グランメゾン東京 6
2019年11月26日 キムラさん コメント (5)「才能」
グランメゾン東京の初回から何度もモチーフとなっているテーマ。
尾花の作った手長エビのエチュべを食べた倫子が流す涙。
料理人の道を諦めギャルソンになった京野。
尾花への複雑な思いを胸に秘めた丹後。
インスピレーションでセンスのいいお菓子を作ってしまう萌絵には
料理の才能がある。
長い間下働きばかりしていた祥平の賄いは失意の尾花を救った。
「お前の料理には人を動かす力がある。」
「それは誰にでもあるものじゃない。」
芹田はそのどちらでもない。
まだ蕾すら付けてない。
知らないことは罪では無い。
が、それで取り返しのつかない事態を招くこともある。
知らない者は知っている者より大胆だったりする。
何か・誰かを敬う気持ちは価値を理解できてこそ湧き上がるから。
芹田の失敗を、何がどう違うのかその場で教えるべき、という人もいる。
言えば分かるはず。
理解できるはず。
似て非なる「理解する」と「分かる」。
100の言葉より一つの体験。
失敗して実感して反省する。
芹田の初めての賄いを見守る倫子と尾花。
出来たものへの反応は厳しいものだし、どこがダメか一切言わない。
考えろと突き放す。
未知数だけど、努力する気はある。
でなければあの二人のバイトのように辞めていたはず。
どうするか、どうなるか。
彼の、初めての試練だ。
芹田は魚屋でアルバイトを始める。
前向きだ。
その一方で江藤オーナーに大事なレシピを売ってしまう。
愚かすぎる。
そんな彼はまだ知らない。
その先にいつかぶち当たる「才能」の壁があることを。
尾花と丹後の会話のシーンはゾクゾクした。
「お前が育てた見習いが俺の武器になるかもしれない。」
丹後の横顔はむしろ苦悩に近い。
ふっと下を向いて2.3秒考えて
「楽しみだな。お前らがどんな料理を作るのか。」
ニヤリと笑って余裕を見せる尾花。
丹後は、たぶん繊細で生真面目だ。
問わずにはいられなかったのだろう。
祥平が俺の店に来るんだぞ?平気なのか?
本当はこう言いたかったのかも。
【祥平の本当の気持ちを知ってるのか?】
尾花には余計なお世話でしかない。
自分を、才能を信じている。
天才ゆえ自信満々だが孤独。
彼にしか見えない景色がある。
そんな尾花を救った祥平の賄いの味。
「お前の料理には人を動かす力がある。」
寧ろ祥平がライバルに育ってくれたら面白い。
もしかして自分と同じ景色を見れるかも知れない、と。
丹後もまた「才能」で苦悩する。
祥平は天才だと賞賛したけれど、表情は晴れない。
天才なら、自分は悩まないはずだ。
でも今は祥平が居る。
可能性は無限大。
二人でなら、壁を突破しもっと高みへ行けるかも。
尾花に倫子。
祥平には丹後。
尾花のライバルは丹後でなく祥平なのかも知れない。
レシピが盗まれたくらいで何よ?
レシピ通りに作っても同じ味にはならない。
尾花が萌絵に言った言葉を思い出す。
「だから世界中の料理人は必死になって努力するんだ。」
誰かが音楽と料理は似ているとおっしゃっていたそうだ。
同じ楽譜でも指揮者・演奏者でガラッと変わる。
上手い下手だけでなく個性でも変わる。
柿本はたぶん安易すぎたのだろう。
自分の味覚で判断する能力が低いのか、努力が足りないのか。
芹田はどうだろう?
違いに気づく味覚はある。
でも才能はまだ未知数だ。
彼は祥平になれるのか?
