「あんたに星を獲らせてやるよ。」

星を「獲ってやる。」じゃなく「獲らせてやる」の意味。
倫子が、自分の手で、星を掴む。
尾花の役目は、彼女の中に眠る才能を引っ張り出し、育て、背中を押して、
自分を信じ、前へ歩いていけるようにすること。
いや、自分を信じて前を向けたのは倫子だけじゃない。
京野も相沢も、祥平も萌絵も、芹田も久住も。
丹後も柿谷も、江藤オーナ−さえも。
そして、リンダも。

尾花がどこまで意識的していたかは分からない。
過去の自分への落とし前をつけたかったのは確かだ。
発表を会場内で見届けられずに入口の壁に寄りかかっていた尾花。
「届いた…」
万感の思い。潤んだ瞳。
その時。
重い十字架から解放されて、尾花夏樹はもう一度歩き始める。

どうしても手の届かない三つ星。
苛立ち、当たり散らし、何を作っても楽しくない。心が動かない。
そんなエスコフィユ時代から急転直下、アレルギー食材混入事件。
店を失い、仲間を失い、何もかも失って彷徨った3年間。
一番辛かったのは、思うように料理できなかった事。
初回の、ランブロワジーの小さな厨房で自ら調理したソースを味わった…
あの時、深くふかく息を吸い、全身に喜びを行き渡らせた横顔を思い出す。
それからテナガエビのエチュベに涙した倫子を見つめる表情。
倫子が作ったハタのローストに、静かに瞳を潤ませる尾花。
出会った時の二人と交わした約束が成就するかどうかの瀬戸際。
「この料理で三つ星が獲れると思うか?」
倫子は自信がない。
自分を信じられない者に三つ星は獲れない。
尾花は、素晴らしいマグロ料理を完成させる。
倫子か?尾花か?
尾花はもう一度倫子を試す。
自身のプライドの為にグランメゾンに星は与えないと断言したリンダに出す一皿。
この魚料理が倫子の、尾花の、グランメゾン東京の命運を握る。
「私の魚料理で行く。」

倫子は、自分の舌を信じた。

尾花は、賭けに勝った。

「おれはもうこの店の人間じゃない。」
冷たい言葉?決別?
いや、違う。
確信したのだ。
グランメゾン東京はきっと三つ星の店になる。
おれの役目は終わった。


氷の女王のようなリンダ。
自分のプライドの為。キャリアの為。そしてたぶん、嫉妬の為。
グランメゾンに星は獲らせないと宣言する。
その彼女が。
一皿ごとに表情が和らぐ。
きつい目元はふわりとやわらぎ、唇が喜びにほころんでいく。
グランメゾン東京の料理の、骨格は尾花夏樹がデザインした。
そこに相沢と祥平のアイデアと絶対味覚を持つ倫子のセンス。
久住チョイスのワインのマリアージュに京野の細やかなサーヴィス。
萌絵の夢見心地の甘いデザートで完成する。
それは舌と目と鼻の、官能の喜び。
氷の女王は一粒の涙を流す。
温かい幸せの涙を。
涙が、氷の心を溶かした。
「美味しい!」は、それに魅せられた人にとって、それほどまでに、強い。
天から射すひとすじの光のような。
リンダはボスの機嫌を損ねるかもしれない。
マリクレールダイニングの編集長の地位を失うかもしれない。
それでも、彼女は自分の舌に忠実でいることにした。
私は自由。
フューシャ色の鮮やかなコートとルブタンの赤いヒールとが決意のあかし。


尾花は傍若無人で自信家で歯に衣着せぬ率直な男だが、
クズでもないし無神経でもない。
エスコフィユ時代、自分を見失い仲間を失い、全てを失ったが、
発端となった出来事は仲間を侮辱されたことと、才能ある若者を護ろうとしたこと。
彼は仲間を思う気持ちと人を見抜き・育てることのできる人。
美味しいか・美味しくないか。
才能があるか・ないか。
彼の選別はシビアだ。が、人を見る目と料理にかける情熱は本物だ。
その情熱と絶対的な天才が人を集める。
グランメゾンはエスコフィユを超えた。
「出来たな。最高のチームが。」
言葉通り、グランメゾン東京は三つ星になった。
二つの店の何が違ったんだろう?
尾花が祥平に語ったことば。
プレッシャーに打ち克つのは、
「自分を信じる力と、自分の料理で星を獲ったっていう揺るぎない手ごたえ。」
料理人のメンタルが料理の味に影響するのか?
少なくとも尾花は、三つ星に手が届かなかったのはそのせいだと思っている。
だから、グランメゾンは揺るぎないチームでなければいけなかった。
尾花の才能と人を信じる力が倫子のカリスマ性と結びついた時、奇跡が生まれた。


