「お正月にこのドラマを放映する意味」
試写会での木村さんの言葉を何度も何度も反芻する。
「教場」関連のインタビューで、再放送の「ぼくらの時代」でも語ってましたよね。
ハラスメント。
モラハラ・パワハラと略称されたぶん手軽に・なんの気無しに使われることば。
風間公親の行動はハラスメント行為そのものと断定されても仕方がない。
ドラマで、警察学校という特殊な閉鎖空間での出来事として描かれていても
現実としてあの状況を目にした時、第三者はどんな反応を見せるのか。
これを2020年の、オリンピックを控えた日本の新年に放映する。
スタッフもフジTVにとっても挑戦的な企画だったはず。
フジの60周年記念ドラマを木村拓哉でやる、と決まった3日後にご本人から連絡が
あって二人とも事務所に内緒で警察学校を見学に行ったという話。
https://news.mynavi.jp/article/20200104-kyojo/2
凄いですよね。
君塚良一氏の脚本もまだ打ち合わせの段階で。
中江氏のインタビューでこのエピソードを知った時に思ったのは…
中江さんも木村さんもこのドラマが見る者に与える衝撃や社会的な意義、
つまり「ハラスメント肯定ドラマと受け取られ批判される可能性」を十分に理解した
上で、それでも2020年に。正月に。放送する意義を見出したんだろうなと。
2019年、初夏の頃だったかな?
weiboに「読書しています。」とアップしてた日がありましたよね?
あれがたぶん教場のことだったのだろうかと。
中江功監督も木村拓哉も思いつきやノリで作品を作る人じゃないんですよね。
当たり前ですけど。
でも、その当たり前が感じられないなぁと思ってしまうことも結構あったりする。
SNSの呟きを拝見してたら何となく人となりが分かってしまうのってありますよね?
スタッフも、役者さんも。
お二人ともそんな適当なスタンスとは全くの無縁。真逆。
だからこそ。
できあがった「教場」は尋常じゃない密度と衝撃力のある作品だったと。
見終わった時、
「やるじゃん!フジテレビ!!」
「底力あったね!!」
と思わず口をついて出た。
並みの料理人が怖くて手を出せない素材に敢えてチャレンジして、
誰も見たことがない一皿で刮目させるような力わざ。
(尾花夏樹のマグロ料理のようなもんですw)
「このドラマはフィクションです。」とちゃんとクレジットしてたのにも関わらず、
風間教官の銃の持ち方ガー!!使い方ガー!!といちゃもん付けてる人を
何人か見かけましたが…子供の頃ドリフのコントにケチつけてた無粋な
PTAのおばちゃん達を思い出しました。
曰く「子供が真似をする!」「品がない!」「馬鹿になる!」そっくり。
大人向けに高い志を掲げてしかもエンタメとしての完成度も申し分ない作品に。
この手の人々がいるから日本のエンタメは萎縮し自己規制という名の足かせを
自ら嵌めてつまんなくなっていくんだなーと実感いたしました。
アレはキムタクが勝手にカッコつけで改変したんだ!!などとほざく輩には
「風間のやり方は変態的じゃないか?と思う部分もあって」
という木村さんの一言を教えてあげたいものです。
追記)銃の扱いを批判するツイートを読んで真っ先に思い出した記事を。
「ジョーカー」が暴力行為を誘発するとの批判に反論する
トッド・フィリップス 監督とホアキン・フェニックス。
https://www.iza.ne.jp/smp/kiji/entertainments/news/191002/ent19100212540015-s1.html
中江監督が仰る通り、キャスティングも大正解だと思いました。
不器用さが悲しさに、素直さが危なっかしさに。
抜け目のなさが鋭さに。自己陶酔が尊大さに。
可愛い女性はより可愛らしく。
どの生徒を演じた役者さんも個性がまんま生かされるなーと。
そして、風間公親。