京野は今回もいい仕事をする。
彼が居なければ芹田はグランメゾンに戻れなかっただろう。
京野はグランメゾン東京の守護天使かもしれない。
彼は尾花を見守っている。
(見張ってるのかも知れないw)
倫子のお陰で尾花はエスコフィユ時代のように、一人で抱え込んで
自分で自分を追い詰めずに居られる。
料理だけに集中できる。
それを一番理解しているのも京野。
京野と倫子。
二人に支えられて尾花の天才は遺憾無く花開く。
相沢のアイデアがカンフル剤となり料理の発想を更新してくれる。
でも。
それは危ういバランスで成り立つ関係性かも知れない。
リンダとカンナ。
わざわざ履歴書を持ってきたカンナ。
エスコフィユの復活なんて許せない。
彼女の闇は、深い。
グランメゾン東京の初回から何度もモチーフとなっているテーマ。
尾花の作った手長エビのエチュべを食べた倫子が流す涙。
料理人の道を諦めギャルソンになった京野。
尾花への複雑な思いを胸に秘めた丹後。
インスピレーションでセンスのいいお菓子を作ってしまう萌絵には
料理の才能がある。
長い間下働きばかりしていた祥平の賄いは失意の尾花を救った。
「お前の料理には人を動かす力がある。」
「それは誰にでもあるものじゃない。」
芹田はそのどちらでもない。
まだ蕾すら付けてない。
知らないことは罪では無い。
が、それで取り返しのつかない事態を招くこともある。
知らない者は知っている者より大胆だったりする。
何か・誰かを敬う気持ちは価値を理解できてこそ湧き上がるから。
芹田の失敗を、何がどう違うのかその場で教えるべき、という人もいる。
言えば分かるはず。
理解できるはず。
似て非なる「理解する」と「分かる」。
100の言葉より一つの体験。
失敗して実感して反省する。
芹田の初めての賄いを見守る倫子と尾花。
出来たものへの反応は厳しいものだし、どこがダメか一切言わない。
考えろと突き放す。
未知数だけど、努力する気はある。
でなければあの二人のバイトのように辞めていたはず。
どうするか、どうなるか。
彼の、初めての試練だ。
芹田は魚屋でアルバイトを始める。
前向きだ。
その一方で江藤オーナーに大事なレシピを売ってしまう。
愚かすぎる。
そんな彼はまだ知らない。
その先にいつかぶち当たる「才能」の壁があることを。
尾花と丹後の会話のシーンはゾクゾクした。
「お前が育てた見習いが俺の武器になるかもしれない。」
丹後の横顔はむしろ苦悩に近い。
ふっと下を向いて2.3秒考えて
「楽しみだな。お前らがどんな料理を作るのか。」
ニヤリと笑って余裕を見せる尾花。
丹後は、たぶん繊細で生真面目だ。
問わずにはいられなかったのだろう。
祥平が俺の店に来るんだぞ?平気なのか?
本当はこう言いたかったのかも。
【祥平の本当の気持ちを知ってるのか?】
尾花には余計なお世話でしかない。
自分を、才能を信じている。
天才ゆえ自信満々だが孤独。
彼にしか見えない景色がある。
そんな尾花を救った祥平の賄いの味。
「お前の料理には人を動かす力がある。」
寧ろ祥平がライバルに育ってくれたら面白い。
もしかして自分と同じ景色を見れるかも知れない、と。
丹後もまた「才能」で苦悩する。
祥平は天才だと賞賛したけれど、表情は晴れない。
天才なら、自分は悩まないはずだ。
でも今は祥平が居る。
可能性は無限大。
二人でなら、壁を突破しもっと高みへ行けるかも。
尾花に倫子。
祥平には丹後。
尾花のライバルは丹後でなく祥平なのかも知れない。
レシピが盗まれたくらいで何よ?
レシピ通りに作っても同じ味にはならない。
尾花が萌絵に言った言葉を思い出す。
「だから世界中の料理人は必死になって努力するんだ。」
誰かが音楽と料理は似ているとおっしゃっていたそうだ。
同じ楽譜でも指揮者・演奏者でガラッと変わる。
上手い下手だけでなく個性でも変わる。
柿本はたぶん安易すぎたのだろう。
自分の味覚で判断する能力が低いのか、努力が足りないのか。
芹田はどうだろう?
違いに気づく味覚はある。
でも才能はまだ未知数だ。
彼は祥平になれるのか?
京野は今回もいい仕事をする。
彼が居なければ芹田はグランメゾンに戻れなかっただろう。
京野はグランメゾン東京の守護天使かもしれない。
彼は尾花を見守っている。
(見張ってるのかも知れないw)
倫子のお陰で尾花はエスコフィユ時代のように、一人で抱え込んで
自分で自分を追い詰めずに居られる。
料理だけに集中できる。
それを一番理解しているのも京野。
京野と倫子。
二人に支えられて尾花の天才は遺憾無く花開く。
相沢のアイデアがカンフル剤となり料理の発想を更新してくれる。
でも。
それは危ういバランスで成り立つ関係性かも知れない。
リンダとカンナ。
わざわざ履歴書を持ってきたカンナ。
エスコフィユの復活なんて許せない。
彼女の闇は、深い。
コメント
今回も素晴らしい文章をありがとうございます。
毎回お邪魔して申し訳ありません。
どんな世界でも最高峰を目指す人にとって何度となく考えるであろう「才能」という壁。
教育業界で仕事をしていた関係で能力について調べていた時、何かの研究結果として音楽であれスポーツであれ身体的特徴以外に才能と思われる有意なるものはないと書かれていました。
そうであれば倫子さんの持つ絶対的味覚は類い稀なる才能。
その倫子と料理に対する飽くなき探求心と努力を続け生活の全てを料理に捧げる尾花のタッグは京野さんが言う通り最強なのかも。
そしてその研究では「伝統と歴史ある分野では長年に渡る途方もない努力が必要で、その努力を続けることが出来るモチベーションのメカニズムの解明がその技術習得のために必要不可欠なもの」となっていました。
つまり長い歴史を持つ料理の世界で最高峰を目指すなら「当たり前の努力」が必要なのですよね。
そして、そのメカニズムの中に「具体的な理想の姿と自分のギャップを明らかにすること」がまずスタートとなるとありました。やはり言葉ではなく経験で自分の力の無さを思い知ることから始まるのですね。
記憶が曖昧ですが、その技術習得においてはある程度レベルアップした時にそのコンフォートゾーン(居心地の良いゾーン)から出て、更なる努力を続けられるかどうかが一つの鍵になるとあったと思います。 奇しくもミシュランの星の発表があった今日、世界中の料理人が再び最高峰を目指して努力をし続けるのでしょうね。
私は木村さんを見ていていつもアスリートに近いものを感じるのですが、それは経験が豊富でありながら、常に全力で最先端を走り続けようとしているところにあります。きっと木村さんは自分の中に描く理想の心的イメージを持っていて、もしプラトー(高水準安定。いわゆる伸び悩み)にさしかかったとしても、今までの経験を正しくフィードバックしてそれを打ち破る引き出しがあるのではと思っています。インプット、アウトプット、フィードバックが本当にきちんと出来ていて、多分そんな人はどんな職業についても一流のプロとなっていただろうなと思います。
尾花はコミュニケーション能力に難がありますが、今は京野、倫子、相沢という強力なサポートがある。それがグランメゾン東京が三星をとるのに不可欠なものなのは間違いないこと。
そして、フランス時代から今まで丹後が一番尾花との才能に差に悩んできたのかも。
そんな丹後の側には祥平が。
彼がスーシェフとしてどんな力を発揮するのか。
またまた来週の放送とHT様の文章を楽しみに1週間を過ごします。
今回はやぶ用が多くてあまりリピート出来ませんでしたので
HT様のを読ませていただけるのがとても有難いです!