早見倫子とリンダ・真知子・リシャール。
尾花夏樹に二人の女。

リンダは尾花に愛憎半ばの感情を抱き断ち切れずにいる。
3年間音信不通だった男が、いきなり東京に現れる。
オーナーシェフは美しい女。
女に手が早い尾花、を知っているリンダに嫉妬が芽生えるのは必然。
アレルギー事件の犯人を庇って居たと知れば怒りも余計に、だ。
そのリンダに店にもう一度来てくれと懇願する尾花。
強引にエレベーターに乗り込み、女の目を覗き込むようにして、
甘く深い声で落しにかかる。

もう一度あの感動を味わいたくないか?
きみは知ってるだろう?
あの美味の快楽を味わいたくないか?
口にして舌で味わえば、身も心も蕩けるだろう。
天にも昇る心地にしてあげる・・・。
…それはもう色恋の駆け引き。
尾花の目線。手つき。
リンダは動揺していた。
打ち消すように胸ぐらを掴み、甘い言葉で誘惑する男を押し込み、扉を閉める。
私を3年も放っておいて、今更?
プライドと生粋のフーディの好奇心と、昔の男への愛着がせめぎ合う。


三つ星を手にした倫子はためらいもなく尾花を抱きしめる。
気っ風が良くて姉御肌な倫子も、女。
尾花は、抱きしめようとして一瞬、腕が躊躇う。
二人を繋ぐのは料理への情熱と信頼。
でも胸の中の、ほんとうの感情は?
二人は、それ以上踏み出そうとはしない。
男と女の関係になった時、二人のバランスは崩れるだろう。
でも、最後の最後に尾花が言う。
悪い男の顔で。
「お金ある?」「二人で世界中の星を掻っ攫う、ってのはどう?」
そして倫子は、ズルくて女を泣かせる男とばかり付き合って来た過去がある。

尾花夏樹は女に手が早い。
リンダと倫子。二人の女へのスタンスにその片鱗が垣間見えた。
もっともっと見てみたい。
もし、続編があるのなら、ぜひ。


グランメゾン東京を見て。
フレンチとエンターテイメントは似てると感じた。
素材を吟味し、最良のものを選び、調理方法・ソースで演出し、
選び抜かれた皿と盛り付けで目と舌と鼻を刺激し、楽しませる。
素晴らしいフレンチのコースは極上のエンターテイメント。
どんなに選び抜いた言葉より食べてもらうことで料理の素晴らしさが伝わるように、
グランメゾン東京の面白さは、言葉では表現しきれない。
手のひらいっぱいに掴んでも指の間から零れだす表現たち。
連続ドラマだからこそ丹念にディテールを積み重ねて描きうる世界。
2019年、このドラマに出会えて、本当に幸せでした。

コメント

nophoto
coco coro
2020年1月3日9:21

HT様

あの会場の外で三つ星獲得を知って涙する尾花を見て、彼はあのエスコフィユでも到達できなかった料理人としての誇りをやっと掴んだのかもと思いました。
多くの人達の運命を変えてしまったあのアレルギー事件で全てを失った尾花が倫子と出会い三つ星のシェフとして彼女を一人前に育てるという約束を果たす過程で再び仲間との絆を持ち、各々の人生を前に向かって進ませる後押しを出来たことがあの涙になったのだと思います。

そして今回やっぱりリンダが最高にいい女でした。
グランメゾン東京での食事のシーン。
美しく気高い女が料理人の誇りをかけた美味しい料理を口にする度にその氷の心を溶かし最後には優しい口元の笑みと一筋の涙を流す。
ボスからの命令より自分の舌を信じるという覚悟とグランメゾン東京がそれを証明してくれると断言する彼女の颯爽と立ち去る姿は彼女は尾花が惚れただけでなく心底尊敬するブーティなのだと感じられた場面で惚れ惚れする程格好良かったです。

