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2022年1月25日 キムラさん コメント (2)アルバム特典のMV。
MOJO DRIVEとI’ll be there。
アルバムのトップとラストを飾る2曲をチョイスした意味。
一つ前の文章で屋台骨となるのは4曲だと書いた理由の一つ。
曲調も映像も全く異なる二つのMVだけど、仮にこの2曲を入れ替えたり
他の曲を持ってきてたらアルバムのコンセプトが迷子になっちゃうかも。
MOJO DRIVEは旅立ちの曲。
Mojoって日常的には耳にしない言葉でしょ?
真島さんはなぜ敢えてこの単語を使ったのか不思議で。
Rolling Stone Japanの記事によると
【タイトルの「MOJO」の由来は「物や人にもともと備わっている力」転じて「パワー・生命力」といった神秘的なものといった言葉が込められている。木村自身がもともと持っている生命力やパワー、内面から溢れ出るオーラを表現するために真島がタイトルを考えた。】
引用元→https://news.yahoo.co.jp/articles/976163e14e705948a2f5bb68eb57944d83690e0c
映像は愛車のサリーンで走り出すところから始まる。
…個人的にここはハーレーでしょ!?って気持ちはあったけど、
オレンジがかった夕暮れを思わせる色調にはサリーンのスタイリッシュな
ボディがよく合う。
場末のガランとした倉庫でワンマンライブを繰り広げる木村拓哉。
観客は居ない。バンドのメンバーのみのシンプルさが、小さなライブハウスの生演奏のような臨場感を醸し出して、いい。この曲に合う。
オールドタイプのハードロックはこんなシチュエーションがぴったりくる。
シャウトし、ジャンプし、高々とキックしてマイクスタンドを放り出す。
金網を掴んで思い切り吠える姿は昔のグラビアで見たような。
押し殺してきた感情。叫びたい、暴れたい、全身全霊で歌いたいが
熱いカタマリのように直球で向かってくる感覚。
でも私の中で強烈に印象的なのはソファに横たわって気怠く歌うカット。
「たった一つ イツワリだけが 味方の時だってあった」の部分で一瞬、
皮肉るように嘲笑うように冷ややかに眉を上げてみせるあの表情。
次のカットで部屋に入ってくる女の子に向けたものかも知れないけど…
歌詞の意味と彼が今まで心無い言葉やメディアの嘘・捏造に晒されたか、を
ズン…と突きつけられたような、ゾクッとする感じ。
モデルと思しき女の子は綺麗で可愛いけど、ちょっと蛇足だなと正直なところ。
ですが、あすなろ抱きしたドアップがギャツビーのCMみたいでまぁいいか。
旅立ちは夜。
一人で、ハイウェイの風を感じながら走る男がどんな目をしてるのか?
黒いサングラスで隠れて分からない。
I’ll be thereは光の中へ、到着と旅立ち、祈り。
初めて聴いた時、木村さんの声が野太い男声のバックコーラスに乗って
高みへと、ひたすら空へ向かって伸びていくような気がしました。
教会で聖歌の合唱を聴いた時みたいに。
キリスト教会やイスラム教のモスクの内部は言葉や声が反響して
空間を巡り回って頭上の高い天蓋に反響し、再び頭上に降り注ぐような、
音と一緒に心が高揚するような気持ちになるんだけど、それに近い。
あの感覚を見事に映像化したなぁと感動しました。
アルバムの特典カレンダーの写真見本に白シャツ黒パンツの木村さんが!!と
TLが湧き立ちましたが、このMVから切り取ったんだね。
振り付けは s**t kingz(シットキングス)のメンバー。
シンプルなセットにオーケストラとダンサー。
全員が白シャツに黒パンツ。
シンプル イズ ベスト。
強烈な光の中で輝くような白、バックに溶け込む黒。
肉体の美しさをこれほど印象的に・強烈に焼きつける服装は無い。
それだけに四肢の動き、頭のてっぺんから爪先、伸ばした手指の先まで
ピンと張りつめて美しく完璧なパフォーマンスが要求される。
バックダンサーの動きはある種の陶酔状態を思わせる。
その輪の真ん中で激しく高らかに全身で唄い上げる木村拓哉は、
聖なる儀式の司祭のよう。
扉が開いて一人が進み出た部屋には大空を舞う鷲のシルエット。
大きく広げた腕の動きが翼のよう。
闘い、苦悩し、もがきながら先へ進もうとする姿が、舞い上がろうと羽ばたく
鷲の姿と重なる。
ラスト。
目を閉じて顔をあげた表情はとても穏やかで無私の祈りの姿にも見える。
聖堂の聖者。
唄が慈雨のように降り注ぐ中に立つ男。
壮大な音楽を一人で背負って。
真夜中のハイウェイを出発した木村拓哉は光の輪の中に辿り着いた。
その旅は彼一人の力ではなく陰日向に多くの人たちの力と願いと祈りとが
支えている。
MOJO DRIVEとI’ll be there。
アルバムのトップとラストを飾る2曲をチョイスした意味。
一つ前の文章で屋台骨となるのは4曲だと書いた理由の一つ。
曲調も映像も全く異なる二つのMVだけど、仮にこの2曲を入れ替えたり
他の曲を持ってきてたらアルバムのコンセプトが迷子になっちゃうかも。
MOJO DRIVEは旅立ちの曲。
Mojoって日常的には耳にしない言葉でしょ?