私には彼が木村さんそのもののように感じられました。
正確には、木村拓哉という役者さんの持つ個性の、ある部分そのものだと。
かつてさんまさんが
「軍人みたいやからなぁ。」
「他の人はしんどいかもしれへんで?」
と語ったというエピソード。
秩序を重んじ、周りを細やかに観察し、認識し、素早く適切に反応する。
ある種の完璧主義ゆえかも知れませんが、その言葉が想起させる人物像は
まさに風間公親そのものです。
実際、撮影時は彼が居るのといないのでは緊張感が全く違っていた、と。
若い役者さん達の空気感を変えちゃうんですよね…
木村拓哉をキャスティングした時点で、中江氏の目論見の半分は達成された、
ということなのかも。
都築とのシーンも印象的でしたね。
本音を隠すために心の鎧で覆われていた彼が、ついに本音を語りだす。
味方君は舞台が主戦場で映像作品は初めてだとか。
前編は台詞回しの癖がちょくちょく気になりました。
で、問題のシーン。
風間に罵倒され、力づくで押さえつけられた都築の言葉は、挑みかかるよう。
もろに舞台っぽいセリフ回しが、言葉の意味を際立たせる。
ここ、木村さんちゃんと合わせてるなと思いました。
いつもよりずっと「お芝居してます」感のあるリアクション。
彼のお芝居は結構細かく見てるので分かります(謎の自信w)
味方君の全力を受け止め、反射する。
お芝居は共演者とのコミュニケーションとの言葉通りでした。
余談:
【あのシーンを見てつい沖野の取り調べを連想してしまいました。
二宮君、やっぱ凄い。
キワキワを攻めて見事に収めるスキル…場数で身につくのだろうか…?】
話が逸れてしまいました。
風間公親を木村拓哉の新境地!!と評価なさってるのを見かけると本当に嬉しい。
そして、自分がいかにディープな木村拓哉ヲタなのかを改めて教えられる。
ドラマの、大ヒット作でしか見たことのない方々には、そう見えるのですよね。
あのビジュアルがとにかく効果的ですし。
白髪。色眼鏡(グラサンだなんて言えない)。そして、義眼。
初見で魔力があると思った、右目。
人一倍黒目が大きく光を反射する木村さんの眼球。
若々しさも可愛らしさも美しさも、あの大きな瞳と澄んだ白目あってこそ。
1/3ほどのサイズで輝きのない瞳は、まるで妖魔が取り憑いたよう。
前編はそのビジュアルの異様さをフル活用したサスペンス風味。
一人剣道場で瞑想する彼がカッと目を見開いたカットは、
空から降る一億の星の涼を連想する思わせぶり。
【この男には魔物が憑いている】
超自然的な力さえ感じるような。
そこからの狂気を孕んだ射撃場でのシーン。
あくまでも「玩具です」と言い張る生徒に銃口を向ける。
「暴発したら腕が吹っ飛びますよ?」
「構わん。既に右目を喪って居る。」
木村さんが「変態的」と言ってたのはこのシーン。
風間の言葉には単なる脅し以上の狂気が見えた。
内なる闇。絶望と、怨念とが。
逆説的に「拳銃を撃つ」ことの重さを、ズシリと感じさせる。
制作側の意図は、まさにそこだったのだと思います。
そこからの、女子二人の淡い恋心のエピソードを入れ込む流れ。
風間公親が木村拓哉だからこその圧倒的な説得力。
一本指でくいっと菱沼の顎をあげる横顔の端正さ。
涙ながらに一礼する枝元を無言で受け止める背中。
風間公親、実は女にモテるはず。(妄想)
都築の涙の告白を正面から受け止め、全員に合格を言い渡し、卒業式。
一人一人にかける短い労りの言葉が心に沁みこむ。
常に冷徹に容赦なく接していた風間の、人間性の芯に触れた生徒たち。
きっと、一生忘れられない。
辛くて挫けそうな時にふと思い出すに違いない、風間の伝言。
風間公親は父性のひと。
子供の前に大きく立ちはだかり、試練を与え、乗り越えろと突きつける。
まるで崖から我が子を突き落とすライオンのよう。
その時、私はふと思う。
これはハラスメントと言えるのだろうか?