才能、本当に難しいです。しかし面白いことに余り最初から才能があり、
認められてしまうと案外あっさりと別の分野に移ってしまう人も見かけます。
才能があるかないか分からないし、もしかしてないかも知れないと思っている
人ほどいつまでもその道から離れられないというのもあって、しかしやがていつの間にか気持ちと努力とか一緒になってその道のプロになっていたというひとも
知っています。でも才能があるのかないのか今もって分からないみたいです。
しかし尾花には、いえ、木村さんには確かにいろいろの才能がありますよね。
天才と言えるかも知れません。
<尾花は、自分を、才能を信じている。天才ゆえ自信満々だが、孤独>
UePさんが呟いておられましたが、すべてを失った時の尾花の絶望感は
いかばかりだったろうと。
「従僕にとって天才はただの人にしか過ぎない。何故なら従僕は自分でわかる範囲でしか天才を理解しないからだ。byパスカル」
天才をしっかり理解するのは同じような天才しかいないのですから、どんなに
尾花は孤独だったろうと思うとなんだか泣けてきそうです。
ですから倫子と京野がいてくれて本当に嬉しい!
なんだかドラマと現実とがごちゃごちゃになってしまって・・・
料理と音楽は本当に似ていますね。
<同じ楽譜でも指揮者、演奏者でガラッと変わる。上手い下手だけでなく
個性でも変わる>
おっしゃる通りでございます。それを今年のニューイヤーコンサートで
いやッというほど味わって参りました(笑)。
また料理と音楽はまさに一期一会。その時と全く同じものは二度と作れないというか、同じようであってもお客や聴衆が違うのですからやはりその時限りのものだと思います。だからこそその一瞬一瞬に全力を注ぎこむのでしょう。
蛇足:しばらく遠のいていたレストランに久しぶりに行ったところ、
従業員がほとんど全員ドラマ見ていました。とても勉強になる、って言っていました!分野は違えど、目指すところは一緒でしょうから。またこれまで席に来たことのなかったシェフがテーブルを回ってました。これもドラマの影響でしょうか。
7話、明日ですね。またよろしくお願いいたします!
7話のグランメゾンがまさにそこのお話でしたね。
外側から見たら「物凄い努力」が一流の料理人には「当たり前の努力」
努力が必ず実を結ぶとは限らない世界。
才能、努力、タイミング。
そしてたぶん、ネゴシエーション、人脈も・・・gakuのオーナーは徹底して
悪人と描かれていますが 笑
木村はまさにアスリートに近いなと私も思います。
身体イメージがものすごく正確で、しかもイメージ通りに動ける。
これって凄いことなんですけどね。
彼も「当たり前の努力」と考える人なんでしょう。
だから憧れる人と、妬む人がいる。
尾花と彼の重なる部分は大きいです。
天才の孤独。
木村個人のそれを考えるとき私は明石家さんまさんとの関係性を思い出します。
「木村と俺しかわからん世界があるんや。」と語ってらした。
ジャンルは全く違いますが…ずっとトップを、それもクリエイター側に移行せず、
第一線でお笑いを追求する。
木村も、たぶん人生の最後の瞬間まで芝居を追求するんだろうなと。
パスカルの言葉、その通りですよね。
尾花には倫子と京野がいる。
完璧な三角形。
がしかし、7話のラストで揺らぎ始めたようですが 笑
一期一会。
お料理も音楽も消えものですよね。
だからこそいつまでも余韻が感覚として記憶される。
舞台もそう。
だから、木村の舞台を見てみたいんですよ、私。
グランメゾン東京。
業界の方々の注目度、異常なほど高くて、分析がまた半端なく深い。
私などが書いてるのは恥ずかしいほどです・・・。
有難うございました!
一言だけ。
もうどんなに前から彼の舞台を望んでいたことか!
そして今なお望み続けております!