんにちは。

尾花の涙。
きれいだなぁと、ただそう思いました。
何故かなぁと考えたんですけど、浄化の涙だったからだろうと。
あの涙、初回の倫子の涙と同じだったんですよね。
「なぜ、自分にはできないのだろう?」
尾花は祥平の賄いに救われ、倫子は尾花と組んで前向きになれた。
救いと癒し、そして前進へと。
おっしゃる通り男の方が過去に引きずられやすいです。
高齢の夫婦で夫に先立たれても女は復活して残りの生を楽しめるけれど
妻に先立たれた男は寿命が短くなりがち。
女は今を生きる。

祥平と丹後のチームはどうなるのか。
グラメチームはどう迎え撃つのか。
楽しみですよね。

HT
2019年11月26日15:25

裕子様。

いやどうかノベライズをお買い求めください。
プリントアウトなんて・・・緊張して書けなくなります・・・^^;

アガペーとエロスですか。
そうですね。
人はなぜ料理するのでしょうね。
他の生き物はしません。
料理の神様はヴィーナスとバッカスの両方の性質を備えていそうです。
gakuへ行った祥平の気持ちは今週丹後の口から語られましたね。
どなたかが尾花を「元カレ」丹後を「今カレ」と例えてましたけれども。
両方の良いところを取り入れて祥平にしかない料理を作るようになったとき。
尾花は密かに喜びの涙を流すかもしれません。