風間のやり方はもちろん、閉鎖空間の外では絶対に通用しない。
一般的なサラリーマンの仕事の場でも、決してあってはならない。
しかし。
警察官という仕事の特別な厳しさと過酷さを知った後では、世間一般の論理を
そのまま当てはめるのが果たして公平なのかどうか。
一面だけを見て断定したり一様に均一的な有り様を求めるのが平等なのか。
「私ほど警察を恨んでる人間もそういない。」
生徒に過酷な試練を課すやり方には、過去の出来事が絡むのは間違いない。
その謎めいた過去を、木村拓哉の風間公親で見てみたい。
試写会での木村さんの言葉を何度も何度も反芻する。
「教場」関連のインタビューで、再放送の「ぼくらの時代」でも語ってましたよね。
ハラスメント。
モラハラ・パワハラと略称されたぶん手軽に・なんの気無しに使われることば。
風間公親の行動はハラスメント行為そのものと断定されても仕方がない。
ドラマで、警察学校という特殊な閉鎖空間での出来事として描かれていても
現実としてあの状況を目にした時、第三者はどんな反応を見せるのか。
これを2020年の、オリンピックを控えた日本の新年に放映する。
スタッフもフジTVにとっても挑戦的な企画だったはず。
フジの60周年記念ドラマを木村拓哉でやる、と決まった3日後にご本人から連絡が
あって二人とも事務所に内緒で警察学校を見学に行ったという話。
https://news.mynavi.jp/article/20200104-kyojo/2
凄いですよね。
君塚良一氏の脚本もまだ打ち合わせの段階で。
中江氏のインタビューでこのエピソードを知った時に思ったのは…
中江さんも木村さんもこのドラマが見る者に与える衝撃や社会的な意義、
つまり「ハラスメント肯定ドラマと受け取られ批判される可能性」を十分に理解した
上で、それでも2020年に。正月に。放送する意義を見出したんだろうなと。
2019年、初夏の頃だったかな?
weiboに「読書しています。」とアップしてた日がありましたよね?
あれがたぶん教場のことだったのだろうかと。
中江功監督も木村拓哉も思いつきやノリで作品を作る人じゃないんですよね。
当たり前ですけど。
でも、その当たり前が感じられないなぁと思ってしまうことも結構あったりする。
SNSの呟きを拝見してたら何となく人となりが分かってしまうのってありますよね?
スタッフも、役者さんも。
お二人ともそんな適当なスタンスとは全くの無縁。真逆。
だからこそ。
できあがった「教場」は尋常じゃない密度と衝撃力のある作品だったと。
見終わった時、
「やるじゃん!フジテレビ!!」
「底力あったね!!」
と思わず口をついて出た。
並みの料理人が怖くて手を出せない素材に敢えてチャレンジして、
誰も見たことがない一皿で刮目させるような力わざ。
(尾花夏樹のマグロ料理のようなもんですw)
「このドラマはフィクションです。」とちゃんとクレジットしてたのにも関わらず、
風間教官の銃の持ち方ガー!!使い方ガー!!といちゃもん付けてる人を
何人か見かけましたが…子供の頃ドリフのコントにケチつけてた無粋な
PTAのおばちゃん達を思い出しました。
曰く「子供が真似をする!」「品がない!」「馬鹿になる!」そっくり。
大人向けに高い志を掲げてしかもエンタメとしての完成度も申し分ない作品に。
この手の人々がいるから日本のエンタメは萎縮し自己規制という名の足かせを
自ら嵌めてつまんなくなっていくんだなーと実感いたしました。
アレはキムタクが勝手にカッコつけで改変したんだ!!などとほざく輩には
「風間のやり方は変態的じゃないか?と思う部分もあって」
という木村さんの一言を教えてあげたいものです。
追記)銃の扱いを批判するツイートを読んで真っ先に思い出した記事を。
「ジョーカー」が暴力行為を誘発するとの批判に反論する
トッド・フィリップス 監督とホアキン・フェニックス。
https://www.iza.ne.jp/smp/kiji/entertainments/news/191002/ent19100212540015-s1.html
中江監督が仰る通り、キャスティングも大正解だと思いました。
不器用さが悲しさに、素直さが危なっかしさに。
抜け目のなさが鋭さに。自己陶酔が尊大さに。
可愛い女性はより可愛らしく。
どの生徒を演じた役者さんも個性がまんま生かされるなーと。
そして、風間公親。
私には彼が木村さんそのもののように感じられました。
正確には、木村拓哉という役者さんの持つ個性の、ある部分そのものだと。