そしてもう一人のヒロインの倫子。三つ星を獲った後の倫子さんのスピーチも素晴らしく、そして尾花への抱擁も倫子さんらしくて(相沢さんにもでしたから)本当に素直で可愛いくて彼女らしい姿でした。あのおおらかさと姉御肌な性格は彼女の舌とカリスマ性と共に本当に魅力的です。

最後の師匠のお店での尾花と倫子との会話はパリでの二人の出会いを思い出させる心憎い台詞でこれからの二人を想像して楽しめるものでした。

久しぶりに家族揃って観て、いろんな事を考え話すことになったドラマに出会った感じです。最終回は帰省中の次男坊も観ることとなり最初は「キムタクだから観てるの?」と言ってましたけど、ドラマの話題は知ってて下関に戻ったら暇だからネットで観てみると言ったのにはちょっと驚きました。

木村さんが傷つき苦悩する姿が大好きな私ですけど、このグランメゾン東京での仲間を思い繊細な心配りが出来る尾花はとても魅力的でした。もう少し女に手が早いところも見せて欲しかった気もしますけど。
この作品を作ってくださった全ての人達に心から感謝します。

HT様のブログを読んで本当に最終回を観終えた気持ちになりました。
いつも素晴らしい文章で作品を観る楽しみを倍増させていただきありがとうございます。

最後になりましたけど、今年もよろしくお願いいたします。





nophoto
裕子
2020年1月4日14:30

HT様

本当に素晴らしいドラマでした。
それに毎回HT様の含蓄溢れる文章に、毎回「そういうことだったのか」と
何度気づかせていただいたことでしょう。有難とうございました!

<フレンチとエンタメはよく似ていると感じた>
元旦は日本に来ているウイーンフォルクスオーパのコンサートに行って来ましたが、まさに素材を吟味し、最良のもの(曲目)選び、演奏法を吟味し、
最高の演奏技術で観客を魅了する。
そして休憩時間には団員4名ほどがCD売り場に来て、演奏が楽しめたかと
尋ねていました。幸いに中のハーピストの女性と話せましたが、彼らの素晴らしいプロ意識に感動しました。シェフがお客に今日の料理を楽しんでもらえたかどうかと尋ねるとの同じことだと思いました。
やはりどの世界も言葉よりも実際に形にした作品で勝負する。
改めて「覚悟」を提起してくれた「グランメゾン東京」でした。

それにしてもラストの
「お金ある?」「二人で世界中の星を掻っ攫う、っていうのはどう?」
これ、最高でした!

HT様、
今年もよろしくお願いいたします。沢山啓蒙して下さいませ!

HT
2020年1月11日13:41

coco coro様。

少し間が空いてしまいましたが、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

グランメゾン東京の面白さはまさに群像劇のそれでしたね。
全てのキャラがバックグラウンドが透けて見えるほどしっかり作り込まれ、
その人らしく物語の中に居る。
なのでドラマが終わってもどこかでみんなが日々を生きてるような。
根っからの悪人も一人もいない。そこも気持ち良かったです。
江藤オーナーも三つ星に振り回された一人でしたよね。
息子さんが夢中になるの、分かります。
面白くて気持ちのいいドラマは何度も味わいたくなりますもん。
きっとたくさんの人たちの胸に尾花夏樹が住み着いたことでしょう。
SPドラマでもいいので、「女に手が早い」尾花を描いて欲しいですよね!

HT
2020年1月11日13:49

裕子様。

遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

貴重な体験のお話、興味深く拝見いたしました。
本当にシェフのようなエピソードですね。
お客様の感想を直に聞く。
貴重なチャンスですが、怖くもあるでしょうね。
シビアな反応が返ってくるときもあるでしょうし。

>>やはりどの世界も言葉よりも実際に形にした作品で勝負する。

まさに!
やって、魅せる。作品で。
まずは知って・体験してもらうというハードルがあって、そこを超えた上での。
「作品は残る。」
ありきたりな言葉です。
が、何を言われて・書かれても黙々と作品に取り組み、魅せてきた人を思うとき、
これこそが真実だと、今、噛み締めております。