真島さんはなぜ敢えてこの単語を使ったのか不思議で。
Rolling Stone Japanの記事によると
【タイトルの「MOJO」の由来は「物や人にもともと備わっている力」転じて「パワー・生命力」といった神秘的なものといった言葉が込められている。木村自身がもともと持っている生命力やパワー、内面から溢れ出るオーラを表現するために真島がタイトルを考えた。】
引用元→https://news.yahoo.co.jp/articles/976163e14e705948a2f5bb68eb57944d83690e0c
映像は愛車のサリーンで走り出すところから始まる。
…個人的にここはハーレーでしょ!?って気持ちはあったけど、
オレンジがかった夕暮れを思わせる色調にはサリーンのスタイリッシュな
ボディがよく合う。
場末のガランとした倉庫でワンマンライブを繰り広げる木村拓哉。
観客は居ない。バンドのメンバーのみのシンプルさが、小さなライブハウスの生演奏のような臨場感を醸し出して、いい。この曲に合う。
オールドタイプのハードロックはこんなシチュエーションがぴったりくる。
シャウトし、ジャンプし、高々とキックしてマイクスタンドを放り出す。
金網を掴んで思い切り吠える姿は昔のグラビアで見たような。
押し殺してきた感情。叫びたい、暴れたい、全身全霊で歌いたいが
熱いカタマリのように直球で向かってくる感覚。
でも私の中で強烈に印象的なのはソファに横たわって気怠く歌うカット。
「たった一つ イツワリだけが 味方の時だってあった」の部分で一瞬、
皮肉るように嘲笑うように冷ややかに眉を上げてみせるあの表情。
次のカットで部屋に入ってくる女の子に向けたものかも知れないけど…
歌詞の意味と彼が今まで心無い言葉やメディアの嘘・捏造に晒されたか、を
ズン…と突きつけられたような、ゾクッとする感じ。
モデルと思しき女の子は綺麗で可愛いけど、ちょっと蛇足だなと正直なところ。
ですが、あすなろ抱きしたドアップがギャツビーのCMみたいでまぁいいか。
旅立ちは夜。
一人で、ハイウェイの風を感じながら走る男がどんな目をしてるのか?
黒いサングラスで隠れて分からない。
I’ll be thereは光の中へ、到着と旅立ち、祈り。
初めて聴いた時、木村さんの声が野太い男声のバックコーラスに乗って
高みへと、ひたすら空へ向かって伸びていくような気がしました。
教会で聖歌の合唱を聴いた時みたいに。
キリスト教会やイスラム教のモスクの内部は言葉や声が反響して
空間を巡り回って頭上の高い天蓋に反響し、再び頭上に降り注ぐような、
音と一緒に心が高揚するような気持ちになるんだけど、それに近い。
あの感覚を見事に映像化したなぁと感動しました。
アルバムの特典カレンダーの写真見本に白シャツ黒パンツの木村さんが!!と
TLが湧き立ちましたが、このMVから切り取ったんだね。
振り付けは s**t kingz(シットキングス)のメンバー。
シンプルなセットにオーケストラとダンサー。
全員が白シャツに黒パンツ。
シンプル イズ ベスト。
強烈な光の中で輝くような白、バックに溶け込む黒。
肉体の美しさをこれほど印象的に・強烈に焼きつける服装は無い。
それだけに四肢の動き、頭のてっぺんから爪先、伸ばした手指の先まで
ピンと張りつめて美しく完璧なパフォーマンスが要求される。
バックダンサーの動きはある種の陶酔状態を思わせる。
その輪の真ん中で激しく高らかに全身で唄い上げる木村拓哉は、
聖なる儀式の司祭のよう。
扉が開いて一人が進み出た部屋には大空を舞う鷲のシルエット。
大きく広げた腕の動きが翼のよう。
闘い、苦悩し、もがきながら先へ進もうとする姿が、舞い上がろうと羽ばたく
鷲の姿と重なる。
ラスト。
目を閉じて顔をあげた表情はとても穏やかで無私の祈りの姿にも見える。
聖堂の聖者。
唄が慈雨のように降り注ぐ中に立つ男。
壮大な音楽を一人で背負って。
真夜中のハイウェイを出発した木村拓哉は光の輪の中に辿り着いた。
その旅は彼一人の力ではなく陰日向に多くの人たちの力と願いと祈りとが
支えている。
コメント
深くお礼申し上げます
嬉しいお言葉感謝です。
私も文章にすることで頭と心を整理できてる感じです。
読んでいただいてありがとうございました。