かつてさんまさんが
「軍人みたいやからなぁ。」
「他の人はしんどいかもしれへんで?」
と語ったというエピソード。
秩序を重んじ、周りを細やかに観察し、認識し、素早く適切に反応する。
ある種の完璧主義ゆえかも知れませんが、その言葉が想起させる人物像は
まさに風間公親そのものです。
実際、撮影時は彼が居るのといないのでは緊張感が全く違っていた、と。
若い役者さん達の空気感を変えちゃうんですよね…
木村拓哉をキャスティングした時点で、中江氏の目論見の半分は達成された、
ということなのかも。
都築とのシーンも印象的でしたね。
本音を隠すために心の鎧で覆われていた彼が、ついに本音を語りだす。
味方君は舞台が主戦場で映像作品は初めてだとか。
前編は台詞回しの癖がちょくちょく気になりました。
で、問題のシーン。
風間に罵倒され、力づくで押さえつけられた都築の言葉は、挑みかかるよう。
もろに舞台っぽいセリフ回しが、言葉の意味を際立たせる。
ここ、木村さんちゃんと合わせてるなと思いました。
いつもよりずっと「お芝居してます」感のあるリアクション。
彼のお芝居は結構細かく見てるので分かります(謎の自信w)
味方君の全力を受け止め、反射する。
お芝居は共演者とのコミュニケーションとの言葉通りでした。
余談:
【あのシーンを見てつい沖野の取り調べを連想してしまいました。
二宮君、やっぱ凄い。
キワキワを攻めて見事に収めるスキル…場数で身につくのだろうか…?】
話が逸れてしまいました。
風間公親を木村拓哉の新境地!!と評価なさってるのを見かけると本当に嬉しい。
そして、自分がいかにディープな木村拓哉ヲタなのかを改めて教えられる。
ドラマの、大ヒット作でしか見たことのない方々には、そう見えるのですよね。
あのビジュアルがとにかく効果的ですし。
白髪。色眼鏡(グラサンだなんて言えない)。そして、義眼。
初見で魔力があると思った、右目。
人一倍黒目が大きく光を反射する木村さんの眼球。
若々しさも可愛らしさも美しさも、あの大きな瞳と澄んだ白目あってこそ。
1/3ほどのサイズで輝きのない瞳は、まるで妖魔が取り憑いたよう。
前編はそのビジュアルの異様さをフル活用したサスペンス風味。
一人剣道場で瞑想する彼がカッと目を見開いたカットは、
空から降る一億の星の涼を連想する思わせぶり。
【この男には魔物が憑いている】
超自然的な力さえ感じるような。
そこからの狂気を孕んだ射撃場でのシーン。
あくまでも「玩具です」と言い張る生徒に銃口を向ける。
「暴発したら腕が吹っ飛びますよ?」
「構わん。既に右目を喪って居る。」
木村さんが「変態的」と言ってたのはこのシーン。
風間の言葉には単なる脅し以上の狂気が見えた。
内なる闇。絶望と、怨念とが。
逆説的に「拳銃を撃つ」ことの重さを、ズシリと感じさせる。
制作側の意図は、まさにそこだったのだと思います。
そこからの、女子二人の淡い恋心のエピソードを入れ込む流れ。
風間公親が木村拓哉だからこその圧倒的な説得力。
一本指でくいっと菱沼の顎をあげる横顔の端正さ。
涙ながらに一礼する枝元を無言で受け止める背中。
風間公親、実は女にモテるはず。(妄想)
都築の涙の告白を正面から受け止め、全員に合格を言い渡し、卒業式。
一人一人にかける短い労りの言葉が心に沁みこむ。
常に冷徹に容赦なく接していた風間の、人間性の芯に触れた生徒たち。
きっと、一生忘れられない。
辛くて挫けそうな時にふと思い出すに違いない、風間の伝言。
風間公親は父性のひと。
子供の前に大きく立ちはだかり、試練を与え、乗り越えろと突きつける。
まるで崖から我が子を突き落とすライオンのよう。
その時、私はふと思う。
これはハラスメントと言えるのだろうか?
風間のやり方はもちろん、閉鎖空間の外では絶対に通用しない。
一般的なサラリーマンの仕事の場でも、決してあってはならない。
しかし。
警察官という仕事の特別な厳しさと過酷さを知った後では、世間一般の論理を
そのまま当てはめるのが果たして公平なのかどうか。
一面だけを見て断定したり一様に均一的な有り様を求めるのが平等なのか。
「私ほど警察を恨んでる人間もそういない。」
生徒に過酷な試練を課すやり方には、過去の出来事が絡むのは間違いない。
その謎めいた過去を、木村拓哉の風間公親で見てみたい。
コメント
もう「教場」については、風間公親教官については
感動で全身がしびれて声も出ませんでした。
HT様のご感想が全てだと思います、同感以外にありません。
それにしても風間公親教官の後にあの尾花夏樹!
二人はまるで見た目はちがうのにどこか木村拓哉自身の生き方に
スライドしているのに泣かされてしまいます。
ヨーロッパの演技論はハリウッドとは違い、どんな役を演じようと
その役者自身の魅力、生き方が反映されてこそ名優だと読んだことが
ありますが、木村さんはどうもこちらの方だと思います。
都築との最終シーン、良かったでした。都築役の俳優さんの時折の「舞台臭」
が少し気になりました(小日向さんはそれを封じてます)が、それを木村さんが
きちんと処理して?あのシーンから卒業式、お別れの握手シーンへと感動的に繋げました、見事でした!
風間教官のあの愛ある厳しさ、懐かしいです。
私の学生時代、専門は違っても厳しさはもっと凄かったでした。
今では到底受け入れられないでしょう。でもあの厳しさの内にあった
愛があったればこそ、と思うことが沢山あります。
しかも品格と哀愁とエロスが漂う風間公親、彼にならどんなに扱われようと
望むところです!
本も結局4冊買ってしまいました。こんなこと、初めてでした。
>謎めいた過去を、木村拓哉の風間公親で見てみたい<
激しく同感でございます!
そしてソロコンサート、温かい方のお蔭で行けそうです、
歌筋をしっかり鍛えた上でのコンサート、期待で胸がバクバクしています。
本当に新年早々木村拓哉さんの素晴らしい役者っぷりを観ることが出来て幸せでした。そして相変わらずHT様の映像が目に浮かぶ流れるような素晴らしい文章が心地よくて録画した作品をリピートせずにはいられません。
恐らく原作ファンの方の中にあった「風間をキムタクが」という先入観を見事に裏切った冷徹で何を考えているか分からない風間そのものでした。
私が木村さんに魅了された万次さんもそうだと思うのですが、木村さんには武士のような己れを厳しく律する精神(=志)があって、その崇高で堪らない孤独感を秘めた役を演じると本当にその人が存在するような錯覚に陥ります。
風間が優れた刑事であったことはその鋭い観察力と身のこなしでも分かりますが、彼が剣道着姿で道場にいる時のただ者ではない佇まいは木村拓哉さんそのもののような感じです。
演技は相手の役者さんとのコミュニケーションという木村さんらしく味方君とのシーンはいつもの木村さんの自然なお芝居とはちょっと異質な感じで、その演技してる感じが新境地とか言われるのでしょうか。
舞台でのお芝居を観たことのない長男には味方君とのシーンで「あいつ最初の方力んでる感じだったよ」という印象だったみたいですけど、あのシーンで涙した夫は「あそこは木村が素晴らしいんだ」と一言。夫に「年末年始木村ばっかり観ていた」と言われるくらい家族揃って話せる作品を届けてくれた木村さんに感謝です。
風間公親は万次、最上と並んで私好みの魅力溢れる役でした。
木村拓哉さんは異次元の稀有な役者だとあらためて感じられて、これからどんな木村さんに会えるのか益々楽しみです。
風間公親。
試写会で見た通りの、いやそれ以上のものを見させていただきました。
前半のミステリアスさから後半の内に秘めた情熱や深い悲哀すら垣間見たような。
後ろ姿が雄弁に語る。
台詞の数倍数十倍を声が、仕草が、佇まいが伝える。
そして裕子様がおっしゃる通り、エロスを感じる。
私は木村拓哉の色気至上主義なので、それの感じられない役柄は物足りなくて。
風間の背中や肩の辺り、キュッと締まった腰と独特の歩き方。
禁欲から滲み出るものにノックアウトでした 笑
ソロライブ、参加なさるのですね。
良かった!
一緒に騒ぎましょう!!
年末年始からソロコンサートの発表、アルバム。ドラえもんの声優まで 笑
どうしちゃったの!?ってくらいの木村三昧。幸せですよね。
新境地との賞賛を見かけると嬉しいけど今更?と言いますか。
マネージメントとプロデュースでこんなにも変わるわけで。
前任マネージャーの無能さが証明された形でもあり。
都築とのやり取りを見て、舞台・TV・映画それぞれに適した表現というのが確実に
存在すること、自在に柔軟に対応していく難しさってこれだなと。
木村さんが合わせながら抑えていくスタンスで対峙してるのを見て、
お芝居をコミュニケーションと捉える彼ならではの柔軟さとバランス感覚に
凄いなぁと改めて感じ入った次第です。
映画やドラマのオファーが殺到してるという話も、さもありなん。
どんどん新しい彼を見たいですよね。